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深まる午後の光に照らされながら、アリスを乗せた馬車が、シュヴァリエ公爵家の門をくぐった。
招待状には、こう記されていた――「ぜひ一度、我が家の食卓に」。
それがどれほどの意味を持つか、アリスにはよくわかっていた。名門の、それもノエルの両親がそろって待つ家へ招かれるということ。その緊張は、馬車の揺れに乗って、じわじわと胸に広がっていた。
(……きちんとご挨拶ができるかしら)
館の扉が開き、柔らかい笑顔でテレーゼが迎えに現れた瞬間、その不安はすこし和らいだ。
「ようこそいらしてくださったわね、アリスさん。今日はゆっくり楽しんでいってくださいな」
案内されたサロンには、もう一人の姿があった。
「……初めまして、エルウッド夫人。ギルベール・シュヴァリエです」
威厳ある声音と、まっすぐな視線。堂々たる体躯に端正な顔立ち。噂に違わぬ、シュヴァリエ家の現当主。だがその眼差しには、どこか優しい温もりもあった。
アリスは緊張に手を小さく震わせながらも、深く一礼する。
「初めまして。クロード財団の、アリス・エルウッドと申します。本日はお招きいただき、光栄です」
「うむ……。顔を上げなさい。今日はただの晩餐だ。かしこまる必要はない。……それに、ノエルの話は聞いている。君の働きぶりも、財団の評判もね。立派なものだ」
「……ありがとうございます」
胸の奥が熱くなった。ギルベールの言葉は、決して軽くなかった。それだけに、アリスは頷くしかなかった。
そのとき、ノエルが姿を現した。
「遅れてしまって、申し訳ありません」
落ち着いた声でそう言いながら、彼はアリスの隣に腰を下ろす。
明らかに緊張している彼女に気づいたのだろう。ナプキンを静かに膝に広げつつ、テーブルの下でそっと彼女の指先に触れる。
ただそれだけの仕草だったが、アリスのこわばっていた肩の力が、わずかに抜けていった。
「安心して。君がどんな人か、僕の家族はきっとわかってくれるよ。だって、僕が誰よりも君を大切に思ってるから」
その言葉に、アリスの胸にすっと風が通った気がした。
やがて晩餐が始まると、雰囲気は驚くほど和やかだった。
晩餐の途中、テレーゼはグラスを持ち上げながら、さりげなくアリスへ視線を送った。
「お口に合っているかしら? 若い方には、宮廷風の味付けは少し重たいかもしれなくて」
アリスは微笑み、静かに答える。
「いいえ、とても美味しくいただいております」
テレーゼは満足そうに頷いた。
「それならよかったわ。……おもてなしは、“その人を知ること”から始まるものだから」
「お気遣い、ありがとうございます」
アリスが礼を述べると、テレーゼが口元をほころばせた。
「まあ、やっぱり素敵な方ね」
視線の先では、ノエルがいつになく穏やかな表情で、アリスの言葉一つひとつに反応していた。静かに、時に誇らしげに。
ギルベールも、静かに笑みを漏らす。
「……ノエルがこんな顔をするのは、いつぶりた?」
その言葉に、ノエルは少し咳払いしつつも、堂々と言った。
「大切な人ですから」
静寂が、テーブルを包む。
だがその静けさは、決して重苦しいものではなかった。
しばしの間をおいて、テレーゼが口を開く。
「それなら、そろそろ正式に“ご縁”を整えてもいいのではなくて?」
その言葉に、アリスの心臓が跳ねた。
ノエルも眉を動かしながら、だが真っ直ぐな声で言う。
「その話は、アリスとふたりで大切に決めたいんです。時が来たら、僕からちゃんと伝えさせてください」
凛とした、確固たる意思の声だった。
驚きと共に、アリスはノエルを見つめた。ノエルも真っ直ぐに、アリスを見つめていた。
柔らかくも熱の籠った、その眼差しに、アリスの胸が静かに揺れる。
その眼差しには、初めからあった想いが、さらに強く、確かな形となって宿っていた。
