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リュミエールとアイザックの気安いやり取りの光景を、エメラルダはむうっと頬を膨らませて見ていた。
「…………あの、わたくしもいるのですけれど?」
耐えきれなくなったように、じりじりと前に出る。
「ああ、公爵令嬢。お久しぶりです」
リュミエールは柔らかく会釈する。
けれど、一番に視線を向けたのはやっぱりカタリナだった。
「お待たせ、カタリナ。さっきの資料、おもしろいよ」
「ご覧になれたのならよかったですわ」
その自然さが、エメラルダには何より面白くない。カタリナとリュミエールの間にそれとなく漂う甘い空気が気に入らなかった。
「泊まられたと聞きましたわ、リュミエール様」
エメラルダは思わず口に出してしまう。
パウルが「エメラルダ……っ」と焦るが、彼女は止まらない。耳まで赤い。嫉妬で表情が歪んでいた。
リュミエールは妖艶に微笑み、
「婚約者の家に泊まるのは、おかしいでしょうか」
「っ、……こ、婚姻前では、はしたないかと。カタリナさんの評判にも関わりますわ」
そう言いながら、エメラルダの視線がカタリナに突き刺さる。口では評判を心配するセリフだったが、嫉妬心を爆発させているのは明らかだった。
そこへ、アイザックがごく自然に割って入った。
「……スティール公爵令嬢」
「な、なあに?」
「今のは“おめでとうございます”でいいところですよ。学生の頃の婚約を、そのまま成就させるのはそう多くない。お祝いのほうが、きっと似合います」
やんわり、でも退路を作ってやる言い方だった。
それでようやく、エメラルダは
「……そ、そうですわね」
としぶしぶ座り直す。むっすりしているが、さすがにこれ以上は言わない。パウルは隣でほっとしていた。
カタリナはというと、すべてを見届けたあとで、やわらかくこうまとめた。
「では…せっかくですし、お茶にいたしましょう。アイザック様にはお仕事のお話もありますし、エメラルダ様には……ハバナールのお土産話など、リュミエールから聞いていただければ」
その言い方がとても伯爵家らしくて、でも妻のようでもあって、リュミエールはちょっとだけ頬を緩めた。
今朝のこの騒ぎも、もう“二人の家”の日常に組み込まれていくのだろう。アイザックはそれを見て、ほんの短く笑った。
*
アリサたちが手早くティーセットを並べると、部屋の温度がふっと落ち着いた。
焼き菓子と温かな香りが間に入ると、さっきまでのむっとしていたエメラルダの頬の赤みも、表向きは少し収まる。
とはいえ、目だけは獲物を逃さない鳥のそれだ。
「ねぇ、リュミエール様。ハバナールってとても素敵なところでしたでしょう?
母は『海が青くて、王都は白くて、宝石みたいにきらめいているのよ』って言ってますの。私も何度も行ってますけど、素敵な国だと思ってますわ」
聞き方は可愛らしいが、要は「あなたの留学先を私がよく知っているのよ」のマウントだった。
「そうですね。だいたいお母上の言う通りです。白いし、眩しいし、風が強い。あと、香辛料の匂いがいたるところでしますね」
「まあ!おもしろい表現をなさるのね」
リュミエールはさらっと笑って返す。ここまでは、ただの雑談だった。
けれどエメラルダは、すぐに次の矢を放ってしまう。
「でも……そんなに素敵なところにいらしたのに、ぜんぜんお手紙くださらなかったのよね?
それが、二年も途切れていたお手紙が、急に届くようになったんですってね?」
その一言で、カタリナのまぶたがすっとだけ下がった。リュミエールも、ほんのわずかに首を傾ける。
(今、言った?)
