春のうらら

高殿アカリ

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 強烈な光が麗の目を眩ます。
『ようこそ、おいでくださいました。紳士淑女のみなさま』
 聞こえてきたのはヒジュルの声であった。
 拡声器を用いているのか、声がドーム全体に反響している。
『古くから使用されてきたこの闘技場。太古の昔には野獣と人間を戦わせていたのだとか。だがそれでは余りにもセンスがない。今、この国で流行っているお相手と戦っていただきましょう』
 彼の言葉に民衆が歓喜する。
 どうやらどこかから麗たちの様子を中継しているらしい。
「ちっ、気分悪いわぁ」
「無理、しないで」
「おうよ」
 カイパーがスピカを背後に守ると、各々武器を構え、臨戦態勢をとった。
『パトラのなりそこないたちとの饗宴、とくとご覧あれ』
 演出が終わり、競技場内に緊張が走る。
 すると、よたよたと一体の人間が麗たちの方へ歩いてきた。
 だが、人間にしては些かも知能性が見られず、焦点も定まっていない。
 足取りは重く、あたりには腐敗臭がただよっている。
「この人、生きてない」
 スピカが呟いた。
「パトラのなりそこないってまさか」
 ニクラスが目を見開いた。
「この国は人体実験を行っていたのか!」
 オズヴァルドの言葉に全員ゾッとした恐怖を得る。
 理解した途端、床からアンデッドたちが次から次へと湧いてきたのだ。
 その数はとどまることを知らない。
 一体の力は大したことがなくとも、数が増えればその分脅威になる。
 必死の攻防を続けるも、倒す数より出てくる数の方が多ければやがて彼らの餌食になるだろう。
「一体何匹出してくるんだ!」
 シノニムが叫んだ。
「仕方ないわね。みんな、一旦下がって」
 麗はそういうと、腰にかけていた鞄から幾つかの球体を取り出した。
 そして、球体のボタンを押し、中から魔物たちを呼び出したのであった。
「わぁ、実用化できたんだ」
 シュヴァルツェが興味深く見守る。
「兄さん、どういうこと?」
 マロンの質問に誇らしげに仕組みを話す。
「あの球体に僕が転移の魔法陣を組み込んだんだ。登録されている魔物たちを呼び出すためのね。本当は球体でなくてもよかったんだけど、麗がどうしても球体にロマンを感じたらしい」
 シノニムたちの不思議そうな視線が刺さる。
「地球での流儀みたいなものなの」
 こうして、小型から中型の魔物を一通り出し終えると、闘技場はより一層混沌とした空間になった。
 あちらこちらで乱闘が起き、いつのまにか麗たちも離れ離れになっていたのだ。
 彼女はこの時を待っていた。
 魔物を出し、戦いが均等になるこの瞬間を。
 闘技場の壁面にさっと目線を送ると、少しだけ幻影の波動が見える箇所があった。
 彼女は戦いながら、そこへ向かうと誰に気づかれることなく幻影の壁の中へと入っていったのだ。
 麗の瞳は闘技場と観覧席を繋ぐ唯一の経路を見抜いていた。
 上へと続く階段が麗の前に現れた。
 彼女は躊躇いもなくそこを登っていった。
 時間は限られている。彼らがアンデッドたちを倒し切る前に、混沌が冷める前に麗は闘技場に戻っていなければならないのだ。
 階段を登った先には案の定観覧席が設けられていた。
 その真ん中、一番闘技場がよく見える位置にこの国の王はいた。彼の周りには誰もいない。
 そこの空間だけ広く取られているのだ。
 麗は闘技場に夢中になっている国民たちの間をくぐり抜け、ヒジュルの背後に回る。
 麗の気配を感じたヒジュルが、振り返り驚愕に目を見開いた。
「なんでここに」
 それからすっと闘技場に目をやり、細めた。
「なぜ、幻影がわかった」
 押し殺した低い声だった。
「私の身体は貴方が求めているものと同じ、とでも言えばいいかしら。少々五感が鋭いのよ」
「ふっなるほど。それで? ここにきた理由は?」
「これ、もっと厳重に保管しといた方がいいんじゃないかと思って」
 そう言って麗が差し出したのは鮮やかな緑色に光る一つの宝玉だった。昨夜、彼女はヒジュルから裏取引を持ち掛けられる直前に、既に王宮からパトラの心臓を盗んでいたのだ。地球の技術を利用すれば、この世界のセキュリティを解除するなどいとも容易いことだった。
「パトラの心臓……」
 ヒジュルは麗を睨みつけた。
「確かに、これは精巧なパトラの心臓部。人工鉱石だなんて思えないほどのエネルギーがあるわ」
 恍惚な笑みで麗はパトラの心臓をつまみ上げた。そう、麗は改めて彼に取引を持ち掛けるつもりなのだ。今度は圧倒的優位な立場から。
「何が言いたい」
「私にこれを譲って欲しいの。あと、貴方の手助けが欲しいこともあってね。もちろん、タダではないわ。きちんと対価は支払う。貴方にとっても悪い話じゃないけど、今より確実にパトラを生き返らせることになるのだから」
 麗は軽やかに笑った。それはどこまでも無邪気な笑みだった。
「……まずは対価を示せ」
「そう牙を剥かないで。対価は人を作り出せる地球の技術と素材。そこに転がっている魔物なんかよりもっと精巧かつ緻密な物質よ。それから、膨大な時間。パトラの魂を磨くのに匹敵するほどのね」
