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苦痛の果てに《Ⅲ》
しおりを挟む手当たり次第に人形を潰して、辺り一帯に破片が散らばった場所で岩の上に腰を下ろしていた。
天井を見上げてから、自分の手に視線を落とす。
自分自身の血液で真っ赤に染まっていたその手で、一体何を守ろうとしていたのだろうか。
爪は剥がれ、皮膚の皮は捲れあがって肉が見えている。激痛で声を上げる筈の重症の腕の筈だが、この者に痛覚は備わっていない。
今この場で、片目の眼球が弾けようとも、腕が切り落ちたとしても、声1つ上げないだろう。
自分の手を見て、この男は過去の自分に問う。今の自分を見て、その背中は何を背負っているのか……
これから、自分はどうすれば良いのか――
これから、何をすれば良いのだろうか――
今の自分は、その『答え』を持ち合わせていない。過去の自分も、未来の自分も……。
誰1人、持ち合わせてはいない。
持ち合わせていないと勝手に決め付けて、答えを忘れている事に気付いていない。
真っ赤に染まった腕から血液が滴り落ちる。このまま眠ってしまえたら、どんなに楽なんだろうとも考えた。
再び、光を放った鉱石の影から人形が生まれる。
だが、もう立ち上がる事もしなずに、人形から聞こえる声を聞かないようにする。
すると、洞窟の中で音が聞こえてきた。
人形のとは完全に異なるその足音に、思わず顔を上げてしまう。
「暇そうだな」
「……回れ右して、とっとと失せろ」
「久しぶりの再会じゃないか……。少し話そう」
笑顔を見せて、隣へと座ろうとするのを睨んで拒否する。
「ルシウス……2度は、言わねーぞ」
体重が100はありそうなブクブクと肥え太った男《ルシウス》が、ひんやりと冷たい洞窟の中を見渡す。
「……帰れ」
忠告を無視して、ルシウスが洞窟の中に散らばった破片を手に取って眺めている。ほとんどの破片に血液が付着しており、今は乾いて固まっている。
「……消えろ。殺すぞ」
「君は、そう言った物騒な言葉しか使えないのか? 久々の再会を喜んでくれよ」
「黙れ……デブが」
項垂れたままな男の頭に、ルシウスの振り上げた拳が炸裂する。
鈍い音を上げて地面を転がり、破片の上で跳ねる。
着地を綺麗に決め、鋭い眼光をルシウスに向けてゆっくりと立ち上がる。
向かい合った2人が――静寂を切り裂く。
ギィンッ――ギィンッ――!!
まるで鋭利な金属がぶつかるような音を上げて、2人の手刀が火花を散らす。
ルシウスの淡い色のオーラを纏った手とは異なり、真っ暗なこの洞窟でも不気味で異様な程に漆黒なオーラを纏った手刀を見て、ルシウスは歯軋りする。
かつての様な姿ではない。今すぐ目を覆いたくなるほどに、変わり果てた姿。
まるで、人の姿をした化け物のように冷酷で、生気の欠片も感じられない目をした男を見て、ルシウスはさらに苛立ちを覚えた。
が、そんな感情を噛み殺し、飲み込んで、押さえ込む。親しい友人の他愛ない話でゆっくりと距離を縮める。
「……一体、いつまでそうしているつもりなんだ。2年もの時間をこんな場所に籠って……暇じゃないのかい? いい加減、散歩の1つでもしたらどうだい? それとも、部屋のベッドよりもここの地面の方が柔らかくて、気持ち良く寝れるのかい?」
「ペラペラと……。口も達者でよく回る。 体と同じで、舌も油たっぷりってか?」
姿勢を変えたのに合わせて、ルシウスがボクシングなどで使われるファイティングポーズを取る。
――が、そんなルシウスの構えを物ともしなず。意図も簡単に、豊かに実った脇腹に足の爪先が勢い良くめり込む。
音も気配も感じさせない。無音の一撃によって、口から大量の血液を吐き出す。
脂肪によって、分厚い肉の鎧が無ければ骨が瞬く間に砕けていた。
ふくよかでは無ければ容易く、枝のように体は折れ曲がっていただろう。
一歩二歩と、その場でよろめいたルシウスの顔に続け様に飛び蹴りが追撃として迫る。
鼻の骨をへし折れる音が洞窟内部で響き、血液が地面に滴り落ちる。
そのまま地面を何度か転がるルシウスに殺意に満ちた猛攻撃が降り注ぐ。
――ババババババッッ――!!
