婚約解消(予定)をするはずだった婚約者からの溺愛がエグいです

なかな悠桃

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(そろそろ返事が来てもおかしくない頃合いね・・・)

今日は生憎の雨模様。遠くでは雷鳴もかすかに聞こえる荒れた天気。ベルーラは自室の窓から重く広がる黒い雨雲が、まるで自身の胸の内と重なるように感じ、思わず苦笑いがこぼれた。


ベルーラが婚約者であるキリウ・スクヴェルクを初めて目にしたのは、侯爵邸で開かれた彼の十歳を祝う誕生日会だった。当時七歳のベルーラから見たキリウの第一印象は“まるで絵本の中から出てきた王子様”だった。

その瞬間、生まれて初めて芽生えた恋心が、ベルーラの幼い胸を弾ませた。それは今でも鮮明に覚えているほどだった。

幼い頃のキリウは、母親似の上品且つ端正な顔立ちを持った美少年だった。それが年々歳を重ね、男性らしい体格へと変貌してもその美しさは変わることはなかった。中性的な麗しい顔立ちが一層際立ち、在学時代は文武両道など全てにおいて申し分のない青年へと成長していた。

そんな眉目秀麗なキリウは、必然的に人の目に触れる機会も多く、同じアカデミーに通う貴族令嬢たちの目の保養にも一役買うほどだった。

一方ベルーラは、外見内面共にといった具合でどこにでもいるような普通の貴族令嬢。勉学などもこれといって秀でているわけでもない。そのせいかキリウに好意がある一部の令嬢たちから“提灯に釣り鐘”など軽侮けいぶする言葉を直接投げつけられたりもした。

だからといってキリウに好意をぶつけ誘惑し、ベルーラから婚約者の座を引きずり降ろそうとするような積極的な令嬢はほとんどと言っていいほど皆無に等しかった。もちろん、ベルーラとの婚約も少なからず影響してはいるものの一番の原因はそこではなかった。

当時、在学中のキリウは、同学年にいたこの国の第一王女、マーヴェル・グラニオンの護衛も兼ねていた。その姿は、“唯一無二の国花”と称されるほど民からの人気も高く、その存在は周囲に多大な影響を与えていた。

そもそも、なぜキリウが王女の護衛役として側にいたのか・・・。
元来スクヴェルク家は、代々王族に仕える直接的な位置の貴族で、主に騎士に特化した家系であった。
彼らの先々代などは国トップと言わしめる騎士であり、そしてそれを色濃く受け継いでいるのがキリウだった。幼少期から剣術、武術共に申し分なく、近い将来国を護る近衛騎士団の中心として活躍が期待されるような人材。

そんなキリウに将来性を見出した現国王で当時王太子であったマーヴェルの父は、信頼関係を築くため幼い頃から王女の見護り役の一人として命じることにした。その役目はアカデミーを卒業した現在も続いており、騎士としての職務を果たしながら王女の側近の一人として仕えることとなる。

学内での二人の光景は、護衛とはいえ、容姿端麗な男女が常に傍にいれば噂にならないわけがない。当時から婚約者ベルーラの存在はあってないようなもの、皮肉にもキリウとマーヴェルが婚約していると勘違いする学生もいたほどだった。

微笑ましく互いに笑みを向け合うような存在・・・一方、ベルーラとは簡易的なお茶会はあるものの弾む会話もなく、キリウがマーヴェル王女と一緒にいる時のような穏やかな笑顔をベルーラに向けることはなかった。


(キリウ様は私なんかと結婚して、幸せになれるのかな・・・)

この受け継がれた約束事がようやく叶うと喜ぶ両家に自身の気持ちを訴えることが出来ないべルーラ。しかしそれ以上にこの婚姻に対し一番苦しんでいるのがキリウたちなのでは・・・そう想うとべルーラはやるせない気持ちに押し潰されそうになった。

それでもべルーラは、キリウとの関係を良好にしようと奮闘するも空回りする日々を重ねるだけだった。そんな環境の中、べルーラが十五歳の頃、王家主催の晩餐会にキリウと招待された。そして決定打となる光景を目に焼き付けることとなる。

キリウと共に招待されたべルーラは、貴族や王族関係者に挨拶を済ませホッと一息をついた矢先、先ほどまで隣にいたはずのキリウの姿が見当たらないことに気づいた。

(いつの間にはぐれてしまったのかしら)

べルーラは新調したての慣れないヒールで脚を痛めながらも彼を探す。その時ふと、人けのない一番端にある客室の方から聞き覚えのある男性の声を耳にした。それは聞いたことのない優しい声色で相手に対し慰撫いぶするのが白地あからさまに伝わった。
それはどう考えてもベルーラにとってあまり良くない光景が見ずとも理解でき、同調するかのように鼓動が警鐘のように強く胸を叩いた。
まるでパンドラの箱を開けてしまうような心境でベルーラは話し声がする部屋へゆっくりと歩み、扉の隙間越しに中を覗く。
そこには涙で頬を濡らし男性に身を任せるマーヴェル王女。そして、彼女の背中を優しく擦りながら慰めるキリウの姿が視界いっぱいに飛び込んできた。

