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【短編】差し入れ
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息子が見舞いに来てくれた。コロ●も落ち着いてしばらく経つが、あの頃ほど見舞いのハードルは高くない。高くない分、いつ来るのかと思っていたら、存外早く来てくれた。
息子が18歳の誕生日には俺は入院していて、スマホでテレビ電話をしながらお祝いをした。やめろよ、なんて照れくさそうにしていたけれど、俺がいない家の方がなんだか平和だとカミさんから聞いた。
よくとっつかみ合いの喧嘩をした。喧嘩と言ってもこっちは防御のみ。すっかり同じくらいの背丈になった息子は、軽音楽部所属とはいえ、当たればなかなか痛いパンチを持っている。
勉強のことでどうこう言ったつもりもないが、干渉癖が俺にテトラポットのフジツボみたいにびっしりとこびりついていたのだろう。
今言わなくていいこと、任せておけばいいこと、全て俺は俺のコントロール下に置きたがった。今もそうかもしれないが。
体操服は持ったか、プリントは持って帰って来たか、弁当箱洗うから出してくれ、水筒を学校に忘れるなよなんて小言も。
フリーランスになってから、息子が家に帰ると俺がおかえりと言う。思い返せば、俺の父は自営業だった、腕のいいタイル職人だった。仕事がない時、高校から帰ってくると親父が、「おかえり」と言う。なんだか憂鬱な夕方の始まりだった。
たいして、干渉されたり小言を言われたりしたわけではないが、父がリビングでどっしりと座って、テレビを観ている姿にうんざりしたものだ。
もちろん俺は息子が帰宅してきた時には、ダイニングテーブルを仕事机代わりにして仕事をしているだけだ。
だが、テレビを観ていた俺の父にしても、仕事をしていた俺自身にしても、息子と言う立場から覗くと、どうにも、うざったい。
腹がしくしく痛む。不定期にそこそこのチンピラに殴られ続けているような痛み。カミさんにいい加減病院行けばと言われ、しぶしぶ行ったら行ったで、即入院となった。大腸炎らしい。
絶食が続いて、点滴だけでも生きられるんだと新しい気づきを得た日に、息子とカミさんとでテレビ電話による誕生日会となったわけだ。
息子は18歳になった。大人だ。俺が18歳の頃どうしてたっけ? 覚えてもいない。なのに、俺がお前くらいの頃はなんて口に出さなくても、俺がお前くらいの頃はなんて態度を無言で投げかけていたのだと思う。
派手な喧嘩もしばしばで、防御一方の俺は、強烈なフックを喰らい、心が折れた。まだ折れちゃいけない時だった。息子が17歳、高校2年生の頃だった。
大学に行く行かないの押し問答は、大学に行けの俺のひと言で、緊張が最大に拡張した。そこからは覚えていない。とにかく、俺の顔からは丸メガネが吹っ飛んで、右目に青タンができたのだ。
そんな息子が、見舞いに来たのだ。「大丈夫かよ、これ、面白いから。本好きだろ」と一言。ライトノベルだった。勇者が見てるだけで経験値が溜まって、最強になる話だ。
「ありがとう、読むよ」とだけ言って、会話がなくなってしまった。
「あのさ、俺、大学には行くよ。でも、お父さんが行けって言ったからじゃなくてさ」
「なに?」もっといい返事あるだろうと、光速で反省。
「やりたいことあって、勉強しなきゃならなくてね」
「そうなんだ。でも、聞くのはよすよ」
「聞いてくれよ」
「じゃぁ、聞くよ。なにやりたいの?」
「受験勉強のない世界をつくりたいんだよ」
「それはまた、えらい話だな。政治家にでもなりたいのか?」
いらないことを言った気がする。俺は何も学んでいない。
個室の病室にしておいてよかった。
「いや、大学を作ろうと思って。そのために、大学に行く」
