【完結・R18】祈りより深く、罪より甘く

とっくり

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 翌週。
 診療所の扉を開けた瞬間、セラはいつもと違う── 刺すような空気 を感じた。

 助手たちが手を止め、ほんの一秒だけセラを見て、すぐに視線を逸らす。

 まるで「見なかったことにしよう」とするようにしている。

「おはようございます」
「………」
 セラが挨拶をしても、一瞥しただけだった。




 午前中の診療。
 診療所は最も混み合う時間帯で、受付前の待合室には十数名の婦人たちが座っていた。

 受付近くの薬品室にいたセラは、薬棚の前で在庫を確認しながら、今日の患者の流れを見守っていた。

 薬草の瓶を抱え、受付の前を通ろうと薬品室から出た、その瞬間。

 待合いの空気が、ぴたりと止まった。

 婦人たちの視線が──
 まるで縫いとめるようにセラへ向けられた。

「……あの薬師さんに当たらないといいわね」
「名前、なんて言ったかしら」
「セラ、とかいう……」
「そうそう、“処方を倍量にする”って噂の……」

 薬瓶を持つ指先が、かすかに震えた。

(……え?)

 喉がひくりと動き、呼吸が浅くなる。

 セラはただ、薬棚から受付の前を歩こうとしていた、それだけなのに──
 視線の重さに足が止まってしまう。

 そのとき、受付係が声を上げた。

「──次の方、どうぞ。ミネルバ様」

 呼ばれた婦人は立ち上がりかけたが、セラの姿を見ると、ピタリと動きを止めた。

 そして受付の女性の耳元に、わざと聞こえるような声量で囁く。

「ごめんなさい……その……別の薬師にしていただける? あの方だけは、ちょっと……」

 露骨すぎる拒絶だった。

 受付の娘が困惑したようにセラを見る。
 視線の意味が痛いほどわかる。
 セラはかすかに微笑んで、静かに首を振った。

「……大丈夫。イーサンかルネにお願いして」

 声を出すだけで苦しかった。
 微笑みを作る唇が、わずかに震えた。

 婦人は安心したように胸を撫で下ろし、席に戻りながら別の婦人へ囁く。

「ほら……やっぱり何かあったら怖いじゃない」
「診療所なのに、薬で体調崩したら困るものね」
「わかるわ。例の……フェルディナン家の大奥様だって……ねぇ?」

 最後の「大奥様」の言葉が鋭く耳に刺さる。
 セラが下を向いた瞬間、待合室にいる全員の視線が、一斉に 彼女へ突き刺さった。

 そしてすぐ、氷のように冷たく逸らされていった。

 セラは薬瓶を胸に抱きしめ、ひとつだけ深く、苦しい息を飲みこんだ。

 薬品室から調合室に移動し、薬草を刻んでいると、セラの隣にいた助手がさりげなく距離を置いた。

 ほんの数センチだったが、でも、その僅かな距離が、まるで溝のように深く感じた。

「……ここ、手狭だから」

 セラの顔を見るでもなく、一言だけ述べられる。理由が上辺だけなのは明白だった。
 彼女は、セラの手元を見ないようにしていた。別の助手たちは、セラが近づくたびに声をひそめる。

