顔も思い出せぬあの味をもう一度

粟生深泥

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第3章

顔も思い出せぬあの味をもう一度③

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 昨夜は自分で思っていた以上に動揺してしまったのか、結局ほとんど寝られなかった。眠いのに覚醒しているような気持ち悪い状態で朝まで色々考えて、田野瀬くんと話をしにいくことにした。
 実は、半月ほど前に田野瀬くんの家でなんちゃって夏祭りをやってから、田野瀬くんとはほとんど話せていなかった。あの日、ほんの二週間くらいで田野瀬くんに惹きこまれていた自分を痛感した。
 だから、距離を置かなきゃと思った。そんなことを考えてしまうわたしは、やっぱり“あの男の子”の幻影に囚われているのかもしれない。
 だから、その幻影を乗り越えるためにももっと正面から田野瀬くんと向き合ってみようとおもった。
 昼食を犠牲に昼休みに職場を出て、丸の内まで足を延ばし少し奮発した洋菓子の詰め合わせを買ってくる。ナポリタンのお礼と同じで芸がないと思うけど、この二週間近く、距離を置こうとそっけない態度をとっていたから、何かきっかけが必要だった。
 それからは定時までソワソワして、定時になると同時に買ってきた包みを持ってそれとなく席を立つ。この前みたいに綾乃が席を外していればいいなと思いつつDX推進室の部屋を覗くと、いつもの席に田野瀬くんの姿はなかった。
「あれ、彩夏?」
 部屋の入口で様子を伺っていると、背後から聞き慣れた声。綾乃だった。
「どうしたの……って、あ。ふーん」
 包みを後ろ手に持っていたのが失敗だった。丁寧にラッピングされたそれを見て、綾乃は全てを悟ったような顔をする。
「田野瀬くんならちょうどさっき部屋を出たところだけど、中で待っとく?」
「べ、別に田野瀬くんに会いに来たわけじゃ……」
「じゃあ、それ、わたしにくれるの?」
 綾乃が包みを指さしてわざとらしく首をかしげる。ズルい、この状況を見られた時点で勝負ありだった。別に勝負してるわけじゃないけど。
 とにかく、このまま部屋で待たせてもらおうものなら、田野瀬くんが来るまで綾乃の餌食になることは間違いない。
「だ、大丈夫だからっ!」
 綾乃への返事になっていないのはわかりつつ、そう言い残して部屋を後にする。今日は金曜日だから、今日を逃すと田野瀬くんに会えるのはまた来週になってしまう。とりあえず一度部屋に戻って、タイミングを見計らって出直そう。
 綾乃のせいで不自然に高まった心拍数を落ち着かせつつ、自分の部屋に戻ると、わたしの席の正面で香織先輩が誰かと話していた。
「……っ!」
 零れそうになった声をとっさにおさえる。
 香織先輩が話している相手は田野瀬くんだった。香織先輩と田野瀬くんというのは、不思議な取り合わせだった。香織先輩の下に配属されてからしばらく経つけど、今まで二人が話している姿を見た覚えがない。
 別に、何も気にせず席に戻ればいいのに、つい身を隠して様子を伺ってしまう。何を話しているかまでは聞こえてこない。
 でも、二人の仕草で、きっと親密な関係だろうなというのが伝わってきた。二人ともすごいリラックスした顔で、そんな素のような表情、見たことがない。
「あっ……」
 そうだったんだと気づいた瞬間、手から力が抜けて、お菓子の包みがするりと手から零れ落ちる。パタン、と音を立てたそれを拾って、二人に見つからないように逃げるように部屋を後にした。
 ああ、わたしはどこかでうぬぼれていたのかもしれない。田野瀬くんに身勝手な信頼を寄せていたのかもしれない。同期なのに、つい最近まで彼のことを何も知らなかったくせに。
 定時を過ぎて人気の少なくなった給湯室に逃げ込む。荒くなる呼吸をおちつかせながら、壁に背中からもたれかかる。鼻の奥がツンとして、視線を少し上げた。
 どうしよう。どうすれば。どうしたいーー?
 ショックとか動揺とかがグルグルと渦巻く中、不意にピロンという間の抜けた着信音。スマホを取り出してみると、チヒロからだった。
――帰省のタイミング決まったら教えてねー!
 無邪気なメッセージに、ほとんど反射的に電話マークをタップする。
「あ、もしもし、サヤカ? もしかして、帰省タイミング決まった?」
「うん。決まった」
「お、いついつー? って、あれ、サヤカ、なんか鼻声? 何かあった?」
 察しのいい友人の言葉を聞かなかったことにして、続ける。
「明日、帰るから。だから、小学校のときの文集とかアルバムとか、用意しといて」
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