地面がスポンジケーキかのように抉れ、転がって避けるルシウスが焦りを見せる。
それほどまでに、目の前の男は巨大な猛者であった。例え、以前に比べて格段に力が劣っていたとしても――
地面を蹴って、迫り来る攻撃に合わせて拳を力を込めて突き出す。
一瞬の隙を付いた一種のカウンターが炸裂する。凄まじい轟音が響き、ルシウスの前から吹き飛ぶ人影が砂塵の中からゆっくりと何事もなかったかのように立ち上がる。
「……強いな。力を失ったとは、到底信じられん」
「うるせぇ……。お前に素手で勝った所で、何もかもが……無意味何だよ」
ルシウスが溜め息を溢す。
ただ目の前の人物から、先ほどまで満ちていた殺気が消え。争う気が失せた事を直感で感じ取ったからだ。
「君は、ここで惰眠を貪って良い立場の人じゃない。ここから直ぐに出て、国と倭を守るんじゃないのか? それが出来るのは、この国で君だけだろ!?」
――苛立ちが頂点に達し、怒りへと変貌する。
火山が噴火するかのように、手を差し出したルシウスの顔を力任せに叩いた。
骨の鈍い音が聞こえ、確かな手応えと共に拳に付着した血液を乱暴に払う。
拳1発で、100を越えるルシウスの体を遥か後方へとふっ飛ばす。
壁に背中から直撃し、瓦礫に埋もれたルシウスがゆっくりと瓦礫を退かす。
「知った風な口を……テメェに、何が分かるんだよッ!!」
男が、手を押さえて叫ぶ。
鼻を押さえたルシウスが涙目で起き上がる。
ルシウスの目の前には、頭を抱えて、もがき苦しむ。
かつて、『皇帝』と名を馳せた。最強クラスの男がいた筈であった。
しかし、実際は、無様な姿を晒しているだけであった。そんな背中を見て、ルシウスは全身に受けた殴打による痛みからの涙とは違う涙を流してしまう。
同時に、その男の情けない姿に前もって準備していた言葉や話題の全てを忘れてしまった。
「俺は、守れなかった!! 自分の命よりも大切なアイツらを――。……手が届いた。手が届く筈の直ぐ近くに俺は居たッ! 居たにも関わらずだッ!!」
ルシウスが無言で歩み寄る。目の前で膝から崩れ落ちた男を見下ろす。
かつての友であるからこそ、こんな姿は見たくなかった。だが、これがこの男の本来の姿だ。
――誰よりも、傷付きやすく。
――誰よりも、泣き虫。
――誰よりも、人を愛し。
――誰よりも、孤独を嫌う。
非常に脆く。常に苦痛と戦っている。
だから、誰よりも責任を感じている。2年もの間、1人自分を責め続けて。
「……黒くん。君は、物語で言う所の『主人公』だ。誰よりも強くて、優しくて……。そして、誰よりも自分を憎んでいる」
ルシウスが再び手を差し伸べる。
「だが……。それは、ただの自己満足だ。罪の意識から逃げようと、背を向けようとしているだけだ。『自分が悪いんです。だから、傷付けています』と、周囲ににアピールして慰めて貰いたいだけの……。ただの自己満足だ」
ルシウスが一歩前に出て、手を差し伸べ続ける。
「黒くん。本当に、君のするべき事はここでうつ向いて、泣いている事か? 一体君は、ここで何をしているんだッ!」
黒が、ルシウスの差し伸べた手を払い除ける。
怒りに呑まれた憎しみの瞳で、ルシウスの胸ぐらを掴む。
心の奥底で渦巻いていた本音が姿を現す。
「何一つ失っていないお前に、俺の何が分かる!! 良いよな……お前は、良いよな!! あの戦いで、何一つ失って無いだろッ!」
ルシウスの胸ぐらから手を離して、後ろへと突き放す。
「……何一つ、失って無いお前に俺の心が理解できるのか?」
黙ったまま俯くルシウスに黒が踵を返す。が、ルシウスの足下に涙が溢れていた事に気が付いた。
「失って無いわけ無いだろ……黒の気持ちは、僕が一番分かるよ。辛いよな。苦しいよな。恨んだよな。無力で、無能な自分を許せないよな……」
そこで、ルシウスの大粒の涙を見て、黒は思い出した。
「……嘘だろ…?」
ルシウスにも、大切な人がいた。黒とは違って、幼い頃からの大切な女性が――
そして、ルシウスの口から告げられた。黒と未来が後方で、敵の動きを警戒しつつ体勢を立て直す間。
ルシウスは前線で待機していた。ルシウスの大切な女性は、後方で支援をしていた。
あの落雷の範囲は極めて広い訳ではなかった。ただ、前線とは異なって、後方の予備軍や補給部隊は数が多かった。
その為、密集して待機をしていた後方の予備軍。範囲が狭くとも、密集していた為に落雷を食らった後方の予備軍はほとんど消し飛んだ。
当時、前線に居たルシウスは、その落雷を見て彼女の元へと走った。
だが、目に浮かぶのは落雷で消し飛んだ焼け野原だけであった。
落雷の範囲には、人の遺体は存在しない。焼け焦げた物資や衣服はあっても、遺体だけが存在しない。
あの場で、絶望したのは黒だけではなかった。
手の届く位置で失った黒。手の届かない位置で失ったルシウス――
2人は、あの大規模戦闘によって、大切な人を失っていた。
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