荒唐無稽にして、広大無辺な夢だ。でも、いい動機だと思う。
「母さんはなんと?」
「やってみればいい、って言ってくれてる」
「大学を作るって、新島襄とか福沢諭吉とか大隈重信と同列だな」
この話いらない。あぁ、折角のいい雰囲気が。
「そうだな、受験勉強なんかで摩耗しなくてもいいように、仕組みを変えるには、まず大学を作ることからだと思って」
18歳、受験勉強に苦しめられた時間、俺はもう一年お代わり勉強して、19歳で大学生になった。弁護士になりたくて、法学部ばかりを受けていたが、滑り止めに商学部や経済学部にも手をだしていた。R館大学の法学部に受かったとき、俺は弁護士になったんだと確信した。それくらい、この道をやすまずにまっすぐ進めば、夢は叶うと思っていた。
だが現実は違った。D社大学、法学部は落ちたものの、商学部に滑り込んだのだ。
塾の講師から電話がかかってきたのを覚えている。R館大学よりも、D社大学だって。就職にも有利だから。どうしても法学部って言うのなら、商学部から転部すればいいだけだし。
学歴偏重の講師からの電話は、親父が頼んだものだったらしい。親父の葬式でオフクロから聞いた。中卒の親父なりに、俺に伝えたかったのだろう。直接言えばよかったのにとも思うが、不器用な親父らしい。
***
「じゃぁ、俺そろそろ帰るわ」
「がんばれよ」
「お父さんこそ」
ちょうど17時だった。差し入れのライトノベルを読み始めた。ここに息子はいないけど、いるような感覚だ。
カミさんにLINEを送った。
《退院したら、お祝いでもしようよ》
《何を?》
《退院祝いにきまってるでしょうが》
《不摂生で入院して、治っただけでしょ》
《隆がさ、今日見舞いに来たの知ってるよね》
《知ってるわよ、心配してたから》
《とりあえず、祝杯でもあげよう》
《そういうところ、すぐ調子にのらない》
《そうだな》
適当にスタンプが送られて、夫婦の会話が終わった。さて、それじゃぁ息子が大学作ったら、学び直しさせてもらおう。法学部入学希望だ。
息子が18歳の誕生日には俺は入院していて、スマホでテレビ電話をしながらお祝いをした。やめろよ、なんて照れくさそうにしていたけれど、俺がいない家の方がなんだか平和だとカミさんから聞いた。
よくとっつかみ合いの喧嘩をした。喧嘩と言ってもこっちは防御のみ。すっかり同じくらいの背丈になった息子は、軽音楽部所属とはいえ、当たればなかなか痛いパンチを持っている。
勉強のことでどうこう言ったつもりもないが、干渉癖が俺にテトラポットのフジツボみたいにびっしりとこびりついていたのだろう。
今言わなくていいこと、任せておけばいいこと、全て俺は俺のコントロール下に置きたがった。今もそうかもしれないが。
体操服は持ったか、プリントは持って帰って来たか、弁当箱洗うから出してくれ、水筒を学校に忘れるなよなんて小言も。
フリーランスになってから、息子が家に帰ると俺がおかえりと言う。思い返せば、俺の父は自営業だった、腕のいいタイル職人だった。仕事がない時、高校から帰ってくると親父が、「おかえり」と言う。なんだか憂鬱な夕方の始まりだった。
たいして、干渉されたり小言を言われたりしたわけではないが、父がリビングでどっしりと座って、テレビを観ている姿にうんざりしたものだ。
もちろん俺は息子が帰宅してきた時には、ダイニングテーブルを仕事机代わりにして仕事をしているだけだ。
だが、テレビを観ていた俺の父にしても、仕事をしていた俺自身にしても、息子と言う立場から覗くと、どうにも、うざったい。
腹がしくしく痛む。不定期にそこそこのチンピラに殴られ続けているような痛み。カミさんにいい加減病院行けばと言われ、しぶしぶ行ったら行ったで、即入院となった。大腸炎らしい。
