春のうらら

高殿アカリ

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 二人はだだっ広い食堂の間に場所を移し、久方振りの邂逅を果たした。
 埃を被った豪奢な調度品が二人の様子を静かに見守っていた。
「元気にしていた?」
 麗が切なげに微笑んでシノニムを見つめる。
 その視線に耐えられず、彼は拳を握り締めた。
 動揺と困惑がシノニムを支配する。
 このまま激情に身を任せて彼女に疑問をぶつけたくて堪らなかった。
 だが、少なくともシノニムはそうしなかった。
 彼はただ静かに息を吐いて、彼女に尋ねた。
「……俺は、ずっと魔王を探していた」
「知っているわ。私はずっとここで貴方を待っていた」
「なぜ、君がここにいるんだ。これではまるで君が……君自身が、」
「えぇ、そうよ。私が魔王なの」
 残酷にも麗は躊躇いなく言い切った。
 シノニムは強張っていた全身の力を抜いて、脱力するほかなかった。
 自身が十年間をかけて果たそうとした復讐の相手が、死んだと思っていた少女だったのである。
 それも復讐する理由を作った張本人でもあるのだ。
 とんだ皮肉だった。
 茫然自失としているシノニムは乾いた笑いを零した。
 そうすること以外に彼にできることなどなかったのだ。
「ははっ、一体どういうことなんだよ」
 顔を覆って俯いたシノニムを横目に麗は立ち上がり、話し始めた。
 どこか理路整然とした口調だった。
 彼女は打ちひしがれる幼馴染の彼に淡々と世界の真実を伝える。
 現実とは、どこまでも無機質にただ現象の連続が横たわっているだけに過ぎない。
 麗はそのことをよくよく知っていた。
「まず魔界のシステムから説明するわ。そもそも魔界は自然生成された領域ではなく、人工的に製造された領域なの。魔王はその区域の最高管理責任者の名称で、今は私がその役を担っているってわけ」
「人工的な領域だと? なぜ、そんなものを造る必要があるんだ」
「魔界の目的は主に二つ。この世界の自然系を破壊させないこと、そして魔術師を絶滅させないこと。魔界領域はこの目的のための保護施設及び研究施設なのよ。つまり、人工的に手を加えなければならないほど、この世界は不安定になってしまっている。……シノが想像しているよりもずっと、ね」
 麗の言うことが、にわかには信じがたい。
 確かに、魔術師と呼ばれる魔力を持った人間は一定数存在している。
 魔力を持たないただの人間の方が魔術師より大多数を占めることも周知の事実だ。
 だが、保護しなければならないほど絶滅に追い込まれているかと言われると、どうにも腑に落ちなかった。
 そこまで希少な能力ではないはずだ。
 実際に、世界中を冒険していたときに魔術師がシノニムのパーティに加わることもよくあったのだ。
 彼らは生まれもった魔力を使うことで、各国王からの依頼を受け魔物を討伐する。そうして生計を立てている者がほとんどだ。
 ……だが、魔界それ自体が人工領域であるのが真実ならば、魔術師たちに魔物討伐の依頼をしていた国そのものが魔界と無関係であったとは言い切れないだろう。
「どこまで計画していた? 全てか?」
 当初、魔王城に足を踏み入れた時とは違う怒りがシノニムの中に湧き始めていた。
 彼が怪訝な表情を浮かべていることに気付き、麗は話を進めた。
「ロプト草については?」
 話の転換に眉を顰めながらも、シノニムはこくりと頷いた。
「あぁ、知っている。万能な薬草だからな。薬草師や冒険者には必須だ」
 シノニムは淡い記憶の向こう側に思いを馳せた。
 祖母の薬草園にはロプト草専用の鉢植えがあった。植物に愛された彼女の緑の手がロプト草を摘み取り、逆さに吊るす。一晩寝かせ、乾燥させるのだ。
