【完結・R18】祈りより深く、罪より甘く

とっくり

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 朝の光が、薄いカーテンを通して室内に差し込んでいた。

 ジュールは、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。
 天井がはっきりと見え、身体の輪郭が自分のものだと分かる。

 ――意識が、戻っている。

「……」

 喉が渇いていた。
 身体は重いが、昨日までの朦朧とは明らかに違う。

 そのとき、視界の端で人影が動いた。

「……ジュール?」

 聞き慣れた愛しい声だった。

 振り向いた先に、セラがいる。
 椅子に腰かけ、布を畳んでいた手を止めて、こちらを見ている。

「……起きた?」

 その声は、驚きと安堵が混じっていた。

「……セラ……」

 掠れた声で名を呼ぶと、セラは一瞬、息を詰め――それから、はっきりと笑った。

「よかった……昨日よりも意識がはっきりしているわ」

 その表情を見た瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。

「……セラ…心配をかけて、すまなかった」

 ジュールはそう言って、視線を伏せる。

「それと……君に、つらい思いをさせた」

 セラは首を横に振った。

「今は、そんなことを言う時間じゃないわ。ちゃんと目が覚めたことを喜びましょう」

 けれど、ジュールは譲らなかった。

「……聞かせてほしい。君が、この一年、どうしていたのか」

 セラは少しだけ迷い、それから椅子を引き寄せた。

「……実は…修道院に、身を寄せていたの」

「修道院……」

 一瞬、ジュールの表情が強張る。

「……修道女に?」

「いいえ」

 セラはすぐに否定した。

「そういう形ではないわ。薬師として、手伝いをしていただけ」

 その言葉に、ジュールの肩から力が抜けた。

「……そうか……」

 安堵を隠さない様子に、セラは小さく微笑む。

「あなたは?」

 セラが、ためらうように、けれど逃げずに尋ねた。

 ジュールは一瞬、視線を落とした。
 答えるまでに、ほんのわずかな沈黙があった。

「……君の行方を探しながら……」

 言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。

「一年前から、フェルディナン家を出て、一人で暮らしている」

「一年前……から?」

 思わず、セラの声がわずかに上ずった。

「ああ…」

 ジュールは小さく頷いた。

「……レアに離縁してほしいと伝えた。……だが、まだ認められてはいないんだ」

 そこで、言葉が途切れる。
 指先が、無意識にシーツを握りしめていた。

「……それでも」

 顔を上げ、セラを見る。

「もう、あの家には戻らない」

 声は低く、揺らぎがなかった。

 華やかな屋敷も、婿養子として与えられた立場も、そこで生きるはずだった未来も――

 すべてを背に置いた覚悟が、その短い言葉に詰まっていた。

 セラは、胸の奥が静かに締めつけられるのを感じながら、何も言えずに彼を見つめていた。

 しばらくジュールの顔を見つめ、胸の奥に浮かんだ問いが、喉までせり上がる。

(……なぜ、そこまで……)

 けれど、その言葉は口にはならなかった。

 今、聞いてしまえば――自分の足元が崩れてしまいそうだったから。

 そのときだった。

 控えめなノックの音がして、寝室の扉が開いた。

「お邪魔するよ。朝食を持ってきたんだ」

 マルタが、盆に乗せた椀と皿を持って入ってきた。寝台の脇に小さな卓を引き寄せ、手際よく並べていく。

 湯気の立つミルク粥。
 刻んだ野菜の入った柔らかな煮込み。
 そして、もう一膳。

「……私の分も?」

 セラが思わず尋ねると、マルタは鼻を鳴らした。

「何を言ってるんだい。当たり前だろ。
看病してるあんたが倒れたら元も子もないからね!」

 そう言ってから、ジュールを見る。

「二人で食べな。冷めないうちに食べるんだよ」

「マルタ……」

 ジュールが何か言いかけると、

「何だい。あんた。文句があるなら、もっと早く元気になりな」

 ぴしゃりと言い置いて、さっさと部屋を出て行った。

 扉が閉まると、部屋には一瞬、静けさが戻る。

 セラは、小さく息を吐いて微笑んだ。

「……ふふっ…良い方ね」

「ああ」

 ジュールも、どこか照れたように笑う。

「マルタには、よく叱られるけどね。食べろ、寝ろ、無理するなって」

「ふふ……」

 椀を手に取りながら、セラが首を傾げる。

「厳しいけれど、優しい人だわ」

「最初はね」

 ジュールは苦笑した。

「貴族の男が一人で住むなんて怪しいって、ずいぶん疑われた。“愛人でも囲う気かい”って、嫌味もたっぷりだったよ」

「まあ……」

「洗濯も料理もできないから、教えてほしいって言ったら、最初は呆れられてね」

 思い出すように、目を細める。

「でも、そのうちに…だんだん口うるさく世話を焼くようになった」

「それ、気に入られたのね」

「そうみたいだ。最近は、母親みたいな顔で睨まれる」

 その言い方がおかしくて、セラはくすりと笑った。

「ジュール、怒られている姿が想像できるわ」

「ふふっ…ひどいな」

 そう言いながら、ジュールも笑う。

 匙を動かし、少しずつ粥を口に運ぶ。
 その動きはまだ覚束ないが、着実に回復の兆しを見せていた。

「美味しいわ。優しい味がする」 

 セラが感心していると、ジュールも頷く。

 並んで同じものを口にする。
 それだけのことなのに、心が静かに満たされていく――その事実に、二人は改めて気づく。

 セラは、湯気の向こうで微笑むジュールを見つめる。

(……少しずつでいい)

 答えも、言葉も、まだ先でいい。

 今はただ、こうして同じ時間を過ごせることが、胸の奥に、静かな温もりを残していた。



*あけましておめでとうございます。
今年もマイペースに更新していきますので、お付き合いいただけたら幸いです。


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