【完結】不可解な君に恋して

とっくり

文字の大きさ
35 / 40

35

しおりを挟む
 エベルハルト伯爵邸・執務室の空気が、告白の一言で静かに質を変えた。

 リュミエールは胸元の蒼い石を机に置き、まっすぐカタリナを見ていた。いつもなら冗談で半歩ずらす碧眼が、このときだけは逃げない。

「あと……君にどうしても伝えたかったことがもう一つあるんだ」

「私に?」

「僕は、初めて君に会った日から、ずっと君に恋をしてる」

「っ……?!」

 それは本当に、紅茶でも勧めるみたいな自然さで出てきたのに、内容だけが甘くて重たかった。カタリナの黒い瞳が、ぱち、と大きく揺れる。

「初めて会った日から?」
「うん。あの日、光を背にして立ってた君の目が、黒曜石みたいにまっすぐで……“この人だ”って思ってから、ずっと心の中は君でいっぱいだった」
「す、好きってことですの?」
「好き……っていうより、もう愛してる、が正しい。僕は君をずっと愛してるよ」

 いつもは微動だにしないカタリナの頬が、じわじわと紅く染まっていく。書類を読むときの冷静さも、交渉中の毅然さもどこかへ行ってしまい、ただ婚約者としての彼女だけがそこにいた。

(……そんなふうに、思っていてくださったの?)

 嫌われてはいないと分かっていた。
 けれど「初対面から」「ずっと」と言われるとは思っていなかった。胸の奥が、少し痛くて、でも温かい。

 その顔を見るなり、リュミエールはたまらない、というように笑った。

「君、可愛すぎるな」
「わ、わたくしが?」
「君以外にいる?いないよ。ああ、やっぱり君だ」

 そう言って、彼は隣へ回り込み、ふわりとカタリナを抱き寄せた。旅の匂いと、彼自身のやさしい香りがふっと包む。カタリナは驚いて彼を見上げる。

「この表情かおはね、僕だけに見せて」
 囁きは甘く、少しだけせつない。

 言い終わる前に、柔らかな唇が触れた。それから一度だけ離れ、彼女の息が整う前に、もう一度――今度はちゃんと重ねられる。

 さっきよりも深くて、さっきよりも“離したくない”が伝わる口づけだった。

「……カタリナ、愛してる。君は……?」

 さっきまでの軽口とは違う、すこし切羽詰まった声だった。ここだけは、冗談でごまかさない。

 カタリナは一度だけまぶたを伏せ、胸に落ちた熱をそのまま言葉にした。

「……私も、愛しています」

 その瞬間、リュミエールの肩から力が抜けたように息がこぼれる。

「……ああ、本当に言ってよかった。帰ってきてよかった」

「戻ると分かっていたなら、もっと早くお戻りになってもよろしかったのですけれど?」
「それはその……僕の臆病さのぶんだけ遅れたってことで、ひとつ」
「仕方ありませんわね」