それはまるで絵本の中の王子と姫が互いの愛を確かめ合うかのような、甘く優しい光景。きっと目にした誰もが恍惚とした表情で眺めるに違いないとさえ思わせてしまう。しかしべルーラは違った。その光景を見た刹那、身体中の血液が一瞬で冷え切ったような感覚に襲われ、僅かに保っていた感情が粉々に打ち砕かれ落胆し、深淵へと堕とされた。

(ああ・・・どう頑張っても無理だったんだ)

ベルーラはショックを受けるも不思議と涙は出ず、同時に吹っ切れた表情を浮かべ、決心する。


“婚約を解消し、キリウ様を解放してあげよう”


ベルーラとの婚約がなくなれば、キリウは王女の側を離れることなく護ることが出来る。いや、国王に気に入られているキリウのことだ、そのまま王女との婚約に発展するかもしれない。

(そうよ、私たちの婚約を解消さえ早くしてしまえば、マーヴェル様もお相手との婚約を破棄できるかもしれない)

キリウとの正式な婚約は、ベルーラが十八歳になる年に交わされる。そして、べルーラがアカデミーを卒業すると同時に入籍する流れになっていた。そのため口約束の段階とはいえ、双方の了承のもと婚約自体を無効にしなければならない。

しかしながら、キリウは王宮騎士の務めに加えて王女付きの騎士でもある以上、公務のたびに付き添いを求められることが多かった。そのうえ多忙なため、ゆっくり話し合う時間すらほとんど持てなかった。

何度も伝えようとするが、時間が合わなかったり、周りに人がいて話せなかったりとなかなかタイミングが掴めなかった。しかし、先日ようやく時間を作ってもらえたべルーラは、婚約解消の願いを数年越しにしてやっと伝えることができたのだった。


『ベルーラ嬢の気持ちは理解した。しかし私の一存でこの場の即決は難しい。すまないが、二週間ほど待ってくれないだろうか。それまでに家族を説得し、此方から解消の誓約書と共にモーリス邸へ伺わせてもらう。キミの期待に応えられるよう迅速な対処に心掛ける』

あの日、ベルーラの申し出に喜怒哀楽を表す言動を見せるわけでもなく、ただ淡々とした声色でキリウに告げられたことを思い出し、憂いを含む笑みを溢した。

(確か、あのあと同盟国の祝賀会か何かで急遽王女の護衛として連れ出されたんだっけ。進展の連絡がないことにはお父様たちに話すこともできないんだよね)

花嫁修業の一環でやっている苦手な刺繍が縫い終わると、ベルーラは大きく背伸びをした。

「私の誕生日までには、早く事を進めなくちゃいけないんだけどな・・・」

窓の外に目を向ければ、雨脚はいっそう激しさを増し、雷鳴も徐々に近づいてきた。その刹那、何の前触れもなく扉が勢いよく開かれる。そこには、顔を真っ青にしたノアが飛び込んできた。

「な、何事!?」

急な侍女の襲来に驚き、目を丸くさせていると、ノアはベルーラに険しい表情を向けた。

「お、お嬢様、心を落ち着けてお聞き頂けますでしょうか」

「へっ?ええ・・・」
(いやいや、まずはノアが落ち着いたほうが・・・)

なんて脳内で思っていると、今までに見たことのない表情のノアに自身も緊張した面持ちで固唾を呑む。

「たった今、スクヴェルク家の使者より、キリウ様が訓練中に落馬し、頭部を強く打って重傷を負い意識が戻っていない、との一報が届きました」

「え?」

その言葉にべルーラは一瞬、何を言っているのか全く理解ができなかった。

「現在、旦那様とヴィルス様は領地視察中でご不在、奥様もご友人方と観劇のため王都へお出掛け中でございます。まずは旦那様たちへ使者を向かわせ、事態を伝える手配をいたしましたが、連絡を待っている猶予はございません。先に我々だけでもスクヴェルク家にすぐ向かいましょう!」

巻き立てるように事の説明をするノアからの現実味のない内容にベルーラの思考はついていけず、まるで人ごとのような感情で立ち尽くしていた。

「ベルーラお嬢様!!放心状態になるのもわかりますが、一刻を争う事態になるかもしれません!しかも不運なことに今日は足元も悪いです。ですから早く向かいましょう!!」

今もなお、思考が停止し動けないベルーラに、ノアは普段よりも強い口調で動くように促した。ベルーラの心情を理解しつつもノアは他の侍女と共にベルーラを部屋から連れ出した。

「お嬢様、お気持ちをしっかり持ちましょう。大丈夫です!キリウ様は常日頃から身体を鍛えておられる方です。容易く命を落とすようなお方ではございません」

気休めだとわかっていながらも、ノアは気丈な態度でベルーラに接する。しかし向かいに座るベルーラは、血の気が引き、カタカタと小さく震えていた。
ノアは隣に座り直すと、べルーラの冷たくなった手を握り、もう片方の手でゆっくりと優しく彼女の背中を擦った。。
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