「はっ、鉱石の作り方までお見通しってわけだ」
「えぇ、地球にもよく似た鉱石があったのよ。こんなに魔素を感じられるものじゃあなかったけどね。魔素の入った屑鉄を熱でゆっくりゆっくり溶かしていくのよね。時間をかければかけるほどより綺麗に輝く。この星では魔素の濃度も上がるみたいね。素晴らしいわ」
 パトラの心臓が麗の手の上で煌めく。
「それを作るのに何年もかかったんだ」
 返して欲しいと願うヒジュルを麗は嘲笑する。
「どうせ失敗するわよ」
「なっ!」
「数年程度の熱量で本当に人間が作れるほどの、人間の心臓に足り得るほどの、魔素を含んだ鉱石ができると思う?」
「だが!」
「そこで、話は元に戻るけど。魔界はね、そもそも魔術師を生き長らえさせるためにある組織なの。これから、ある装置を私は作るつもりよ。その装置は人の身体を数世紀、死なせずに眠らせることができる。そのためにこのパトラの心臓にある魔素を必要としているの。数世紀、装置を動かし続けていられるだけのエネルギーが要るのよ」
「はっ、夢物語だ」
「そう? 既に装置の実現は可能域に達しているし、数世紀もあれば、魔術師たちが突然死しない未来を作ることが出来るし、パトラを生成するための屑鉄をゆっくり熱してあげられる時間も出来る。いいこと尽くしじゃない?」
「……ちっ」
「もちろん、貴方が私を信じられないならそれは永遠に叶わぬ夢でしかないかもね」
 麗の瞳がヒジュルを射抜く。
 彼は彼女の視線に思わずたじろいだ。
「本当なのか」
「さてね。賭けるかどうかは貴方に任せるわ」
 ヒジュルは瞼を下ろし、天を仰いだ。
 それから、覚悟を決めたようで麗に視線を合わせた。
「わかった。で? 俺は何をすればいい」
「流石、ギャンブルの国の王ってわけね」
 彼はふんと鼻を鳴らして返事をした。
「まずはパトラの元になる魔素を含んだ屑鉄を用意して。数世紀もの間熱に晒され続けても耐えられる量の鉄をね。そのあと、来るべき時が来たら魔力のある魔術師たちを魔界まで連れてきて欲しいの。もちろん、貴方や貴方の国の魔術師たちにも装置の中に入ってもらう予定よ」
「同意は必要か?」
「どちらでも。どうせ装置に入れば数世紀目覚められないもの。起きた後、抗議されたところでどうにもならないはずよ」
「……なるほど。良いだろう。それは持っていけ」
 ヒジュルは手を振って目の前の悪魔のような、否魔王である彼女を邪険に追い払った。
「ありがとう。これで貴方も共犯者ね」
 二人は微笑み合った。
 そこには純粋なエゴだけがあった。
 己の目的のためならば手段を問わない、合理的思考だけがあった。
「悪くない響きだ」
 彼の呟きを背に、麗は元来た道を戻る。
 幻影を抜けるとちょうど戦いが終わる頃合いだった。
 シノニムたちは満身創痍で麗が突然現れたことには幸いにも気づいていないようであった。
『おめでとう、魔界のみなさん。これにてショーはおしまい。もう少し遊んでいたかったけれど、君たちもそろそろお家に帰ったほうがいい。また、会おう』
 麗たちの足元に転移魔法が現れ始める。
 カイパーが何やら叫ぶも、肺が傷つけられているのか血を吐いた。
「カイパー、無茶しない」
 シュヴァルツェとマロンが回復魔法を飲ませている間に転移魔法は完成する。
 これ以上戦えないことは全員が理解していた。
 シノニムが拳を握る。
 白い光が視界を奪い、次に彼らが飛ばされたのは砂漠の街であった。
 それも、王国の果てに位置するオアシスの街の門前だった。
「帰れってこと、か」
 マロンが乾いた笑いを見せる。
 麗が頷いて同意を示し、シノニムたちがそれに倣って足を出すのだが。
「それより待ってください」
 ニクラスが引き止めた。彼は麗を見つめ、詰問する。
「闘技場では途中から姿が見えませんでしたが」
「あぁ」
 思い出したように麗は声を出し、それからパトラの心臓をかかげた。
「これをちょろまかしてきたの。魔物の素材をあげるなら対価が必要でしょ?」
「やはり、あれは罠だったか」
 オズヴァルドが言う。
「だが、そんなことをしたら! 貴重な素材が」
「大丈夫よ、シノ。私がそんな高級な素材を魔界外にやすやすと出すはずないでしょう?」
「じゃあ、あれは」
「ほとんどこちらの資材で作った魔物たちね」
「そう、だったのか」
「やけど、それ持ち出したんがバレたらやばいんちゃう?」
 麗はカイパーに向かって肩を竦めた。
「さぁ。流石にパトラの心臓にしようとしているものではないと思うけど」
「ならええけど」
「ひとまず、帰りますか」
「えぇ」
「視察もなかなかに大変だったね」
「せやな」
 こうして、麗たちは満身創痍で砂漠の王国を後にしたのだった。
 麗たちの会話に紛れてしまったが、ニクラスの麗を観察する視線は何も変わっていなかった。
 麗はそのことに気付きながらも、ただ静かにニクラスの動向を見守ることにした。
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