 驚くほど脆くなったロプト草が壊れてしまう前に、永久保存の魔法がかけられたすり鉢に放り込む。そして、丁寧に粉末にした後、フラスコにその土地の泉から採取した湧き水と一緒に煮込む。そうして出来るのが最も流通している回復薬なのだった。
 祖母が亡くなったあと、領主に献上していた多種多様な植物の中にもロプト草は含まれていたはずだ。
 当時は何の違和感も持たなかったが……。
「全てはロプト草から始まった。いいえ、正確にはロプト草の亜種ロプト・アルファね。本来、ロプト草は一般的な薬草であり、人々の生活の身近にあった植物よね。だけど、魔術師の存在が自然界にとって有害と見做されてしまうことで、ロプト草も彼らにとっての毒となるべく変質してしまったのよ。そうして生まれたのがロプト・アルファ。魔術師の魔力を奪い続け、死に至らしめる毒草よ」
 ふぅ、と麗は軽い溜め息を吐いた。
 ヘーゼルナッツを彷彿させる榛色の瞳がシノニムを射抜く。
「シノは本来、魔力がどこからやってくるものであるか知っているかしら」
 シノニムは素直に首を横に振る。
「土、火、雷、風、水など自然界の中で生成される巨大なエネルギーを人類は魔力と名付けた。人類の中にはそういった魔力を感知し、エネルギーのほんの一部を自由に扱える者も現れ始めた。それが魔術師の起源。つまり、彼ら自身に魔力があるわけではないの。だって魔術師とは言え、所詮は無力な人間だもの。本人の中に魔力が生み出されるはずがないのよ。あくまでも自然エネルギーを借りているだけなの。だけど長い年月が経ち、幾度も王朝や文明が衰退していく間にそういった魔術師の本質に関する知識の継承が途絶えた。彼らは自らの力で魔術を扱っていると信じて疑いもしなくなった。傲慢になった魔術師たちは自然界からの恩恵を忘れ、王家に取り入るために彼らの願いを叶え始めたの」
 ――それが自らの首を絞めることになるなんて思いもよらなかったでしょうね。
 麗の眼差しは遠い悠久の遥か彼方へと向けられていた。
「王家が常に願うことは永久の繁栄。それはつまり、自然界の開拓という手段をとることに繋がった。王家は魔術師たちを囲い、彼らに自然を破壊させた。国の領地を広げるために。それは魔界領域が出現し、魔物が村や町を襲うまでの間ずっと続いたわ。だけど、魔界領域が現れるよりも前に、自然界の反逆は既に起きていたの。それがロプト・アルファ。魔術師の体内にある魔力を枯渇させる性質を持つその植物は、ゆっくりとけれども確実に彼らの背後に忍び寄っていた。強靭で強かなロプト・アルファは善良なロプト草に紛れて街中あちらこちらに生息地を拡大させていたわ。やがて、ロプト・アルファが街の中枢を覆いつくしたとき、魔術師の持つ魔力は枯れ果て、彼らは死に至る。今は魔物による自然界への魔力供給を行い、魔術師たちを生き永らえさせているわ。けれど、それもいつまで持つかは分からない。明日にでも魔術師たちが全滅してもおかしくないのが、この世界の本当の姿なのよ」
「君がそのことを知っている理由が知りたい」
 シノニムの言葉に直接的に答えず、麗は話を続けた。
 彼女曰く、こういうことらしい。
 ここから見える、輝く星々のひとつに地球という名の惑星があった。
 そこに住んでいた人々は長い年月をかけ、別の知的生命体の住む惑星を見つけた。
 ほとんど人類と同じ知的生命体が生息するその惑星には、魔法の存在を感知し、それを扱うことの出来る者が存在していることも分かった。
 地球人はその事実に驚き、そして喜んだ。
 なぜなら、魔術師が存在している生態系はかつての古き良き時代の地球の姿と酷似していたから。
「私たち地球人も昔は魔法を使えていたのよ」
 麗は当たり前のようにそう言った。
 再度驚くシノニムを置き去りに、惑星地球の物語は続いていく。
 調査を進めていくうちに、次第にその惑星で行われていた自然界の魔力の在りように地球人は顔を青ざめさせた。
 このままでは地球と同じ道を辿る、その真実に気が付いてしまったのだ。
