言の葉デリバリー

粟生深泥

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その傷跡を抱きしめて

その傷跡を抱きしめて6

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 言の葉デリバリーに着いても、頭の中はずっとグルグルとしていた。まだ注文が入ったわけでもないのに、木下さんに届けるべき物語をずっと考えてしまっている。前回とは違った恋愛系の話。でも、どれだけ甘い恋愛の話も一時的に傷を塞ぐばっかりで同じことの繰り返しにしかならないのかもしれない。
 モヤモヤとした意識のまま、すっかりなじんできた言の葉デリバリーの事務所のドアを開ける。そこにはいつも通りノートパソコンに向き合う雪乃さんと伝票の整理をする夏希さんの姿があった。

「あ、悠人君お疲れー。たった今お客さんからキャンセルの連絡あって、今日暇になっちゃったー……って」

 夏希さんが怪訝そうな顔を浮かべて近づいてくる。何を思ったのか、その手がすっと額に当てられた。完全に意表を突かれて考えていたことが全部吹き飛ぶ。思わず後ずさり、首をかしげている夏希さんから距離をとる。ひんやりとした夏希さんの手の感触に遅れて顔が熱くなってきた。

「んー、熱はないか」
「なな、何してるんですか夏希さん!?」
「だって悠人君、凄い顔してるよ。しかめ面っていうか、顔のありとあらゆるパーツが険しくなってる」

 ギュッと夏希さんが顔をしかめてみせる。それが僕の表情を再現しているとしたら相当に酷い顔をしている。流石にオーバーにしてると思うけど、急いで顔をもみほぐしてみる。あまり効き目はなかったみたいで夏希さんは変わらず心配そうな顔を浮かべていた。

「何かあったの?」

 依頼を受けたわけでもないことを話していいか少し悩んで、それでも夏希さんと、それからキーを叩いている雪乃さんに聞こえるようにさっき見た木下さんの様子を伝える。自分で抱えきれない問題が起きたら他の人を頼るしかない。
 夏希さんはじっと僕の話を聞いて、僕の頭の上に手を置く。それからニッと微笑んでその手をくしゃりと動かした。

「大丈夫だよ」

 話を聞き終わった夏希さんのたった一言で、思いつめていた気持ちがふっと軽くなる気がした。

「その人の傷が深すぎると物語が届いても一回じゃ足りなかったり、実は必要とする物語が違うってことはこれまでもあったの。だから、この前私が対応していても照乃さんの状況は変わらなかったと思う」
「木下さんはまだお願いするかもって言ってましたけど、その時はまた同じような物語を届けるんですか?」

 今日の木下さんの感じだと、もう一度同じ内容で依頼をしてくることになる気がする。それをそのまま受けていいんだろうか。僕にはそれを判断できるだけの経験がないけど、同じことを繰り返しても根本的な解決にはならない気がする。夏希さんは顎に手を当てて難しい顔をして考え込んでいた。

「悠人君の話だと、照乃さんに必要な物語はもっと違うものな気がするね。でもそれがなんなんのか……」
「依頼の時も今日も、木下さんはすごい気丈に振る舞っていて。でもそれって、僕に気をつかってくれてるってだけじゃなくて、自分にも言い聞かせてるような気がしたんです」

――昔からせっかちで予定が遅れたりすると落ち着かなくなっちゃってさー。

 初めての依頼の時の木下さんの言葉を思い出す。せっかちで、予定が変わることが嫌い。就活が本格化する前に新しい恋を探したい。ちょっとずつパズルがはめ込まれていくような感じ。

「そう、なんだか失恋を急いで忘れようとしている感じなんです。だから、忘れることを忘れて次の恋を探そうとしてるというか……。まるで、失恋というイレギュラーな状態から早く抜け出すことを強いられているような」

