その人形に魂は宿っていますか?

プロテインD

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もう一度、聞きます。

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 実際世間では、科学信仰が強いせいで「科学的に解明されたから絶対だ!」という非科学的な事を盲信している風潮にあります。

 そもそも科学とは、観測可能な事象を観測することでしか捉えられず、その中で証明した事象は、絶対不可侵なのではなく、今現在観察した中で解明したものに対する根拠が、根拠でいられる体力がついただけなのだ。

 なので、また新しい事実が判明すれば、一気にひっくり返り、それまでの常識もいっぺんに変わるものであり、科学は絶対なのではないと、科学者達も言っている。

 つまり、科学を絶対と盲信する行為は、ほかの可能性を潰してしまう非科学的な行為そのものでしかないのです。

 そもそも、計算方式にも「ないと説明がつかない」という観測不能な変数を用いて計算をしている事も多いのです。
 簡単に言えば観測されていない『あるはずだ』と推測された、観測されていないダークマターなどがあげられますね。

 女性は、男性より色彩を多く感じ取れるそうで、見えている世界は男性よりも、少し鮮やかな世界だそうです。
 動物の像は、人間より一色多く認識できていて、私達人間より、より多くものが見えているそうです。

 この世の物事において、私達人間の視点でのみ観測できた事象でしか追求ができません。
 つまり、科学ですら絶対ではないのです。
 スピリチュアルと科学の違いは、観測したかしていないかの違いにしかない。

 この様にデカルトは、この世の中の学問全ては根拠がないものと思いました。

 しかし、彼は
『いや~でも、数学だけはガチっぽいよねー』
 と数学だけには、強い根拠を示したそうです。
 
 そこで彼は、数学的思考プロセスに基づけばこの世の真理にたどり着けるのではないか? と考えた。

 ──具体的な例をあげると

 ケーキが甘いと言う絶対的事実を1としたとき。
 ケーキが甘い→美味しい→いっぱい食べる→太る
 のように、事実をあらゆる方面から、一つずつ足していくことにより、多くの無限なる事実が観測できると考えた。

 しかし、ある時。

 ──いや、でもそもそも「ケーキが甘い」と言う事実が嘘だったら全部嘘じゃね?
 しょっぱい可能性もあるもんな……。

 という事に反事実を思いつきました。
 この絶対的事実の1という数字そのものが、嘘であったら、その後観測したもの全てが嘘だと言うことになってしまう。

 もう少し、大きく広げて話してみよう。
 そもそも、私達人間が生きているという事実は、観測された範囲での事実であり、生きているという事実に根拠はないとした場合。

 生きるとは何か? が、見出せなくなる。
 もし、生きる事と死ぬ事という事実ですら嘘であったならば、この世の中、すべての原理や真理の探究は不可能だと──彼は思いました。

 じゃあ、真実とは何か? を突き詰めていくと。

「いや、まてよ……。例え、生きている事が嘘だったとしても、今この瞬間、生きているを考えたという事実だけは、真実だ!」

 ──ゆえに、『我想うゆえに、我あり』

 さて、話をフランシーヌ人形に戻そう。
 ここで、この話を踏まえて、今これを読んでいるあなたに質問を二つ投げかけたい。

 一つ目は、このフランシーヌ人形は生きているのか? と言う問いだ。

 二つ目は、俗にいう呪いの人形達との違いは何か? と言う事だ。







 デカルトの言うの理論に基づいて推測するならば、生きていると言うものには根拠はなく、今を生きているを、考えた事実のみが真実とするなら

 フランシーヌが、生きているや、死んだ事には、本質はなく、その間に生きていたという痕跡だけが真実となる。
 つまりは、デカルト自身に残った思い出や、彼女に買え与えた洋服やオモチャなどが、唯一の真実とした。

 ゆえに、デカルトにとってフランシーヌ人形は、生きた痕跡の真実を具現化したフランシーヌそのものだ。つまり、デカルトにとってフランシーヌ人形は、生きている事になります。

 ──俗に言う呪いの人形と違いは何か?

