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翌朝――。
エベルハルト伯爵邸の朝は、いつも通り静かだったけれど、ひとつだけ違うところがあった。
食堂の長卓の端に、いつものように端然と座るカタリナと、その隣に、穏やかな笑みを浮かべてパンをちぎっている金髪の美しい青年がいる。
――見た目はこんなに柔らかいのに、昨夜の彼は、驚くほど大胆で、容赦がなかった。
そのことをふっと思い出してしまった瞬間、カタリナの頬に熱がのぼる。
紅茶を持つ手をほんの少し高くして、さりげなく顔の半分を隠した。
(……どうして朝になってから思い出すのかしら)
そんな彼女の変化を、リュミエールはちゃんと見ていた。横目でちらっと覗き込んで、わざと何も言わずににやりとする。
「この家の朝食って、こんなにきちんとしてるんだね。シュタイン家の朝食よりおいしい」
「……誉めてもおかわりは増えませんわよ」
「えー、もうちょっと。昨夜は身体を動かしたからお腹が空いているんだ」
「っ……っ!食卓でそういうことを言わないでくださいまし」
カタリナはきっぱりと言い切ったが、耳まで赤かった。リュミエールは満足そうに笑ったあとパンを口に運んだ。
そんな軽口を交わしながらの朝食を終える。
リュミエールが「書庫を見に行ってもていい?」とフワッと立ち上がって執務棟の方へ消えていった、ほんの少し後。
玄関のほうで、やや高めの女声と執事の困ったような声が交錯した。
「カタリナ様、スティール公爵令嬢が……本日、ご予約はいただいておりませんが」
「構いませんわ。お通しして」
カタリナが立ち上がるより早く、扉がパッと開いた。
「まあ!カタリナ嬢!朝からお邪魔してごめんあそばせ!」
艶やかな緑のドレスに身を包んだエメラルダが、まるで自宅のサロンに入るような勢いで踏み込んでくる。
その少し後ろには、いつものようにおっとりした顔のパウルが「おはよう」と小さく頭を下げていた。
「おはようございます、エメラルダ様、パウル様。朝からようこそ」
「ええ、ちょっとね?用事があって。……あら、このお部屋、朝の光がよく入るのね。さすがエベルハルト家ですわね!」
にこにこと言いながら、エメラルダの翡翠色の瞳は、しかし室内をさりげなく一巡する。
――誰かを探している目。
(……やはり)
カタリナはそれに気づきつつ、あえて何も言わない。アリサが手早く茶器を用意し、三人分の椅子が用意された。
「本日はどのようなご用件で?」
「まあ、そんなに堅くならないで。ご婚約者様が一時帰国なさってるって、ちらっと耳にしたものだから。“ご挨拶を”と思って!」
エメラルダはにっこりと微笑んでみせる。
「だって、リュミエール様、お優しいもの。わたくしの母の故郷であるハバナールに行かれる時も、いろいろお話してくださって……」
どうだと言わんばかりの言葉に、パウルが「エメラルダ……」と袖を引くが、彼女は聞いていない。
「それにね?お手紙が届かなかったでしょう?あれ、王都のどこかで滞ってしまっていたみたいで……大変だったわよねぇ?」
探るような眼差しをカタリナに向けてくる。
カタリナは穏やかな微笑を崩さなかった。
「ええ。ですが、もう解決しましたわ。もう王都で止められることはないそうです」
「……え?、ああ….そう。よ、よかったわね?」
口ではそう言いながら、エメラルダのまぶたが一瞬だけピクリと動いた。思っていたよりあっさり流された、という顔だった。
彼女は話題を変えるふりをして、また室内を見回す。
「それで、リュミエール様は?いらしてないのかしら?シュタイン家に伺ったら、こちらにお泊まりだと聞きましたわ」
「今は書庫を見ておりますわ。昨夜、久しぶりに長くお話しましたので」
「まぁ、まぁ、“お泊まり”ね。婚姻前なのに大胆ですこと。エベルハルト伯爵家は、名門ですのに……意外ですわ」
エメラルダの笑みの裏にはあからさまな嫌味と嫉妬が混じっていた。
しかし、カタリナは眉ひとつ動かさない。
「婚姻も近いので」
それだけで終わらせた。
