【完結・R18】恋は一度、愛は二度

とっくり

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 秋が訪れーー

 まだ薄手の上衣が必要な気候ではあったが、庭の草木は小さく芽吹き、花のつぼみもほころび始めている。

 クロードの体調も、日を追うごとに目に見えて良くなっていた。
 医師の診察も週に一度で足りるようになり、屋敷の中を杖をついて歩く姿も、今では見慣れたものとなっていた。

 アリスは、そんな彼の背を自然に追っていた。かつては介護のために、今は――ただ、隣にいたいという想いのために。

 

 ある夕暮れのことだった。

 クロードの書斎で、お茶を淹れていたアリスは、ふと机の上に開かれていた一冊の本に目をとめた。
 それは、彼が最近よく読んでいた詩集だった。

 ページの端には、小さく折り目がついている。
 指先でその頁をそっと開くと、そこにはこんな一節が記されていた。

 

【冬を越えた枝に咲く花は、
 たとえ名もなきものであれ、
 誰よりも誇らしく、うつくしい】

 

 ふと、胸の奥にあたたかいものが灯る。

 アリスは静かに頁を閉じ、そのままクロードの部屋へと足を運んだ。

 

「おや……アリス」

 寝椅子に横たわっていたクロードは、彼女の姿を見ると、微笑んだ。

 その微笑みは、あの日よりもいっそう穏やかで、柔らかかった。

「詩集を拝見しました。あの一節……とても、好きになりました」

「……あれか。君のことを思いながら、読んでいたよ」

 クロードの言葉に、アリスの胸がすっと波立つ。

「冬を越えた枝……」
「君は、そうだと思った。どんなに冷たく、過酷な風にも折れずに、ちゃんと蕾を守っていた。そんなふうに、私には見えていた」

「……そんな……」

 思わず視線を落としたアリスの指先が、小さく震えていた。けれど次の瞬間、そっとその手を取る温もりがあった。

 クロードの手だった。

「アリス。今夜、君とゆっくり話がしたい」

 その言葉に、アリスは頷いた。

 この人の隣で、歩んでいく。
 そう決めたのなら、もう逃げない。そう心に言い聞かせていた。

 

 ***

 

 その夜。

 暖炉に火が灯され、春の夜にしてはやや暖かい部屋の中で、アリスはクロードの隣に腰かけていた。

 ふたりの間には、湯気のたつハーブティと、静かな沈黙。

 けれど、それは気まずいものではなく、互いに寄り添うための余白のようだった。

「アリス」

 クロードが、静かに名を呼ぶ。

 
「私はもう、孤独ではない。君が居てくれる、それだけで、こうして生きていたいと思える」

「……男爵様」

ではなく、クロードと呼んでくれないだろうか」

「……クロードさま・・・」

「いい年齢としして照れてしまうが……ありがとう。呼んでくれて、嬉しいよ」

 クロードが微笑んだ。病で痩せていた頬は、ほんのりと肉付きが戻り、かつての端正な面差しを取り戻しつつあった。

 アリスはしばらく彼を見つめていたが、ふいに恥ずかしくなって、視線を逸らした。

 頬が熱を帯びているのを、自分でも感じていた。

 そんな彼女の様子を、クロードは静かに受け止め、クロードの手が、そっとアリスの頬に触れる。

 その掌はまだ少し骨ばっていたけれど、やさしく、震えるほどに繊細だった。

「……アリス」

 その声は、どこかためらいがちで、けれど決意を秘めていた。

 アリスは彼の顔を見つめ、そっと頷いた。

 その仕草だけで、何か大切なことを話そうとしていると感じ取れた。

「私は……君に隠していることがある。いや、隠していたわけではないが……向き合えずにいた、ことだ」

 クロードの指が、静かにシーツを掴む。
 揺れる光に照らされた横顔は、どこか影を落としていた。

「病を患って以来……私は、男としての機能を失っている。だから……君と夫婦として、身体を交わすことは、もう叶わないのだ」

 アリスは、瞬きもせずにその言葉を受け止めた。

 彼の声がかすれるほどに真摯だったから――ただ、それを聞いていた。

「もし君が、子を望むのなら……私では叶えてやれない。君の人生の中で、大きなものを奪っているのかもしれないと、そう思っていた。だから、私が本当の意味で夫になる資格があるのか、ずっと……迷っていたんだ」

 それは、悔しさでもあったのだろう。
 アリスの手の中で、クロードの言葉が、重く、沈んだ。

 しかし彼女は、ゆっくりとその手を包むように、自分の指を重ねた。

「クロード様…」

 クロードの目が、驚いたように見開かれる。

「私は……あなたのそばで、あなたと日々を過ごせていることに、幸せを感じています。あなたが生きて、微笑んでいてくれるだけで、私はもう充分なんです」

 言葉を選びながら、アリスは慎重に、しかし真っ直ぐに言葉を紡いでいく。

「たしかに、子を授かることは、ひとつの幸せかもしれません。でも、誰かを想い、誰かと寄り添い、生きていくこと――それも、私にとっては、かけがえのないものです」

 クロードの瞳が、ゆっくりと揺れた。
 その中に浮かぶ光は、感謝と、安堵と、何より深い愛情だった。

「……私と、一緒に生きてくれますか。これからも、肩を並べて。眠るときも、目覚めるときも、隣にいてください。それだけで、私は幸せです」

 アリスの言葉に、クロードは目を閉じ、深く、深く頷いた。

 そして震える手で、彼女の手をそっと握りしめる。

「……ありがとう、アリス。君の言葉は……何よりも救いだ」

「二人で、幸せに暮らしましょう。ゆっくりで、構わないから」

 クロードは微笑んだ。
 その笑みは、かつてよりもずっと柔らかく、穏やかで――どこまでも誠実だった。

 夜の帳の向こうで、春の風が静かに庭の草木を揺らしていた。
 やがて訪れる季節のように、ふたりの時間は、静かに、確かに歩きはじめていた。

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