迷わず、ためらわず、ただアリスという存在をまるごと受け止めようとする意志が、そこにあった。
それだけで、十分だった。アリスの心に、温かな何かが満ちていくのを感じた。
(私のことを、こんなふうに守ってくれる……)
心が揺れた。いま、目の前の人と、まっすぐに向き合いたいと強く思った。
「……私も、ノエル様と、これからを共に歩んでいきたいと、心から思っています」
小さな声だったが、その一言は、晩餐の席にいる全員にしっかりと届いていた。
テレーゼは満足げに笑い、ギルベールは頷いた。
「よし。いい晩餐だったな。……アリス君、また近いうちに話をしよう」
それは、未来を迎え入れる者の言葉だった。
***
そして夜、帰路につく馬車の中。
アリスはシュヴァリエ公爵家の馬車に乗り、ノエルのエスコートで邸へと送られていた。
窓の外に輝く星々が、まるで二人の心の高鳴りを映し出すかのように煌めいている。
アリスは静かに星空を見上げ、震える声で囁いた。
「……やっと、ちゃんと私の気持ちを伝えられた気がします」
その言葉を聞いたノエルは、我慢していた想いが一気に溢れ出すようにアリスの手を強く握り締めた。
「アリス、君を想う気持ちは止められない。ずっと、君だけを見つめてきた。今も、これからも、全てをかけて守りたい」
その熱く切実な言葉に、アリスの頬に熱い涙がこぼれ落ちる。
ノエルはそっと彼女の顔を手で包み込み、深く見つめ合った後、ゆっくりと唇を重ねる。
そのキスは熱く、まるで世界が二人だけのものになるかのような甘美な瞬間だった。
アリスはその熱に身を委ね、心の奥底から満たされていくのを感じる。
「アリス……愛してる。誰よりも、何よりも」
アリスは頬を染め、ゆっくりと微笑む。その瞳に映るのは、ただ一人、彼だけ。
「私も……ノエル様を、心から愛しています」
ふたりの言葉が重なるたび、胸の奥が優しく満たされていく。
寄り添うぬくもりが、まるで未来そのものを包むように、そっと、確かに心を結びつけていた。
招待状には、こう記されていた――「ぜひ一度、我が家の食卓に」。
それがどれほどの意味を持つか、アリスにはよくわかっていた。名門の、それもノエルの両親がそろって待つ家へ招かれるということ。その緊張は、馬車の揺れに乗って、じわじわと胸に広がっていた。
(……きちんとご挨拶ができるかしら)
館の扉が開き、柔らかい笑顔でテレーゼが迎えに現れた瞬間、その不安はすこし和らいだ。
「ようこそいらしてくださったわね、アリスさん。今日はゆっくり楽しんでいってくださいな」
案内されたサロンには、もう一人の姿があった。
「……初めまして、エルウッド夫人。ギルベール・シュヴァリエです」
威厳ある声音と、まっすぐな視線。堂々たる体躯に端正な顔立ち。噂に違わぬ、シュヴァリエ家の現当主。だがその眼差しには、どこか優しい温もりもあった。
アリスは緊張に手を小さく震わせながらも、深く一礼する。
「初めまして。クロード財団の、アリス・エルウッドと申します。本日はお招きいただき、光栄です」
「うむ……。顔を上げなさい。今日はただの晩餐だ。かしこまる必要はない。……それに、ノエルの話は聞いている。君の働きぶりも、財団の評判もね。立派なものだ」
「……ありがとうございます」
胸の奥が熱くなった。ギルベールの言葉は、決して軽くなかった。それだけに、アリスは頷くしかなかった。
そのとき、ノエルが姿を現した。
「遅れてしまって、申し訳ありません」
落ち着いた声でそう言いながら、彼はアリスの隣に腰を下ろす。
明らかに緊張している彼女に気づいたのだろう。ナプキンを静かに膝に広げつつ、テーブルの下でそっと彼女の指先に触れる。
ただそれだけの仕草だったが、アリスのこわばっていた肩の力が、わずかに抜けていった。
「安心して。君がどんな人か、僕の家族はきっとわかってくれるよ。だって、僕が誰よりも君を大切に思ってるから」