 後天的に宿ったとされる人形達と、フランシーヌ人形には、生きた真実に体を与えたフランシーヌ人形と、もともと人形だったものに何かが宿った、という違いがあります。

 この認識の違いで、同じ人形にも関わらず、生きているか、死んでいるかの違いが読者達にもわかっていただけたと思います。

 さて、ここから筆者はあなた達読者に大きな疑問を投げかけたいと想う。

 ──あなたは、人間ですか? 人形ですか?

 は? 何言ってるの? と思いだろう。
 では、質問を噛み砕いて一つ一つ順を追って説明しよう。

 ここでは、例に「常識」という概念をあげていこうと思う。

 今、あなたが抱えているその常識は、おそらくは全国共通の共通認識か思っているはずだ。共通認識でない限り、常識には当てはまらないからである。

 では、その常識についてどの程度考えた事があるでしょうか?
 おそらくは、多くの人間は、倫理観、周りがそうだから、学校や法が定めたから、親がそう言っているから、という理由だけで常識として判断していると思われます。

 しかし、果たしてそれは本当に常識なのでしょうか?
 そもそも、常識とはなんでしょうか?
 先程の例であげると、生物的に女性と男性との間ですら色彩に違いがあります。
 育ちや、国が違うのなら、文化や教育、宗教、イデオロギーも違います。

 各家庭においてそれぞれ、自分が常識と捉えた事を教え、引き継いでいきます。

 それは本当に、共通認識でしょうか?
 本当の姿は、人の数だけ常識が存在して、完全な共通認識というものは、幻想や思い込みでしかないのです。

 例えば、正義や悪と言った、倫理観は普遍的なものだと思う方も多いと思います。
 しかし極論で話すなら、歴史を紐解くと古代や中世の戦時下において、英雄と評価される人間は、現代の人殺しの犯罪者に過ぎないのです。

 この先、日本も侵略を受けて、戦争反対として戦わない場合は、国を守らず逃げたモノと、国のために戦い敵兵を殺したモノ、どちらが英雄となるでしょうか?
 
 私達が、現代において繁栄している事実を踏まえるならば、現代の常識の視点から、あれは間違っていたと判断し、叱責したりするのは、大きな間違いでしかない。

 常識や、倫理観と言ったものですら思い込みであり、その時、その時の時代背景や環境で変化していくものなのです。
 
 古代の戦争や虐殺があったから、現代の人類が繁栄しているのも事実です。
 もし、それを間違いとするならば、人類は紛れもなく、その時、その時にベストな挙動をとり間違ってきたに過ぎません。
 
 もう一つ、大きな例を挙げてみましょう。
 例えば、ルソーが書いた著書。
 現代の民主主義の基盤になった「社会契約論」

 当時の中世の封建制において、我々一般庶民には人権というものが存在せず。貴族や王の所有物であった。
 当時のイギリスの産業革命以後、フランスは大きく衰退し、空気を吸うだけで税金が取られる空気税なるものまであり、所得の90%もの税金を取られていた。

 この時に置いて、人権のなかった一般庶民は、人権という概念を認識しておらず、今までそうだったからや、周りがそうだから、という常識に囚われていて自分の権利すら考えもしなかったのだ。
 
 ──常識だったから。

 おわかりで、あろうか? 今でこそ、私達に当たり前のように、ある人権という概念は、当時の常識の枠内で『ない事が当たり前』だったのだ。

 私は、この常識を疑わない状態を人形の状態と仮定したい。話を戻そう……。

 ルソーが書いた、社会契約論を読んだ一部の貴族階級ではない、ブルジョア達の間で啓蒙《けいもう》思想が芽生え始めた。

 この時の時代背景の大航海時代においてインディアン達との遭遇は、キリスト教支配にあった社会の根底を揺るがした。

 インディアンを見た西洋人達は、人間はアダムとイブから生まれたはずなのに、この未開の地にいる、この種族はどこから生まれたのかと疑問を示した。

 はじめて常識外と遭遇し、比較し、はじめて当時の常識を疑ったのだ。そしてブルジョア達は、ルソーの社会契約論の思想を武器にフランス革命を起こし、戦った。

 私達に人権が、初めて訪れた歴史的瞬間である。
 このように、世界の概念は認知し、拡張し、膨張していく。けして普遍なものなど、フランシーヌ人形のように痕跡しか存在しないのである。