「ほら、また来た」
「仕事、ちゃんと見たほうがいいんじゃない?」
「院長先生も、さぞ困ってるわよね」

 聞こえないふりをしても、耳は鮮明に拾ってしまう。

 喉の奥がひりひりした。



 昼休憩。
 診療所の奥――石壁に囲まれた小さな休憩室には、暖炉の火がぱちりと音を立て、
卓上にはそれぞれの持参した簡素な昼食が並んでいた。

 セラは持参した革袋から包みを取り出し、冷めかけたスープと黒パンの小さな昼食を静かに広げた。

 胸の奥で渦巻く不安が重く、木匙を握る手はわずかに震えていた。

 その時、いつもの明るい声が弾む。

「セラ、一緒に食べよ?」

 ルネが笑顔で近づき、続いてイーサンも椅子を引いてセラの隣に腰を下ろした。

「今日の午前中は混んでいたわね」
「冬だからな。皆、咳や熱で来るんだ。
診療所も大忙しだ」

 二人だけは、周囲の空気に流されず、昔と変わらない距離でいてくれる。

「イーサンは午後、往診でしょ?」
「ああ。この先の商会の会長が寝込んでいてな。アラン先生じゃなく、薬師の調合がいいって希望らしい。だから俺が行くことになった」

 その会話にうんうんと頷きながら、セラはふと休憩室を見渡した。

 ――同僚たちが、こちらをじっと見ている。

 視線が合うと、慌てて逸らされる。
 胸の奥がわずかに締めつけられる。

「セラは?午後は往診?」
「……今日は診療所にいるわ」
「私も!じゃあ二人で頑張りましょう」

 ルネが明るく話題を振ったその時――

 休憩室の隅にいた同僚たちが、手を口元に寄せて、ひそひそと囁き合う声が耳に落ちた。

「見て……またあの薬師と一緒に」
「巻き添えにならないといいけど……」
「ほんと、あの夫婦って空気読めないわ……」

 セラの指が、持っていた木匙をわずかに落としそうになった。

 イーサンの眉がぴくりと跳ねる。

「おい、聞こえてんだけど?」

 怒りを抑えきれず立ち上がりかけた瞬間、ルネが強く腕を引いて制した。

「やめて!……セラが余計にやりづらくなるでしょう」

 その一言が、胸に痛く響く。

(……私のせいで……ルネとイーサンまで……)

 セラは視線を落とし、黒パンを指でちぎった。だが、口に運んでも味は砂のように乾いていた。

 暖炉の火は暖かいのに、心の中だけが、ひどく冷えていく。

 イーサンは悔しさを噛みしめるように拳を握り、ルネはそっとセラの手に触れてきた。

「大丈夫よ。……セラは堂々としていれば良いのよ」

 ルネのその優しささえ、胸をちくりと刺した。

(二人に迷惑をかけてしまう‥…)

 昼休憩は、温かいはずなのに、セラだけが、深い孤独の底に沈んでいくようだった。


***

 翌日の診療所。

 午前中の診療が始まった途端――受付で患者の声があがった。

「……すみません、今日の調合もにお願いできますか」

 セラの胸がぎゅっと縮む。
 続けざまに、次の患者が続く。

「前回の薬が……その……ちょっと強すぎて。悪いけれど、他の方に」

 さらに、三人目が申し出てきた。

「申し訳ないけど、あの薬師さん……最近評判が……ね……」

 視線は直接向けられないのに、恐怖と猜疑の気配だけが突き刺さる。

 不意に、背後からアラン医師の低い声が落ちた。

「セラ……すまない」

 振り向いたアランの表情は、深い困惑と苦しみに歪んでいた。

「噂の出処は掴めない。だが……患者がこれほど不安を抱えている状況では、君を前に出すわけにはいかない」

「……アラン先生…」

「わかっている。私が一番、君を信じている。ただ……診療所の運営上、噂が収まるまで……しばらく休みを取ってほしい」

 まるで、地面が抜け落ちたようだった。

「……お休み……ですか……?」

 セラの声がかすれる。
 返事をしながら、自分の声が自分のものに聞こえなかった。

 アランはセラの肩に手を置き、言葉を慎重に重ねた。

「これは懲罰ではない。君を守るためでもある。……どうか、理解してくれ」
「……っ」

 セラは肩を落とし、小さく頭を下げた。

「……わかりました。ご迷惑おかけして申し訳ありません…」

 セラは顔色をなくしていた。
 その言葉を残し、静かに診療所を後にした。

 扉の外の冷たい空気が触れた瞬間、胸の奥で何かがぽきりと折れたような気がした。

 

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