当のエメラルダだけが、自分の発言の意味に気づいていない。むしろ調子が出てきてしまったようだった。
「わたくし、本当に心配していましたのよ?だってハバナールに手紙を出す時って、王都を通すでしょう?最近はあそこ、とても混んでいますの。だから、その……ちょっと“止めておいた方がいいかしら”って、わたくし……」
そこまで言ったところで、自分が何を告白したかに、ぱちんと気づく。
「…………あ」
空気が一枚、ぴたりと止まる。
パウルが慌てて前に出かける。
「エメラルダ、その、今日はご挨拶だけのつもりで――」
しかしカタリナが先に口を開いた。いつもの落ち着いた声で。
「“止めておいた方が”――と、どなたに?」
「えっ、あの、それは……その……」
「王都本局のどなたかしら。スティール家は寄進を多くなさっていると伺いましたから、お願いは通りやすいのでしょうけれど」
淡々とした口調なのに、逃げ場がない。
エメラルダは頬を赤くし、扇をぱたぱたと乱暴にあおいだ。
「ち、違いますのよ!わたくしは、ただ……リュミエール様が、あまりにもエベルハルト家に捕らわれすぎてはいけないと思って……」
「捕らわれてはいませんわ。婚約していますもの」
カタリナはきっぱりと言う。
「そ、それはそうですけど!で、でも、二年もお便りがないなんて、令嬢としては不安になりますでしょう!?だからわたくし、少しだけ手伝いをしてあげて……っ」
「うん、つまり“君が止めてた”ってことになりますね?」
リュミエールがやんわりとまとめた。
にっこりしたままなのに、逃がさない言い方だった。
エメラルダの目に、わっと涙がたまる。
「だって!わたくし、リュミエール様のことを思って!」
子供じみた叫びに、パウルが「エメラルダ……」と困り果てる。
アイザックは一連の会話を静観した上で軽く頷き、エメラルダに向けて口を開く。
「スティール公爵令嬢。王都の郵便に口を出せるのはさすがだけど、当人同士の手紙を止めるのは、少しだけ立場が悪くなるよ。君は君で、他に見ている人がいるだろう?」
“他に見ている人”――つまり母方、ハバナール筋の目もある、というやんわりした警告だった。
「…………あの、わたくしもいるのですけれど?」
耐えきれなくなったように、じりじりと前に出る。
「ああ、公爵令嬢。お久しぶりです」
リュミエールは柔らかく会釈する。
けれど、一番に視線を向けたのはやっぱりカタリナだった。
「お待たせ、カタリナ。さっきの資料、おもしろいよ」
「ご覧になれたのならよかったですわ」
その自然さが、エメラルダには何より面白くない。カタリナとリュミエールの間にそれとなく漂う甘い空気が気に入らなかった。
「泊まられたと聞きましたわ、リュミエール様」
エメラルダは思わず口に出してしまう。
パウルが「エメラルダ……っ」と焦るが、彼女は止まらない。耳まで赤い。嫉妬で表情が歪んでいた。
リュミエールは妖艶に微笑み、
「婚約者の家に泊まるのは、おかしいでしょうか」
「っ、……こ、婚姻前では、はしたないかと。カタリナさんの評判にも関わりますわ」
そう言いながら、エメラルダの視線がカタリナに突き刺さる。口では評判を心配するセリフだったが、嫉妬心を爆発させているのは明らかだった。
そこへ、アイザックがごく自然に割って入った。
「……スティール公爵令嬢」
「な、なあに?」
「今のは“おめでとうございます”でいいところですよ。学生の頃の婚約を、そのまま成就させるのはそう多くない。お祝いのほうが、きっと似合います」
やんわり、でも退路を作ってやる言い方だった。
それでようやく、エメラルダは
「……そ、そうですわね」
としぶしぶ座り直す。むっすりしているが、さすがにこれ以上は言わない。パウルは隣でほっとしていた。
カタリナはというと、すべてを見届けたあとで、やわらかくこうまとめた。
「では…せっかくですし、お茶にいたしましょう。アイザック様にはお仕事のお話もありますし、エメラルダ様には……ハバナールのお土産話など、リュミエールから聞いていただければ」
その言い方がとても伯爵家らしくて、でも妻のようでもあって、リュミエールはちょっとだけ頬を緩めた。
今朝のこの騒ぎも、もう“二人の家”の日常に組み込まれていくのだろう。アイザックはそれを見て、ほんの短く笑った。
*
アリサたちが手早くティーセットを並べると、部屋の温度がふっと落ち着いた。
焼き菓子と温かな香りが間に入ると、さっきまでのむっとしていたエメラルダの頬の赤みも、表向きは少し収まる。
とはいえ、目だけは獲物を逃さない鳥のそれだ。
「ねぇ、リュミエール様。ハバナールってとても素敵なところでしたでしょう?