沈黙が張りつめかけたところで、そこに、執事がそっと告げる。
「カタリナ様、シトラール伯爵令息がお見えです。お約束の時間ですので……」
「そうね。もう約束の時間なのね。お通しして」
「やあ、カタリナ嬢。約束の書類を……」
現れたアイザックは、いつも通りのさっぱりした黒の上着姿。彼女の前で軽く一礼したが、すぐに部屋の奥を見て、少しだけ眉を上げる。
「これはごきげんよう、公爵令嬢。朝から賑やかだ」
「シトラール伯爵令息もいらして。なんだか皆さんで内緒話かしら?」
エメラルダがきゅっと目を細める。
完全に「自分の知らないところで何かが進んでいる」と思っている顔だ。
アイザックは苦笑した。
「内緒話というより、先日に預かった追跡票の補足です。君に渡す約束だったから、来ただけです」
「仕事ですわ、公爵令嬢」
とカタリナも淡々と添える。
エメラルダは「ふぅん……」と鼻で笑うが、まだ納得していない。
その空気を切るように、部屋の外から軽い足音がした。
「カタリナ、さっきの書庫の資料さ――」
扉から顔を覗かせたのは、白いシャツにベストといった軽装のリュミエールだった。さっきまで書庫にいたためか、金髪が少し乱れている。家の中の気安さがそのまま出ていた。
「リュミエール様!」
エメラルダがバネ仕掛けみたいに立ち上がる。目が一気にきらきらからギラギラに変わった。
だがその叫びより早く、リュミエールはぱっと目を丸くして、ほんの一瞬嬉しそうに言った。
「アイザック!久しぶりだね!」
まさか自分に向けた笑顔ではなかったと悟ったエメラルダの顔が、ぴきっと固まる。頬にわずかに血がのぼり、むくれた子どもみたいに口をとがらせた。
「おお、君、本当に戻ってたんだな」
アイザックもすぐに歩み寄る。男同士の手を握る挨拶。しっかりした握手のあと、ぽんと肩を叩き合う。
「ハバナールは?」
「案外寒かったよ。君は?」
「相変わらずだ。……でもよかった、元気そうで」
「君もね。相変わらずまっすぐで安心する」
ほんの数行のやり取りなのに、数年の空白が一気に埋まるような空気だった。
そこには“学生時代に同じ机を囲んでいた者同士”の距離があった。
エベルハルト伯爵邸の朝は、いつも通り静かだったけれど、ひとつだけ違うところがあった。
食堂の長卓の端に、いつものように端然と座るカタリナと、その隣に、穏やかな笑みを浮かべてパンをちぎっている金髪の美しい青年がいる。
――見た目はこんなに柔らかいのに、昨夜の彼は、驚くほど大胆で、容赦がなかった。
そのことをふっと思い出してしまった瞬間、カタリナの頬に熱がのぼる。
紅茶を持つ手をほんの少し高くして、さりげなく顔の半分を隠した。
(……どうして朝になってから思い出すのかしら)
そんな彼女の変化を、リュミエールはちゃんと見ていた。横目でちらっと覗き込んで、わざと何も言わずににやりとする。
「この家の朝食って、こんなにきちんとしてるんだね。シュタイン家の朝食よりおいしい」
「……誉めてもおかわりは増えませんわよ」
「えー、もうちょっと。昨夜は身体を動かしたからお腹が空いているんだ」
「っ……っ!食卓でそういうことを言わないでくださいまし」
カタリナはきっぱりと言い切ったが、耳まで赤かった。リュミエールは満足そうに笑ったあとパンを口に運んだ。
そんな軽口を交わしながらの朝食を終える。
リュミエールが「書庫を見に行ってもていい?」とフワッと立ち上がって執務棟の方へ消えていった、ほんの少し後。
玄関のほうで、やや高めの女声と執事の困ったような声が交錯した。
「カタリナ様、スティール公爵令嬢が……本日、ご予約はいただいておりませんが」
「構いませんわ。お通しして」
カタリナが立ち上がるより早く、扉がパッと開いた。
「まあ!カタリナ嬢!朝からお邪魔してごめんあそばせ!」
艶やかな緑のドレスに身を包んだエメラルダが、まるで自宅のサロンに入るような勢いで踏み込んでくる。
その少し後ろには、いつものようにおっとりした顔のパウルが「おはよう」と小さく頭を下げていた。
「おはようございます、エメラルダ様、パウル様。朝からようこそ」