 カタリナはちいさく息を吐き、机の引き出しから細い鍵束を出した。きん、と銀の音がして、部屋に落ちる。

「私は今、この家の当主です。婚姻の時期は当人同士でと、父も母も申しました。ですから――『今からこちらにお住まいになってもよい』と私が言えば、それが正式ですわ」

「……え。今日から?」
「ご不満で?」
 こてんと首をかしげる。その仕草があまりに可愛かったので、リュミエールは両手を上げて降参した。

「いやいや、むしろ大満足です。予想よりだいぶ幸福な展開だよ。だって今、伯爵ご本人から“君の家に泊まっていい”って言われたんだ」

「泊まる、というより……そうですわね。夫婦としてお迎えする夜になりますわ」

「っ……」

 今度はリュミエールの喉が音を立てた。いつも軽やかな彼が、真顔で頷く。

「カ、カタリナ、君、言ってる意味わかってる?」
「もちろん。夫婦の寝室を使いましょう?」

 その一言で、冬の午前だったはずの執務室に、ふわっと甘い温度が落ちた。外の光は白いのに、この部屋だけやさしくあたたかい。

「し、寝室っ」
「夫婦になるのですから当然ですわ」

「そ、そういうこと言うと、ほんとに調子に乗るよ?」
「どうぞ。夫になる方ですもの」

 最後の一言で、今度はリュミエールが頬を赤くした。カタリナのほうへまた身を寄せ、さっきより短いキスをひとつだけ落とす。

 甘くて、くすぐったくて、でもどこにも不安のない二人だけの時間が、ようやくここで始まった。
 
「……安心なさりました?」

「そりゃあね。ずっと“君にふさわしくないかも”って心のどこかで思ってたのが、今一番偉い人に“ふさわしいってことにします”って言われたんだから」

「当主の決裁は重いですのよ?」

「僕はそれに甘えるつもりでいます」

「いいわ。たくさん甘えて」

 この一言が決定打だった。リュミエールの碧眼が、あの学園時代の少年の時みたいにきらりと光る。

「……じゃあ、今日から、もう離れないでいていい?」

「ええ。今夜は執務も終わっていますし」

「じゃあ、夕食のあとで迎えに行く」

「アリサに伝えておきますわ」




 その夜。
 伯爵邸の廊下にはいつも通りの足音が行き交ったが、女主人の部屋の扉にだけは侍女が灯りをひとつ多く残した。

 コン、と控えめなノックが鳴った。

 カタリナが「どうぞ」と言うと、黒の礼装を脱いだリュミエールが現れた。旅の埃はもうない。きちんと髪も整え、けれど肩の力は抜けている。

「約束通り、来たよ」

「お入りになって。ここは、もうあなたのお家ですわ」

「今夜は、さっきの続きにしよう」

、ですわね?」

 この家の女主人としても、リュミエールの婚約者としても――今の彼を迎え入れることに、何一つ不都合はなかった。

 その夜、扉が静かに閉まるところまでは、屋敷の者も知っている。

 その内側で交わされたのは、さっきのキスより少し長い口づけと、「もう逃げなくていい」という確認だった、ということだけが、永遠花の光だけにはよく見えていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】綺麗なだけじゃ、生きていけない

とっくり
恋愛
 美しく素直なだけの“可愛い妹”として愛されてきたアナベル。 だが、姉の婚約者に告白されたことで、家族の歯車は狂い始める。 両親の死、姉からの追放。何も知らないまま飛び出した世界で、 アナベルは初めて「生きること」の意味を知っていく。  初めての仕事、初めての孤独。 そして出会った一人の青年・エリオット。 彼との出会いが、アナベルを“綺麗なだけの私”から変えていく、 恋と成長の物語。

私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜結婚を断ったのに麗しの騎士様に捕まっています〜

日室千種・ちぐ
恋愛
ランドリック・ゼンゲンは将来を約束された上級騎士であり、麗しの貴公子だ。かつて流した浮名は数知れず、だが真の恋の相手は従姉妹で、その結婚を邪魔しようとしたと噂されている。成人前からゼンゲン侯爵家預かりとなっている子爵家の娘ジョゼットは、とある事情でランドリックと親しんでおり、その噂が嘘だと知っている。彼は人の心に鈍感であることに悩みつつも向き合う、真の努力家であり、それでもなお自分に自信が持てないことも、知っていて、密かに心惹かれていた。だが、そのランドリックとの結婚の話を持ちかけられたジョゼットは、彼が自分を女性として見ていないことに、いずれ耐えられなくなるはずと、断る決断をしたのだが――。 (なろう版ではなく、やや大人向け版です)

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

政略結婚だからって愛を育めないとは限りません

稲葉鈴
恋愛
外務大臣であるエドヴァルド・アハマニエミの三女ビルギッタに、国王陛下から結婚の命が下った。 お相手は王太子殿下の側近の一人であるダーヴィド。フィルップラ侯爵子息。 明日(!)からフィルップラ侯爵邸にて住み込みでお見合いを行い、一週間後にお披露目式を執り行う。 これは、その一週間のお話。 小説家になろう、カクヨムでも公開しています。

私の孤独と愛と未来

緑谷めい
恋愛
 15歳の私は今、王都に向かう寄合い馬車に乗っている。同じく15歳のカイと一緒に……。  私はリーゼ。15年前、産まれたての赤子だった私は地方都市にある孤児院の前に捨てられた。底冷えのする真冬の早朝だったそうだ。孤児院の院長が泣き声に気付くのが、あと少し遅ければ私は凍死していた。  15歳になり成人した私は孤児院を出て自立しなくてはならない。私は思い切って王都に行って仕事を探すことにした。そして「兵士になる」と言う同い年のカイも王都に行くことになった。喧嘩っ早くてぶっきらぼうなカイは、皆に敬遠されて孤児院の中で浮いた存在だった。私も、いつも仏頂面であまり喋らないカイが苦手だった。

【完結】あなたの瞳に映るのは

今川みらい
恋愛
命を救える筈の友を、俺は無慈悲に見捨てた。 全てはあなたを手に入れるために。 長年の片想いが、ティアラの婚約破棄をきっかけに動き出す。 ★完結保証★ 全19話執筆済み。4万字程度です。 前半がティアラside、後半がアイラスsideになります。 表紙画像は作中で登場するサンブリテニアです。

次期王妃な悪女はひたむかない

三屋城衣智子
恋愛
 公爵家の娘であるウルム=シュテールは、幼い時に見初められ王太子の婚約者となる。  王妃による厳しすぎる妃教育、育もうとした王太子との関係性は最初こそ良かったものの、月日と共に狂いだす。  色々なことが積み重なってもなお、彼女はなんとかしようと努力を続けていた。  しかし、学校入学と共に王太子に忍び寄る女の子の影が。  約束だけは違えまいと思いながら過ごす中、学校の図書室である男子生徒と出会い、仲良くなる。  束の間の安息。  けれど、数多の悪意に襲われついにウルムは心が折れてしまい――。    想いはねじれながらすれ違い、交錯する。  異世界四角恋愛ストーリー。  なろうにも投稿しています。

私は彼を愛しておりますので

月山 歩
恋愛
婚約者と行った夜会で、かつての幼馴染と再会する。彼は私を好きだと言うけれど、私は、婚約者と好き合っているつもりだ。でも、そんな二人の間に隙間が生まれてきて…。私達は愛を貫けるだろうか?

処理中です...