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掌にのったのは、あの日カタリナが学園で見たのと同じ、深い蒼とわずかな紫を宿す鉱石――母が遺したと彼が言っていたもの。
カタリナはそれを見つめ、静かに首をかしげる。
「……私が知っているのは、シュタイン子爵夫人があなたを大事に育てられた、ということだけです。
つまり、ここから先は知らない話、ということですね?」
「そうなるね」
リュミエールは、珍しく目を逸らさなかった。碧い瞳がまっすぐに届く。
「まず、ひとつ断っておきたい。
君が知っている、僕の母、サラは育てのは母なんだ。産みの母が別にいたんだ。
母は、僕を本当に実の子のように育ててくれた。そこは何も偽りはない。
僕もあの人を母として愛してる」
「リュミエール…」
「僕の産みの母は、母の妹だった。
僕を産んですぐに亡くなった。父親は最後まで分からなかった。
家も“聞かない”ことにした。それで、伯母と伯父が僕を引き取ってくれた」
カタリナの黒曜石のような瞳が、そこで初めてほんの少し丸くなる。
「……まあ」
カタリナは息を呑まなかった。
彼女の呼吸だけがひとつ深くなる。そこに慈悲も同情も出さないのは、彼を子どものように扱いたくないからだ。
「だから僕は、ずっと“愛されて育ったけど、自分の足場が曖昧”って感じてた。
伯父と伯母は本当に分け隔てなく接してくれたのに、頭の奥で『でも血は違う』って声が消えなかった。
君がエベルハルト家としてぴんと立っているのを見るたびに、僕は自分の出自のほうばかりを見てしまった」
そこまで言えば、さすがのカタリナも彼から目を離さなかった。
「君が侯爵家や公爵家の令息と並ぶと何も揺れないように、僕も君の隣で揺れたくなかった。
でも、僕には“父を知らない”という空白があった。
シュタイン家が新しい家だから、という以上に、自分の生まれ方そのものが分からないことが一番辛かったんだ」
リュミエールは続ける。今の彼にはもう、飄々とした軽口で包む余白がない。
「この石は、ハバナール産で母が遺したやつなんだ。
これを辿るために、僕は“留学”した。
表向きは学士院だけど、目的はずっとこっちだった」
蒼い石に触れながら、リュミエールは続ける。
「二十一年前、ハバナールの第三王子がエルディアの貴族学園に視察に来ていた。
記録にはほとんど残ってない。
けど、僕の母はその時に……その人を好きになって、向こうも母を選んだ。
短い期間だったけど、軽い気まぐれじゃなかった」
“軽い気まぐれじゃなかった”というところだけ、声がほんの少し低くなった。
そこが彼の一番の痛点だったのを、カタリナはようやくはっきり理解する。
「母は僕を産んですぐ亡くなった。
父が誰かも、家は知らないままだった。
だから僕はずっと、血のことを言われるたびに、どこかで『もしかしたら本当にそうなのかも』って思ってた。
……でも、向こうで本人に会った」
「……本人に?」
「うん。いまは政から退いてる。けど、ちゃんと生きてた。
僕の話を聞いて、母のことを覚えていて、はっきり言ったんだ。『あれは過ちではない。本気だった』って」
そこで初めて、カタリナのまぶたがゆっくり閉じた。何かを飲み込むような仕草だった。
リュミエールは続ける。今の彼にはもう、飄々とした軽口で包む余白がない。
「だから、僕の“劣等感の一番奥”はもう折り合いがついた。
僕は、たまたま生まれたんじゃない。選ばれてた。
……君にこんな話をするのは厚かましいかもしれないけど、君と婚約してからずっと、ここだけが足りなかった。
『新興だから』って陰で言われたとき、君の隣にいる自分に自信がなくなるのが嫌だった。
君に相応しい自分になりたかった」
「……それで、行かれたのですね。何も言わずに」
「そう。何も言わずに。君に心配をかけて、二年も音を途絶えさせて。
だから謝らないといけない。ごめん、カタリナ」
謝罪を真正面から口にするリュミエールは、カタリナが知っている彼より少しだけ大人になっていた。軽やかさは消えていないのに、その奥に芯の重さがある。
カタリナは首を横に振る。
「私は、あなたが“相応しくない”と思ったことなど、一度もありませんでしたわ」
「そう言うと思った」
「ただ、なぜ距離を置かれるのかは分からなかった。……そして詮索は、弱さを招くと教わって育ちましたので、深くは探らなかっただけです」
「ふふ…立派な教育だ」
冗談めかして言ってから、リュミエールは姿勢を正す。
「で――これは君に聞いておきたいことなんだけど。君の婚約者は、母の子じゃなくて伯母が育てた子でも、ハバナールの血が混ざっていても、それでもいい?」
カタリナは即座に答えた。
「お帰りになって最初に来たのは、私のところでしょう?それで十分ですわ」
それは、カタリナなりの「問題ありません」の言い方だった。彼はようやく、本当に肩の力を抜いて笑った。
「じゃあ今度は、冷める前にお茶を淹れてもらってもいい?」
「ええ。長くなりそうですものね。……それと、手紙を止めていた件は、また別で片づけますわ」
「うん、それは君に任せる。君の方がそういうのは得意だ」
「得手不得手を知っている婚約者で安心しましたわ」