「ええ、ちょっとね?用事があって。……あら、このお部屋、朝の光がよく入るのね。さすがエベルハルト家ですわね!」
にこにこと言いながら、エメラルダの翡翠色の瞳は、しかし室内をさりげなく一巡する。
――誰かを探している目。
(……やはり)
カタリナはそれに気づきつつ、あえて何も言わない。アリサが手早く茶器を用意し、三人分の椅子が用意された。
「本日はどのようなご用件で?」
「まあ、そんなに堅くならないで。ご婚約者様が一時帰国なさってるって、ちらっと耳にしたものだから。“ご挨拶を”と思って!」
エメラルダはにっこりと微笑んでみせる。
「だって、リュミエール様、お優しいもの。わたくしの母の故郷であるハバナールに行かれる時も、いろいろお話してくださって……」
どうだと言わんばかりの言葉に、パウルが「エメラルダ……」と袖を引くが、彼女は聞いていない。
「それにね?お手紙が届かなかったでしょう?あれ、王都のどこかで滞ってしまっていたみたいで……大変だったわよねぇ?」
探るような眼差しをカタリナに向けてくる。
カタリナは穏やかな微笑を崩さなかった。
「ええ。ですが、もう解決しましたわ。もう王都で止められることはないそうです」
「……え?、ああ….そう。よ、よかったわね?」
口ではそう言いながら、エメラルダのまぶたが一瞬だけピクリと動いた。思っていたよりあっさり流された、という顔だった。
彼女は話題を変えるふりをして、また室内を見回す。
「それで、リュミエール様は?いらしてないのかしら?シュタイン家に伺ったら、こちらにお泊まりだと聞きましたわ」
「今は書庫を見ておりますわ。昨夜、久しぶりに長くお話しましたので」
「まぁ、まぁ、“お泊まり”ね。婚姻前なのに大胆ですこと。エベルハルト伯爵家は、名門ですのに……意外ですわ」
エメラルダの笑みの裏にはあからさまな嫌味と嫉妬が混じっていた。
しかし、カタリナは眉ひとつ動かさない。
「婚姻も近いので」
それだけで終わらせた。
沈黙が張りつめかけたところで、そこに、執事がそっと告げる。
「カタリナ様、シトラール伯爵令息がお見えです。お約束の時間ですので……」
「そうね。もう約束の時間なのね。お通しして」
「やあ、カタリナ嬢。約束の書類を……」
現れたアイザックは、いつも通りのさっぱりした黒の上着姿。彼女の前で軽く一礼したが、すぐに部屋の奥を見て、少しだけ眉を上げる。
「これはごきげんよう、公爵令嬢。朝から賑やかだ」
「シトラール伯爵令息もいらして。なんだか皆さんで内緒話かしら?」
エメラルダがきゅっと目を細める。
完全に「自分の知らないところで何かが進んでいる」と思っている顔だ。
アイザックは苦笑した。
「内緒話というより、先日に預かった追跡票の補足です。君に渡す約束だったから、来ただけです」
「仕事ですわ、公爵令嬢」
とカタリナも淡々と添える。
エメラルダは「ふぅん……」と鼻で笑うが、まだ納得していない。
その空気を切るように、部屋の外から軽い足音がした。
「カタリナ、さっきの書庫の資料さ――」
扉から顔を覗かせたのは、白いシャツにベストといった軽装のリュミエールだった。さっきまで書庫にいたためか、金髪が少し乱れている。家の中の気安さがそのまま出ていた。
「リュミエール様!」
エメラルダがバネ仕掛けみたいに立ち上がる。目が一気にきらきらからギラギラに変わった。
だがその叫びより早く、リュミエールはぱっと目を丸くして、ほんの一瞬嬉しそうに言った。
「アイザック!久しぶりだね!」
まさか自分に向けた笑顔ではなかったと悟ったエメラルダの顔が、ぴきっと固まる。頬にわずかに血がのぼり、むくれた子どもみたいに口をとがらせた。
「おお、君、本当に戻ってたんだな」
アイザックもすぐに歩み寄る。男同士の手を握る挨拶。しっかりした握手のあと、ぽんと肩を叩き合う。
「ハバナールは?」
「案外寒かったよ。君は?」
「相変わらずだ。……でもよかった、元気そうで」
「君もね。相変わらずまっすぐで安心する」
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