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第3章

顔も思い出せぬあの味をもう一度②

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「ロロ!?」
 ハッと顔を上げると、パソコンの画面はスリープモードになっていた。慌てて画面を立ち上げるけど、既にロロの生放送は終わっていた。どうやら配信を見てる途中で寝落ちしてしまったらしい。
 自然と深いため息が漏れる。こういうとき、動画がアーカイブに残らないのが辛い。まあ、仕方ない。寝落ちしたわたしが悪い。
 それにしても、あの夢を見るのは久しぶりだった。何か食べていたわけではないのに、なんだか口の中が甘酸っぱい。
 あの日食べたチーズケーキの味を、わたしは今も覚えている。けれど、チーズケーキをくれた男の子の顔も名前も、声さえも覚えていない。夢の中では声を聞き、顔を見ているはずなのに、起きたときには霧に包まれたように見えなくなってしまう。
 時計を見ると、23時を過ぎた頃だった。明日も仕事だし、準備をしたら今日は早めに寝ちゃおうか。疲れてるから寝落ちするし、最近見ていなかったあの日の夢を見るんだ。
 ゆっくり立ち上がったところで、スマホから着信音。SNSアプリの通話機能だった。その名前を見て、一瞬悩みつつ電話を受ける。
「やっほー、サヤカ。遅くにごめんねー」
「ううん、大丈夫。久しぶりね、チヒロ。どうしたの?」
 電話の相手は小学生の頃からの友達であるチヒロだった。
「用って用はないんだけどねー。今年はサヤカ、帰ってくるのかなーって」
 そういえばもうすぐお盆だった。チヒロはわたしと違い、大学を卒業した後は地元で働いている。山梨県の山奥で、人よりも猿の方が多いような山村で。
「どうしようかなあ……」
「えー、帰ってきてよー。サヤカ最近帰ってきてないじゃん。それに、今年はエリカもカスミも帰ってこないっていうし、サヤカが帰ってこないと寂しいのー」
「チヒロ、お盆はかき入れ時でしょ?」
「そうなんだけど、一日くらいは時間作れるし」
 んー、悩む。チヒロの気持ちは痛いほどわかる。チヒロ以外の同級生はみんな県外だったり甲府の辺りで働いている。地元に残るチヒロが、お盆のタイミングでみんなが帰省するのを楽しみにしていることは知っていた。けれど。
「最近、実家に帰ると親が『結婚はまだか』ってうるさいし」
 最後に帰ったのは一昨年だったか、その時はお見合いを組まれそうになって、それ以来帰省していなかった。確かに、小学生の頃の同級生は結婚している人の方が多くなってきたし、親の気持ちもわかるのだけど、今すぐ結婚というのは逆立ちしても考えられなかった。
「結婚しないまでも、彼氏でも見せつけてやれば解決じゃん」
「いたら苦労してない……」
「えー。サヤカかわいいんだし、いい人くらいいないの?」
「いい人? そんなのいな……いないし」
 おっ?と楽しそうなチヒロの声。バカ正直な自分が恨めしい。
「ちょっと詰まった。あー、いい人いるんだー?」
「いないからっ!」
「ふーん。それともサヤカはまだ『チーズケーキの王子様』を探してるのかなー?」
「っ……!」
 ちょうどさっきまでその夢を見ていたせいか、チヒロの何気ない一言に動揺して何も言い返せなかった。同級生の中でも仲が良かったチヒロには、あの男の子のことを話している。
 そして、中学になっても高校に入っても、わたしがどこかでその男の子を探していたことを知っている。それで、大学に入るまで彼氏もいなければ、やっと付き合った相手ともすぐに終わってしまったことさえも。
「あれ、図星?」
「……悪い?」
 もう、居直ることにした。未だにあの日のことを夢に見るわたしは、多分まだ男の子のことを探し続けている。それを片付けるまで、先には進めない気がした。幸せな記憶が枷のようになっているとはわかっているけど、どうしようもない。
「悪くはないんだけど、それなら本気で探してみたら?」
「それは……」
「本気で探して見つけてしまうのが怖いなら、もう忘れちゃった方がいいと思う。そうじゃないと、サヤカ、いつまでも幸せになれないよ」
「結婚するだけが幸せじゃないでしょ?」
「結婚するとかしないじゃなくて、サヤカがいつまでも前に進めなくなっちゃうんじゃないかってこと」
 チヒロの言葉は自分でもよくわかって、チヒロがわたしのためを思って言ってくれていることもわかるから、余計に痛い。
「あ、ごめん。夜遅くに電話しといて、こんなこと言っちゃって。別にサヤカのペースでいいと思うけど、気になる人がいるんだったらちょっと考えてみて」
 しばらく何も返事できないでいると、チヒロの慌てたような困ったような声がスマホから聞こえてくる。
 大丈夫、今更こんなことで仲が悪くようなわたしたちじゃない。
「とりあえず、帰省するかはちょっと考えてみる」
 チヒロが苦笑するのを電話越しに感じつつ、電話を切る。寝なきゃと思いつつ、立ち上がる気すら起きずに、そのまま机に突っ伏す。
 チヒロの言うことはわかる。あの男の子のことを探したいと思いながら、わたしのことなんて覚えていなかったらどうしようと思うと、本格的に探すことができないでいる。前にも後ろにも動けなくなっている。
 例えば、田野瀬くんにチーズケーキを作ってもらったら、このモヤモヤとしたものも何か変わるかな——?
 つい思い浮かべたその思考は、完全に自爆だった。そんなことを思い浮かべた自分が恥ずかしくて、ゴツンと頭をテーブルにぶつける。
「はあっ……」
 ため息が漏れる。久しぶりにロロに相談してみようか。和田さんの一件のお礼を伝えてからは、動画を見てもコメントはしていなかった。
 でも、こんなこと生放送中にいったい何をどんな風にロロに聞けばいいかもわからない。
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