草原の武人~異説三国志高順伝~

惟宗正史

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第二十話

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 并州軍本陣の幕舎には重たく、苦しい空気が流れている。呂布、高順、張遼、秦宜禄、李鄒、趙庶に囲まれるように横たわる一つの骸。

 彼らの主である丁原の亡骸であった。

 昼、彼らは心配しながらも董卓の宴席へと丁原を見送った。命の心配をしながらも彼らには丁原が死ぬはずがないという考えがあった。

 それは甘い考えであった。結果的に彼らの主は冷たい亡骸となって帰ってきた。

 これが大人数での膾斬りや、毒殺などと言った卑怯な手段であったならば、すでに洛陽は阿鼻叫喚の戦場となっていただろう。

 彼ら并州軍の武人達を思いとどめたのは、丁原の武人として戦って死んだとわかる死顔であった。

 使者とやってきた李粛を怒りに任せて斬ろうとした呂布達を止めたのはその死顔であった。董卓の指示によって丁重に扱われて并州軍本陣に連れられてやってきた丁原の死顔を見て、并州の武人達は李粛を斬ることをやめた。それは丁原の死様を愚弄すると思ったからだ。

 そして呂布の叫びが并州の武人達の総意であった。

 何故、俺達を置いて先に逝くっ。俺たちの戦いを見たかったのではなかったのかっ。

 その叫びは董卓軍の使者である李粛がいるにもかかわらず叫ばれた。

 無言の并州軍本陣。

 一刻誰も口を開かない空間が広がっていたが、普段以上に悲痛な表情を浮かべた秦宜禄であった。

「我々はこれからどうする?」

 その言葉に呂布の瞳に怒りの炎が宿る。

「どうするかだとっ。決まっているだろうっ。董卓の野郎を殺すっ。それだけだっ」

 呂布の怒声に秦宜禄は普段は決して浮かべない怒りの表情を浮かべて怒鳴り返す。

「貴様はどこまで愚者なのだっ。私が聞いているのはそのような当然のことではないっ」

 秦宜禄の怒声に頭に血が上っている呂布は腰の剣に手が伸びるが、それを止めたのは呂布の隣にいた高順であった。高順の行動に頭が冷えたのか、大きく深呼吸をしてから呂布は秦宜禄に先を促す。それに秦宜禄も軽く謝罪してから言葉を続けた。

「私が言いたかったのは丁原殿の仇をとった後だ。丁原殿は私達が中原を席巻する姿を見たいとおっしゃっていた。しかし、丁原が亡くなったことによって匈奴や鮮卑の動きも気になる。即ち、丁原殿ご遺志に沿って中原で戦うか。それとも并州に帰るかだ」

 秦宜禄の言葉に全員が無言となる。

 丁原の遺志にも答えたい。しかし并州も気になる。

 それが全員の心中であった。その場にいる全員が腕を組んで考える中、高順が口を開く。

「丁原殿が亡くなられた今、兵士一人一人の意思に任せるしかないのではないか。無論、それは私達にも当てはめられる。一人一人が判断して身を処すしかあるまい」

 高順の言葉に真っ先に反応したのは呂布であった。

「俺は中原に残る。親父殿が亡くなった今、俺に残されたのは最強であることを天下に示すことだ」

 呂布の言葉に続いたのは秦宜禄であった。

「私も中原に残ろう。并州歩兵隊が精強であることを天下に知らしめることが丁原殿のご遺志であるが故に」

「それならば私も残る」

「私もだ」

 秦宜禄の言葉に李鄒と趙庶が続く。

「私も残ります。武の頂、それは并州に篭っていては見えないものでしょうから」

 并州軍の指揮官の中で一番若い張遼も力強く答える。そして視線は目をつぶって腕を組んでいる高順に集まる。

 高順は組んでいや腕をほどき、一回ため息を吐く。

「当然、私も残る。そうなると心配は兵糧だ。どこからも補給を受けられなくなるぞ」

「ふん。そんなもの涼州の連中から奪えばいい。しかし」

 そこまで言って呂布は全員の顔を見渡す。

「揃いも揃って愚者ばかりだな。親父殿だったら大目玉では済まされないぞ」

「その愚者筆頭が何を言うやら」

「抜かせ、趙庶」

 趙庶の軽口に、ようやく并州軍らしい空気が流れる。

「丁原殿亡き今、新しき大将が必要になると思うがどうされる?」

 李鄒の言葉に全員が顔を見合わせる。これまで并州軍は丁原を頂点としてその他は横並びという形で成り立っていた。その頂点が亡くなった今、新しい頂点が必要になる。

 張遼がおずおずと言った形で口を開いた。

「ここは騎馬隊の隊長である呂布殿か、歩兵隊の隊長である秦宜禄殿のどちらかではないですか?」

「それならば武において泰山の如き差がある故、呂布殿の方がよろしいだろう。それに私が大将では兵士達もいらぬ心配をする」

 張遼の言葉に秦宜禄が辞退し、必然的に視線は呂布に集まる。その視線に呂布は力強く頷いた。

「わかった。皆に異存がなければ俺がやる」

 呂布の言葉に全員が拱手を返す。

「兵士達にも仔細を知らせろ。親父殿は戦って死んだ、と。その上で選ばせろ。俺達に従って修羅の道を行くか、それか并州に帰って并州の守護者となるかをだ。どちらにしても董卓は殺す。決定事項はそれだけだ」

 呂布の言葉に全員から力強い掛け声がでて、高順を除いた全員が部下達の意思を確認するために幕舎をでていく。

 残されたのは呂布と高順。そして冷たくなった丁原だけであった。

 しばらく呂布と高順は丁原の亡骸を見ていたが、高順が口を開く。

「不安か、呂布殿」

 高順の言葉に驚いたように呂布は高順を見つめる。だが、すぐに苦笑した。

「兄弟に隠し事はできんな。正直に言えば不安だ。なにせ今までは親父殿が決めてくれていたことを俺が決めねばならぬことになった。俺が判断を誤ればこの中の誰かが死ぬ。自分が死ぬことは怖くない。だが、皆が親父殿のように死ぬことを考えると俺は怖い」

 それは最強と呼ばれる呂布が見せた小さな弱さ。自分に近しい者が死ぬことに耐えられぬ恐怖。

 だから高順は告げる。

「呂布殿、私は死なぬ」

 高順の言葉に呂布は驚きの表情を浮かべる。丁原の亡骸を見ながら高順は言葉を続ける。

「私は決して呂布殿を裏切らぬ。そして決して呂布殿を残して死なぬ。だから呂布殿も私を残して死ぬな」

 高順の言葉に呂布は一瞬だけ俯く。だが、すぐに覚悟を決めた表情を浮かべた。

「俺も約束しよう。決して兄弟を残して死なぬ」

 呂布の宣言の直後、動かぬはずの丁原の表情が微笑を浮かべたように見えるのであった。
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