 自然破壊が止まらなければ、魔法の根源たる魔力そのものも断たれてしまう。
 魔術師の絶滅後、地球人が発展させた技術のひとつである高性能演算機によるシミュレーションの結果、最悪の未来が観測されたのだ。
 地球人は黙って惑星が滅びていく様を見ていられず、惑星内に「魔界領域」を設立することにした。自然界にある魔力の回復及び魔術師の保護を目的とした機関の誕生である。
 そして、この機関の現最高権限者が麗なのであった。
 こんがらがった頭でそれでもシノニムにはひとつ確実に分かったことがある。
「それじゃあ君は……この世界の人間ではないということ?」
「そういうことになるわね」
 どこか悲しそうな顔をして麗は笑っていた。
 このとき何故彼女がそんな表情をしているのか理解できず、シノニムは違和感を覚えた。
 しかし、麗の話はまだ終わらない。次に彼女が話したのは魔界領域機関についての話だった。
「最初、機関の活動は隠密なものだった。私たちの技術で、魔力を帯びさせた人工機械を作り出したの。それが魔物。魔物を一定量世に放つことで、国家や魔術師たちの目を魔物に向けさせた。自然破壊の歯止めくらいにはなったかしら。同時に、人工の魔力を付随させた魔物の心臓部を希少価値の高い素材として魔術師の間に流通させた。守りの加護があると付け加えてね。それ以降、彼らは魔物を狩る度に、心臓部をアクセサリーにして携帯するようになった。実際、心臓部を身につけることで、魔術師たちの間で流行していた原因不明の不可解な死がぴたりと収まった。魔物の心臓部に内蔵された人工魔力が魔術師たちの身体に流れ込む仕組みを作ったのよ。魔術師たちの死因が魔力不足だったから」
 麗は立ち上がり、テラスへと出ていった。
 シノニムも話の続きを聞くために彼女の後をついていった。
 テラスの向こう側には、魔界が一望できた。
 禍々しい色をした森や不気味な鳴き声があちらこちらから聞こえてくる。
 だが、その様相がシノニムに与える印象は少し変化し始めていた。
「……これが人工物」
 シノニムの呟きに麗は頷きを返した。
 あくまでも冷静な麗の横顔が、これが現実なのだと否応なくシノニムに教えてくる。
「魔物は人工魔力の受け渡しのためだけに存在しているわけではないのよ」
 ふわりと笑って、彼女は森の中を指差した。
 その人差し指の先に視線を向けると、魔物たちがせっせと森の中の木々を駆けまわっていくのが見えた。
 その景色はどこか牧歌的で純粋な印象をシノニムに与えた。
「魔物たちには、半ば本能的に生態系を元に戻すための行動を起こすようなプログラムを入れてあるの。魔術師への定期的な魔力供給のほか、自然界の回復機能としても魔物は存在しているってことね」
「だけど、特別なことをしているようには見えないが」
 シノニムの疑問に麗は瞼を瞬かせた。
「ええ、そうね。魔物たちは一種の動物として当たり前の行動をしているに過ぎないわ。だってそれこそがこの惑星のあるべき姿だもの。魔術師たちが数多もの植物や動物を殲滅しなかった場合の本来の姿だもの」
「……本当のあるべき姿、か」
 麗の言っていることは至極真っ当なようでいて、けれども素直に信じることは出来なかった。
「だけど一つだけ問題もあるの。私たちが提供できるのはあくまでも人工魔力だから。どうしても応急処置にしかなり得ないし、副作用の可能性もあり、あまり供給過多にすることも出来ない。こうして話をしている間にもゆるやかにこの世界は破滅に向かっているわ」
 これでおしまいだと言わんばかりに、背を向けて城内へと戻る麗の背中にシノニムは声をかけた。
「……魔物に襲われて死んだ人間のことはどう説明するつもりだ」