絶食が続いて、点滴だけでも生きられるんだと新しい気づきを得た日に、息子とカミさんとでテレビ電話による誕生日会となったわけだ。
息子は18歳になった。大人だ。俺が18歳の頃どうしてたっけ? 覚えてもいない。なのに、俺がお前くらいの頃はなんて口に出さなくても、俺がお前くらいの頃はなんて態度を無言で投げかけていたのだと思う。
派手な喧嘩もしばしばで、防御一方の俺は、強烈なフックを喰らい、心が折れた。まだ折れちゃいけない時だった。息子が17歳、高校2年生の頃だった。
大学に行く行かないの押し問答は、大学に行けの俺のひと言で、緊張が最大に拡張した。そこからは覚えていない。とにかく、俺の顔からは丸メガネが吹っ飛んで、右目に青タンができたのだ。
そんな息子が、見舞いに来たのだ。「大丈夫かよ、これ、面白いから。本好きだろ」と一言。ライトノベルだった。勇者が見てるだけで経験値が溜まって、最強になる話だ。
「ありがとう、読むよ」とだけ言って、会話がなくなってしまった。
「あのさ、俺、大学には行くよ。でも、お父さんが行けって言ったからじゃなくてさ」
「なに?」もっといい返事あるだろうと、光速で反省。
「やりたいことあって、勉強しなきゃならなくてね」
「そうなんだ。でも、聞くのはよすよ」
「聞いてくれよ」
「じゃぁ、聞くよ。なにやりたいの?」
「受験勉強のない世界をつくりたいんだよ」
「それはまた、えらい話だな。政治家にでもなりたいのか?」
いらないことを言った気がする。俺は何も学んでいない。
個室の病室にしておいてよかった。
「いや、大学を作ろうと思って。そのために、大学に行く」
荒唐無稽にして、広大無辺な夢だ。でも、いい動機だと思う。
「母さんはなんと?」
「やってみればいい、って言ってくれてる」
「大学を作るって、新島襄とか福沢諭吉とか大隈重信と同列だな」
この話いらない。あぁ、折角のいい雰囲気が。
「そうだな、受験勉強なんかで摩耗しなくてもいいように、仕組みを変えるには、まず大学を作ることからだと思って」
18歳、受験勉強に苦しめられた時間、俺はもう一年お代わり勉強して、19歳で大学生になった。弁護士になりたくて、法学部ばかりを受けていたが、滑り止めに商学部や経済学部にも手をだしていた。R館大学の法学部に受かったとき、俺は弁護士になったんだと確信した。それくらい、この道をやすまずにまっすぐ進めば、夢は叶うと思っていた。
だが現実は違った。D社大学、法学部は落ちたものの、商学部に滑り込んだのだ。
塾の講師から電話がかかってきたのを覚えている。R館大学よりも、D社大学だって。就職にも有利だから。どうしても法学部って言うのなら、商学部から転部すればいいだけだし。
学歴偏重の講師からの電話は、親父が頼んだものだったらしい。親父の葬式でオフクロから聞いた。中卒の親父なりに、俺に伝えたかったのだろう。直接言えばよかったのにとも思うが、不器用な親父らしい。
***
「じゃぁ、俺そろそろ帰るわ」
「がんばれよ」
「お父さんこそ」
ちょうど17時だった。差し入れのライトノベルを読み始めた。ここに息子はいないけど、いるような感覚だ。
カミさんにLINEを送った。
《退院したら、お祝いでもしようよ》
《何を?》
《退院祝いにきまってるでしょうが》
《不摂生で入院して、治っただけでしょ》
《隆がさ、今日見舞いに来たの知ってるよね》
《知ってるわよ、心配してたから》
《とりあえず、祝杯でもあげよう》
《そういうところ、すぐ調子にのらない》
《そうだな》
適当にスタンプが送られて、夫婦の会話が終わった。さて、それじゃぁ息子が大学作ったら、学び直しさせてもらおう。法学部入学希望だ。
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