その言葉に、アリスの胸にすっと風が通った気がした。
やがて晩餐が始まると、雰囲気は驚くほど和やかだった。
晩餐の途中、テレーゼはグラスを持ち上げながら、さりげなくアリスへ視線を送った。
「お口に合っているかしら? 若い方には、宮廷風の味付けは少し重たいかもしれなくて」
アリスは微笑み、静かに答える。
「いいえ、とても美味しくいただいております」
テレーゼは満足そうに頷いた。
「それならよかったわ。……おもてなしは、“その人を知ること”から始まるものだから」
「お気遣い、ありがとうございます」
アリスが礼を述べると、テレーゼが口元をほころばせた。
「まあ、やっぱり素敵な方ね」
視線の先では、ノエルがいつになく穏やかな表情で、アリスの言葉一つひとつに反応していた。静かに、時に誇らしげに。
ギルベールも、静かに笑みを漏らす。
「……ノエルがこんな顔をするのは、いつぶりた?」
その言葉に、ノエルは少し咳払いしつつも、堂々と言った。
「大切な人ですから」
静寂が、テーブルを包む。
だがその静けさは、決して重苦しいものではなかった。
しばしの間をおいて、テレーゼが口を開く。
「それなら、そろそろ正式に“ご縁”を整えてもいいのではなくて?」
その言葉に、アリスの心臓が跳ねた。
ノエルも眉を動かしながら、だが真っ直ぐな声で言う。
「その話は、アリスとふたりで大切に決めたいんです。時が来たら、僕からちゃんと伝えさせてください」
凛とした、確固たる意思の声だった。
驚きと共に、アリスはノエルを見つめた。ノエルも真っ直ぐに、アリスを見つめていた。
柔らかくも熱の籠った、その眼差しに、アリスの胸が静かに揺れる。
その眼差しには、初めからあった想いが、さらに強く、確かな形となって宿っていた。
迷わず、ためらわず、ただアリスという存在をまるごと受け止めようとする意志が、そこにあった。
それだけで、十分だった。アリスの心に、温かな何かが満ちていくのを感じた。
(私のことを、こんなふうに守ってくれる……)
心が揺れた。いま、目の前の人と、まっすぐに向き合いたいと強く思った。
「……私も、ノエル様と、これからを共に歩んでいきたいと、心から思っています」
小さな声だったが、その一言は、晩餐の席にいる全員にしっかりと届いていた。
テレーゼは満足げに笑い、ギルベールは頷いた。
「よし。いい晩餐だったな。……アリス君、また近いうちに話をしよう」
それは、未来を迎え入れる者の言葉だった。
***
そして夜、帰路につく馬車の中。
アリスはシュヴァリエ公爵家の馬車に乗り、ノエルのエスコートで邸へと送られていた。
窓の外に輝く星々が、まるで二人の心の高鳴りを映し出すかのように煌めいている。
アリスは静かに星空を見上げ、震える声で囁いた。
「……やっと、ちゃんと私の気持ちを伝えられた気がします」
その言葉を聞いたノエルは、我慢していた想いが一気に溢れ出すようにアリスの手を強く握り締めた。
「アリス、君を想う気持ちは止められない。ずっと、君だけを見つめてきた。今も、これからも、全てをかけて守りたい」
その熱く切実な言葉に、アリスの頬に熱い涙がこぼれ落ちる。
ノエルはそっと彼女の顔を手で包み込み、深く見つめ合った後、ゆっくりと唇を重ねる。
そのキスは熱く、まるで世界が二人だけのものになるかのような甘美な瞬間だった。
アリスはその熱に身を委ね、心の奥底から満たされていくのを感じる。
「アリス……愛してる。誰よりも、何よりも」
アリスは頬を染め、ゆっくりと微笑む。その瞳に映るのは、ただ一人、彼だけ。
「私も……ノエル様を、心から愛しています」
ふたりの言葉が重なるたび、胸の奥が優しく満たされていく。
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