「機関の活動がある程度安定してくると、今度は魔界領域機関の存在に気付く王家も現れ始めた。その中でも歴史ある帝国が私たち機関に取引を持ち掛けてきた。機関の活動が広範囲に渡り、影響力を持ち始めたってわけよね。私たちは彼らと協議を重ねた。機関の活動に理解や賛同を得るのにはかなり困難を極めたらしいわ。彼らは私たちの活動を許可する代わりに不要な人材の回収を命じたの。具体的には本来処刑されるべき重犯罪者を魔物に殺させること、そして行き場のない難民や親に捨てられた子どもたち、あるいは貧困街の住人を保護すること」
 シノニムの真っ赤な瞳が揺れる。
 唇がわなわなと震えて、出てきた声は掠れていた。
「……まさか、そんなはず」
「私たちは大義のために小さな犠牲を受け入れることにしたの。国家から次に襲ってほしいと言われた村や町のリストが続々と届くようになるまでそう時間はかからなかった。町や村は罪人ばかりが住んでいるという話だったわ。彼らを襲い魔物への恐怖心や警戒心を生み出すことに成功した。一方で、スラム街に住む子どもたちや教会が受け入れられなかった人々、戦争によって祖国を失った人間を引き取り、保護していた。同意を得て魔界領域に来てもらうのが本筋だったけれど、それを許してくれる国家は少なかったわ。私たちは彼らに家と仕事を与えた。魔界領域内の管理や魔物たちの世話が主な仕事ね。もともと身寄りのない人々だから戻りたいとは滅多に言われないのよね。まぁ仮に戻りたいと思ったところで待っているのは地獄でしかないのだけれど。国では既に死んだことになっているからね。魔界領域にはそういった不自由さもある反面、彼らが元いた場所より高水準の生活と人権が保障されているのもまた事実だから」
 麗の声色には覚悟と責任が宿っていた。
 どこまでも誠実な彼女にシノニムも次第に納得し始めていた。ただ一点だけを除いて。
 彼の脳裏には、自らを庇って死んだギルバートの姿が蘇っていた。
「十年前のあの日、村を襲ったのはなんでだ。村人たちに罪人なんていなかった!」
 真っ赤な炎が揺らめいている。
 シノニムはもうずっと長い間、過去に囚われている。
 解放して欲しい、本当はそう願っているのかもしれなかった。
「地球から帰還命令が出ていたのよ。違和感なくこの世界からいなくなるためには領主一族が魔物に襲われる必要があった。私たち領主一家は全員機関の人間だったから、従わないわけにもいかないでしょう?」
「ギルバートたちを犠牲にしてもか……」
「あぁ、彼らも魔物と同じ人工機械なのよ。領主の元で働いていたメイドや執事、家令たちも全て」
「嘘だ、そんなことは有り得ない。だってあんなにも普通に生きていたじゃないか」
「……だましてごめんね」
 よろよろとシノニムは後ろに後退る。
 背中に手すりが当たって、彼はそのまま崩れ落ちた。
「うそだうそだうそだうそだ」
 十年間の思い出が、復讐に彩られた決して愉快とは言えない記憶たちが走馬灯のように駆けていく。
「それじゃあ俺は、一体何のために……」
 ――生きてきたんだ?
 答えを聞くのが怖く、シノニムはただ絶望に顔を埋めるほかなかった。
 そんな彼の前に立った麗は静かな声で尋ねた。
「シノ。貴方の前には今、二つの道が用意されているわ。このまま王都に帰還し勇者となるか、あるいは私の隣で一緒に魔王になるか」
 突拍子もない麗の提案にシノニムは顔を上げて彼女を見上げた。なんとも間抜けな表情だったと思う。
 そんなシノニムの視線をしかと受け止めて、彼女は口を開いた。茶目っ気溢れる麗らしい口調だった。
「あら、私のことは殺せないわよ。殺したところで新しい魔王、魔界領域の最高責任者が地球からやってくるだけだもの」
 くすくすと愛らしく笑う麗に昔の面影を見出したシノニムは、思わず身体の力が抜けたのだった。
 そんなシノニムに彼女はもう一度だけ問いかける。
「どうする? 一緒に魔王になる?」
 俺は、俺は――――。
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