どちらも、ようやく同じ場所に立てたことを分かっていた。執務室の窓の外では、何も特別でない朝の光が石畳を照らしているだけなのに、その日だけは少し違って見えた。
カタリナはそれを見つめ、静かに首をかしげる。
「……私が知っているのは、シュタイン子爵夫人があなたを大事に育てられた、ということだけです。
つまり、ここから先は知らない話、ということですね?」
「そうなるね」
リュミエールは、珍しく目を逸らさなかった。碧い瞳がまっすぐに届く。
「まず、ひとつ断っておきたい。
君が知っている、僕の母、サラは育てのは母なんだ。産みの母が別にいたんだ。
母は、僕を本当に実の子のように育ててくれた。そこは何も偽りはない。
僕もあの人を母として愛してる」
「リュミエール…」
「僕の産みの母は、母の妹だった。
僕を産んですぐに亡くなった。父親は最後まで分からなかった。
家も“聞かない”ことにした。それで、伯母と伯父が僕を引き取ってくれた」
カタリナの黒曜石のような瞳が、そこで初めてほんの少し丸くなる。
「……まあ」
カタリナは息を呑まなかった。
彼女の呼吸だけがひとつ深くなる。そこに慈悲も同情も出さないのは、彼を子どものように扱いたくないからだ。
「だから僕は、ずっと“愛されて育ったけど、自分の足場が曖昧”って感じてた。
伯父と伯母は本当に分け隔てなく接してくれたのに、頭の奥で『でも血は違う』って声が消えなかった。
君がエベルハルト家としてぴんと立っているのを見るたびに、僕は自分の出自のほうばかりを見てしまった」
そこまで言えば、さすがのカタリナも彼から目を離さなかった。
「君が侯爵家や公爵家の令息と並ぶと何も揺れないように、僕も君の隣で揺れたくなかった。
でも、僕には“父を知らない”という空白があった。
シュタイン家が新しい家だから、という以上に、自分の生まれ方そのものが分からないことが一番辛かったんだ」
リュミエールは続ける。今の彼にはもう、飄々とした軽口で包む余白がない。
「この石は、ハバナール産で母が遺したやつなんだ。
これを辿るために、僕は“留学”した。
表向きは学士院だけど、目的はずっとこっちだった」
蒼い石に触れながら、リュミエールは続ける。
「二十一年前、ハバナールの第三王子がエルディアの貴族学園に視察に来ていた。
記録にはほとんど残ってない。
けど、僕の母はその時に……その人を好きになって、向こうも母を選んだ。
短い期間だったけど、軽い気まぐれじゃなかった」
“軽い気まぐれじゃなかった”というところだけ、声がほんの少し低くなった。
そこが彼の一番の痛点だったのを、カタリナはようやくはっきり理解する。
「母は僕を産んですぐ亡くなった。
父が誰かも、家は知らないままだった。
だから僕はずっと、血のことを言われるたびに、どこかで『もしかしたら本当にそうなのかも』って思ってた。
……でも、向こうで本人に会った」
「……本人に?」
「うん。いまは政から退いてる。けど、ちゃんと生きてた。
僕の話を聞いて、母のことを覚えていて、はっきり言ったんだ。『あれは過ちではない。本気だった』って」
そこで初めて、カタリナのまぶたがゆっくり閉じた。何かを飲み込むような仕草だった。
リュミエールは続ける。今の彼にはもう、飄々とした軽口で包む余白がない。
「だから、僕の“劣等感の一番奥”はもう折り合いがついた。
僕は、たまたま生まれたんじゃない。選ばれてた。
……君にこんな話をするのは厚かましいかもしれないけど、君と婚約してからずっと、ここだけが足りなかった。
『新興だから』って陰で言われたとき、君の隣にいる自分に自信がなくなるのが嫌だった。
君に相応しい自分になりたかった」
「……それで、行かれたのですね。何も言わずに」
「そう。何も言わずに。君に心配をかけて、二年も音を途絶えさせて。
だから謝らないといけない。ごめん、カタリナ」
謝罪を真正面から口にするリュミエールは、カタリナが知っている彼より少しだけ大人になっていた。軽やかさは消えていないのに、その奥に芯の重さがある。
カタリナは首を横に振る。
「私は、あなたが“相応しくない”と思ったことなど、一度もありませんでしたわ」
「そう言うと思った」
「ただ、なぜ距離を置かれるのかは分からなかった。……そして詮索は、弱さを招くと教わって育ちましたので、深くは探らなかっただけです」
「ふふ…立派な教育だ」
冗談めかして言ってから、リュミエールは姿勢を正す。
「で――これは君に聞いておきたいことなんだけど。君の婚約者は、母の子じゃなくて伯母が育てた子でも、ハバナールの血が混ざっていても、それでもいい?」
カタリナは即座に答えた。
「お帰りになって最初に来たのは、私のところでしょう?それで十分ですわ」
それは、カタリナなりの「問題ありません」の言い方だった。彼はようやく、本当に肩の力を抜いて笑った。
「じゃあ今度は、冷める前にお茶を淹れてもらってもいい?」
「ええ。長くなりそうですものね。……それと、手紙を止めていた件は、また別で片づけますわ」
「うん、それは君に任せる。君の方がそういうのは得意だ」
「得手不得手を知っている婚約者で安心しましたわ」
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