 パッと夏希さんが顔を上げる。だけど、その表情はいまいち冴えない。
 スッと目を細めて何かを考えるような素振りの後、こくりと誰に向かってでもなく首を縦に振った。

「ありがと、悠人君。だいたいわかったかも」

 いいことのはずなのに、夏希さんの顔色は優れない。

「だから、ここから先は私が引き継ぐね」

 夏希さんから放たれた言葉は予想外だった。いや、予想していないわけではなかったけど、聞きたくない言葉だった。だってそれは。

「やっぱり、僕じゃ力不足なんですね」

 ハッとした夏希さんが慌てたように首を横に振る。

「そんなことないよ。だけどこれはちょっと特殊なケースというか、今まで悠人君にお願いしていた仕事とはちょっとやり方が違うから」

 夏希さんは言い方を変えてくれたけど、結局意味するところは同じ気がした。
 当然僕はまだまだこの仕事に慣れていなくて、僕の手に負えない仕事はベテランである夏希さんが担うべきだ。特に、人の内面に触れるからこそ中途半端なことは許されない。
 わかってる。わかってるからこそ、悔しかった。また僕は途中で諦めてしまうのかと、遠い昔に押し込めた感情にジリジリと責め立てられるようだった。

「わかりました。ここ数日上手くいってたせいでちょっと思い上がってたのかもしれません」

 初心者だ、と奥歯を噛みしめながらもう一度自分に言い聞かせる。自分に責任を持てる範囲の仕事だけをするべきだ、と。夏希さんが僕にはまだ早いと判断したなら、深入りするべきじゃない。力が入った奥歯からギリリと音が聞こえてくるのはグッと無視する。

「今日は仕事ないって言ってましたよね。他にすることがなければ僕はこれであがろうと思います」
「待って、悠人君……」

 夏希さんの口が開きかけては閉じるという動きを何度か繰り返す。言いたいことがあるのにどんな言葉にすればいいのかわからない、そんな感じ。夏希さんにそんな顔をさせたいわけじゃなくて、ただ僕は自分の力不足が悔しくて。結局それで夏希さんを困らせてしまっている自分がなおさらやるせなくなっていく。

「メスで人を斬るという行為は、見方によっては治療にも傷害にもなる」

 僕と夏希さんの間に割って入ったのは、雪乃さんの冷ややかな声だった。そんな声であっても雪乃さんが僕に向けて話す言葉は久しぶりで、胸の奥がそっと騒ぎ立てる。

「そして、医師がどれだけ治療だと思っても、斬られる方がそれをどう判断するかはわからない」

 雪乃さんは夏希さんの方を一瞥すると小さく息をついた。

「言葉は人を癒す薬にも、傷口を抉る毒にもなる。だけど、傷口は時には抉り出して綺麗にしないと治療ができないこともある。夏希がやろうとしているのはそういうもの」

 夏希さんの表情は硬くて、それが雪乃さんの話していることが間違っていないことを裏付ける。
 雪乃さんの言葉で、朧気だけど何をしようとしているのか僕にもわかってきた。きっとそれは荒療治で、うまくいかなければただ木下さんを傷つけるだけになりかねない。
 そこまでする必要があるのか。自然と時が癒してくれるのを待った方がいいんじゃないだろうか。
 だけど、木下さんはそれだけの時を待てるだろうか。

「だから夏希は貴方にやらせたくないんだろうけど。でも、もし貴方に木下さんの傷と向き合う覚悟があるのなら」

 雪乃さんは僕の顔をまっすぐと見る。その透明な瞳に心の奥底まで見透かされるような気がした。だけど、僕はその雪乃さんの視線をまっすぐに受け止める。木下さんの痛みを近くで感じ取ってしまったからこそ、ここで逃げ出したくなかった。

「それなら、私は貴方が読むための物語を書くけど。どうする?」

 雪乃さんの問いに対する返事は迷わなかった。これは僕が始めた仕事だって思いもあるにはあるけど、何よりも力なく笑う木下さんを助けることができるなら。
 僕が頷くと、雪乃さんは小さく顎を引いてノートパソコンと向き合った。
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