 俗に言う倫理観も然り。
 ネットやSNSで度々見られる、その一側面のみを見て、正義を名乗り誰かを叩く行為。

 まるで、こいつは悪い奴だから、悪い事をしたから、何を言っても許されるというような、人形視点の常識から攻撃する風潮は、まるで現代版の魔女狩りだ。筆者からすれば不毛な行為でしかない。

 話を少し、ルソーに戻そう。もし、彼が社会契約論で人権を主張しなかったのなら今頃、私達に人権はきっとなかったであろうと思う。

 ルソーは、年下のメイドとの間に五人の子供が産まれたが、金銭的な理由により、五人の子供を全て孤児院に送った。
 当時のヨーロッパでは、現代のように制度などなく、奴隷などもあった社会なので、とても酷い人生になったと安易に想像ができる。

 ルソーは、紛れもなく実の子供を不幸に陥れている。しかし、彼が書いた社会契約論により、世界中の子供達や未来の私達の人権と、私達よりずっと先の未来の人権守ってくれたのも事実なのです。

 インドを独立に導いたガンジーも、家族を不幸に落としいれた。独立運動のために、自らと家族を貧乏に落とし、地獄ような生活に付き合わせた。
 進学をしたがった息子に寄付が集まり、その寄付で進学させるのかと思いきや、ガンジーは息子の寄付を取り上げて、赤の他人の子供を進学させた。

 これにより息子は、家を飛び出して、のたれ死んでしまった。しかし、独立運動を成功させ聖人として崇められている。

 人形視点で、一側面だけを見て、魔女狩りのように攻撃をすることが、どれ程無意味で虚しい事かがわかるエピソードかと思われる。

 私達の常識や価値観といったものは、思いこみに過ぎないものである。あなたの周りをよく観察してみてほしい。学校や、会社、家族や親族などの周りを見てください。
 あなたの思う、共通的で、普遍的で、常識的な、立派な人間は存在しているだろうか?

 ──だれもが、一側面のキメラである。

 人間は、一貫性を持ちたがり崇拝したがる。
 それは、神が普遍的な存在であるためと思われる。
 しかし、本当は人間に一貫性など存在しないのだ。どれだけ素晴らしい功績や実績や人格があったとしても、人間は自己矛盾を常に抱えて生きている。

 自分自身に自己矛盾を抱えているのに、他人には一貫性や、常に正しき一方向のみを求める。
 自分ですら、矛盾している生き物なのにどうして、他人にそれを求めるのか。

 ──それは、人形だからである。

 誰かを見るために、自分の常識というレンズのみで物事を見るのであれば、それはただの人形視点であり、あなたの常識を通して観測された事柄でしかない。ゆえにあなたの常識でしかない視点なのだから、本質などは見えてこない。
 そのレンズでは、いつまでたってもアナタの常識しか見えてこない。

 このレンズを相手の立場視点や、ほかの他人の視点に付け替える事により、本質に近づくものではないのだろうか?

 立ち位置の視点が変われば、価値観も変わるもの。私達が現代で正義としたことも、1000年後の視点で見た場合は、悪の根源とされている可能性もあるのです。
 ゆえに普遍的なものは、存在しない。

 デカルトのフランシーヌ人形のように、視点を変えて見た、という痕跡だけが、真実なのではないだろうか?

 もう一度、あなたに聞きたい。
 ──あなたは、人間か? 人形か?

 このような心理的な社会問題を題材に扱った私の作品『つくも神の奇妙なひとり言~トラブル・ブルース~』もカクヨムとアルファポリスで読めるので、興味を持たれた方は是非読んでみて下さい。
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