【完結・R18】恋は一度、愛は二度

とっくり

文字の大きさ
7 / 43

7

しおりを挟む
 秋が訪れーー

 まだ薄手の上衣が必要な気候ではあったが、庭の草木は小さく芽吹き、花のつぼみもほころび始めている。

 クロードの体調も、日を追うごとに目に見えて良くなっていた。
 医師の診察も週に一度で足りるようになり、屋敷の中を杖をついて歩く姿も、今では見慣れたものとなっていた。

 アリスは、そんな彼の背を自然に追っていた。かつては介護のために、今は――ただ、隣にいたいという想いのために。

 

 ある夕暮れのことだった。

 クロードの書斎で、お茶を淹れていたアリスは、ふと机の上に開かれていた一冊の本に目をとめた。
 それは、彼が最近よく読んでいた詩集だった。

 ページの端には、小さく折り目がついている。
 指先でその頁をそっと開くと、そこにはこんな一節が記されていた。

 

【冬を越えた枝に咲く花は、
 たとえ名もなきものであれ、
 誰よりも誇らしく、うつくしい】

 

 ふと、胸の奥にあたたかいものが灯る。

 アリスは静かに頁を閉じ、そのままクロードの部屋へと足を運んだ。

 

「おや……アリス」

 寝椅子に横たわっていたクロードは、彼女の姿を見ると、微笑んだ。

 その微笑みは、あの日よりもいっそう穏やかで、柔らかかった。

「詩集を拝見しました。あの一節……とても、好きになりました」

「……あれか。君のことを思いながら、読んでいたよ」

 クロードの言葉に、アリスの胸がすっと波立つ。

「冬を越えた枝……」
「君は、そうだと思った。どんなに冷たく、過酷な風にも折れずに、ちゃんと蕾を守っていた。そんなふうに、私には見えていた」

「……そんな……」

 思わず視線を落としたアリスの指先が、小さく震えていた。けれど次の瞬間、そっとその手を取る温もりがあった。

 クロードの手だった。

「アリス。今夜、君とゆっくり話がしたい」

 その言葉に、アリスは頷いた。

 この人の隣で、歩んでいく。
 そう決めたのなら、もう逃げない。そう心に言い聞かせていた。

 

 ***

 

 その夜。

 暖炉に火が灯され、春の夜にしてはやや暖かい部屋の中で、アリスはクロードの隣に腰かけていた。

 ふたりの間には、湯気のたつハーブティと、静かな沈黙。

 けれど、それは気まずいものではなく、互いに寄り添うための余白のようだった。

「アリス」

 クロードが、静かに名を呼ぶ。

 
「私はもう、孤独ではない。君が居てくれる、それだけで、こうして生きていたいと思える」

「……男爵様」

ではなく、クロードと呼んでくれないだろうか」

「……クロードさま・・・」

「いい年齢としして照れてしまうが……ありがとう。呼んでくれて、嬉しいよ」

 クロードが微笑んだ。病で痩せていた頬は、ほんのりと肉付きが戻り、かつての端正な面差しを取り戻しつつあった。

 アリスはしばらく彼を見つめていたが、ふいに恥ずかしくなって、視線を逸らした。

 頬が熱を帯びているのを、自分でも感じていた。

 そんな彼女の様子を、クロードは静かに受け止め、クロードの手が、そっとアリスの頬に触れる。

 その掌はまだ少し骨ばっていたけれど、やさしく、震えるほどに繊細だった。

「……アリス」

 その声は、どこかためらいがちで、けれど決意を秘めていた。

 アリスは彼の顔を見つめ、そっと頷いた。

 その仕草だけで、何か大切なことを話そうとしていると感じ取れた。

「私は……君に隠していることがある。いや、隠していたわけではないが……向き合えずにいた、ことだ」

 クロードの指が、静かにシーツを掴む。
 揺れる光に照らされた横顔は、どこか影を落としていた。

「病を患って以来……私は、男としての機能を失っている。だから……君と夫婦として、身体を交わすことは、もう叶わないのだ」

 アリスは、瞬きもせずにその言葉を受け止めた。

 彼の声がかすれるほどに真摯だったから――ただ、それを聞いていた。

「もし君が、子を望むのなら……私では叶えてやれない。君の人生の中で、大きなものを奪っているのかもしれないと、そう思っていた。だから、私が本当の意味で夫になる資格があるのか、ずっと……迷っていたんだ」

 それは、悔しさでもあったのだろう。
 アリスの手の中で、クロードの言葉が、重く、沈んだ。

 しかし彼女は、ゆっくりとその手を包むように、自分の指を重ねた。

「クロード様…」

 クロードの目が、驚いたように見開かれる。

「私は……あなたのそばで、あなたと日々を過ごせていることに、幸せを感じています。あなたが生きて、微笑んでいてくれるだけで、私はもう充分なんです」

 言葉を選びながら、アリスは慎重に、しかし真っ直ぐに言葉を紡いでいく。

「たしかに、子を授かることは、ひとつの幸せかもしれません。でも、誰かを想い、誰かと寄り添い、生きていくこと――それも、私にとっては、かけがえのないものです」

 クロードの瞳が、ゆっくりと揺れた。
 その中に浮かぶ光は、感謝と、安堵と、何より深い愛情だった。

「……私と、一緒に生きてくれますか。これからも、肩を並べて。眠るときも、目覚めるときも、隣にいてください。それだけで、私は幸せです」

 アリスの言葉に、クロードは目を閉じ、深く、深く頷いた。

 そして震える手で、彼女の手をそっと握りしめる。

「……ありがとう、アリス。君の言葉は……何よりも救いだ」

「二人で、幸せに暮らしましょう。ゆっくりで、構わないから」

 クロードは微笑んだ。
 その笑みは、かつてよりもずっと柔らかく、穏やかで――どこまでも誠実だった。

 夜の帳の向こうで、春の風が静かに庭の草木を揺らしていた。
 やがて訪れる季節のように、ふたりの時間は、静かに、確かに歩きはじめていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