母は『海が青くて、王都は白くて、宝石みたいにきらめいているのよ』って言ってますの。私も何度も行ってますけど、素敵な国だと思ってますわ」
聞き方は可愛らしいが、要は「あなたの留学先を私がよく知っているのよ」のマウントだった。
「そうですね。だいたいお母上の言う通りです。白いし、眩しいし、風が強い。あと、香辛料の匂いがいたるところでしますね」
「まあ!おもしろい表現をなさるのね」
リュミエールはさらっと笑って返す。ここまでは、ただの雑談だった。
けれどエメラルダは、すぐに次の矢を放ってしまう。
「でも……そんなに素敵なところにいらしたのに、ぜんぜんお手紙くださらなかったのよね?
それが、二年も途切れていたお手紙が、急に届くようになったんですってね?」
その一言で、カタリナのまぶたがすっとだけ下がった。リュミエールも、ほんのわずかに首を傾ける。
(今、言った?)
当のエメラルダだけが、自分の発言の意味に気づいていない。むしろ調子が出てきてしまったようだった。
「わたくし、本当に心配していましたのよ?だってハバナールに手紙を出す時って、王都を通すでしょう?最近はあそこ、とても混んでいますの。だから、その……ちょっと“止めておいた方がいいかしら”って、わたくし……」
そこまで言ったところで、自分が何を告白したかに、ぱちんと気づく。
「…………あ」
空気が一枚、ぴたりと止まる。
パウルが慌てて前に出かける。
「エメラルダ、その、今日はご挨拶だけのつもりで――」
しかしカタリナが先に口を開いた。いつもの落ち着いた声で。
「“止めておいた方が”――と、どなたに?」
「えっ、あの、それは……その……」
「王都本局のどなたかしら。スティール家は寄進を多くなさっていると伺いましたから、お願いは通りやすいのでしょうけれど」
淡々とした口調なのに、逃げ場がない。
エメラルダは頬を赤くし、扇をぱたぱたと乱暴にあおいだ。
「ち、違いますのよ!わたくしは、ただ……リュミエール様が、あまりにもエベルハルト家に捕らわれすぎてはいけないと思って……」
「捕らわれてはいませんわ。婚約していますもの」
カタリナはきっぱりと言う。
「そ、それはそうですけど!で、でも、二年もお便りがないなんて、令嬢としては不安になりますでしょう!?だからわたくし、少しだけ手伝いをしてあげて……っ」
「うん、つまり“君が止めてた”ってことになりますね?」
リュミエールがやんわりとまとめた。
にっこりしたままなのに、逃がさない言い方だった。
エメラルダの目に、わっと涙がたまる。
「だって!わたくし、リュミエール様のことを思って!」
子供じみた叫びに、パウルが「エメラルダ……」と困り果てる。
アイザックは一連の会話を静観した上で軽く頷き、エメラルダに向けて口を開く。
「スティール公爵令嬢。王都の郵便に口を出せるのはさすがだけど、当人同士の手紙を止めるのは、少しだけ立場が悪くなるよ。君は君で、他に見ている人がいるだろう?」
“他に見ている人”――つまり母方、ハバナール筋の目もある、というやんわりした警告だった。
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