破滅確定の悪役令嬢ですが、魅惑の女王になりました。

専業プウタ
恋愛
中学2年の時、告白をクラスで馬鹿にされたことにより不登校になった橘茉莉花。そんな彼女を両親が心配し、高校からは海外で寮暮らしをしていた。日本の大学に進学する為に帰国したが、通学途中にトラックに轢かれてしまう。目覚めるとスグラ王国のルシア・ミエーダ侯爵令嬢に憑依していた。茉莉花はここが乙女ゲーム『誘惑の悪女』の世界で、自分が攻略対象たちを惑わす悪女ルシアだと気が付く。引きこもり時代に茉莉花はゲームをやり込み、中でも堂々としていて男を惑わす程の色気を持つルシアに憧れていた。海外生活で精神は鍛えられたが、男性不信はなおらなかった。それでも、神様が自分を憧れの悪役令嬢にしてくれたことに感謝し、必死に任務を遂行しようとする。

閨から始まる拗らせ公爵の初恋

ボンボンP
恋愛
私、セシル・ルース・アロウイ伯爵令嬢は19歳で嫁ぐことになった。 何と相手は12歳年上の公爵様で再々婚の相手として⋯ 明日は結婚式なんだけど…夢の中で前世の私を見てしまった。 目が覚めても夢の中の前世は私の記憶としてしっかり残っていた。 流行りの転生というものなのか? でも私は乙女ゲームもライトノベルもほぼ接してこなかったのに! *マークは性表現があります ■マークは20年程前の過去話です side storyは本編 ■話の続きです。公爵家の話になります。 誤字が多くて、少し気になる箇所もあり現在少しずつ直しています。2025/7

公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる

夏菜しの
恋愛
 十七歳の時、生涯初めての恋をした。  燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。  しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。  あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。  気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。  コンコン。  今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。  さてと、どうしようかしら? ※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。

記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛

三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。 ​「……ここは?」 ​か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。 ​顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。 ​私は一体、誰なのだろう?

【完結】初恋の人に嫁ぐお姫様は毎日が幸せです。

くまい
恋愛
王国の姫であるヴェロニカには忘れられない初恋の人がいた。その人は王族に使える騎士の団長で、幼少期に兄たちに剣術を教えていたのを目撃したヴェロニカはその姿に一目惚れをしてしまった。 だが一国の姫の結婚は、国の政治の道具として見知らぬ国の王子に嫁がされるのが当たり前だった。だからヴェロニカは好きな人の元に嫁ぐことは夢物語だと諦めていた。 そしてヴェロニカが成人を迎えた年、王妃である母にこの中から結婚相手を探しなさいと釣書を渡された。あぁ、ついにこの日が来たのだと覚悟を決めて相手を見定めていると、最後の釣書には初恋の人の名前が。 これは最後のチャンスかもしれない。ヴェロニカは息を大きく吸い込んで叫ぶ。 「私、ヴェロニカ・エッフェンベルガーはアーデルヘルム・シュタインベックに婚約を申し込みます!」 (小説家になろう、カクヨミでも掲載中)

政略結婚の指南書

編端みどり
恋愛
【完結しました。ありがとうございました】 貴族なのだから、政略結婚は当たり前。両親のように愛がなくても仕方ないと諦めて結婚式に臨んだマリア。母が持たせてくれたのは、政略結婚の指南書。夫に愛されなかった母は、指南書を頼りに自分の役目を果たし、マリア達を立派に育ててくれた。 母の背中を見て育ったマリアは、愛されなくても自分の役目を果たそうと覚悟を決めて嫁いだ。お相手は、女嫌いで有名な辺境伯。 愛されなくても良いと思っていたのに、マリアは結婚式で初めて会った夫に一目惚れしてしまう。 屈強な見た目で女性に怖がられる辺境伯も、小動物のようなマリアに一目惚れ。 惹かれ合うふたりを引き裂くように、結婚式直後に辺境伯は出陣する事になってしまう。 戻ってきた辺境伯は、上手く妻と距離を縮められない。みかねた使用人達の手配で、ふたりは視察という名のデートに赴く事に。そこで、事件に巻き込まれてしまい…… ※R15は保険です ※別サイトにも掲載しています

伝える前に振られてしまった私の恋

喜楽直人
恋愛
第一部:アーリーンの恋 母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。 第二部:ジュディスの恋 王女がふたりいるフリーゼグリーン王国へ、十年ほど前に友好国となったコベット国から見合いの申し入れがあった。 周囲は皆、美しく愛らしい妹姫リリアーヌへのものだと思ったが、しかしそれは賢しらにも女性だてらに議会へ提案を申し入れるような姉姫ジュディスへのものであった。 「何故、私なのでしょうか。リリアーヌなら貴方の求婚に喜んで頷くでしょう」 誰よりもジュディスが一番、この求婚を訝しんでいた。 第三章:王太子の想い 友好国の王子からの求婚を受け入れ、そのまま攫われるようにしてコベット国へ移り住んで一年。 ジュディスはその手を取った選択は正しかったのか、揺れていた。 すれ違う婚約者同士の心が重なる日は来るのか。 コベット国のふたりの王子たちの恋模様

王宮侍女は穴に落ちる

斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された アニエスは王宮で運良く職を得る。 呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き の侍女として。 忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。 ところが、ある日ちょっとした諍いから 突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。 ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな 俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され るお話です。

処理中です...