婚約解消(予定)をするはずだった婚約者からの溺愛がエグいです

なかな悠桃

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落馬事故から一夜明けても、未だキリウは目を覚まさなかった。だが、翌朝には平熱に戻ったと知らされ、ベルーラはひとまず胸を撫で下ろした。

べルーラたちが侯爵邸を後にしたその日の夜中、知らせを受けたキリウの両親は、旅行先から急いで戻って来たらしい。

モーリス家もまた、領地に残る父を除き、兄のヴィルスが子爵家へ戻ってきた。そして翌日、ベルーラは、母、兄と共にキリウの様子を確かめに再び侯爵家を訪れた。

母と兄、そしてキリウの両親は、別室で医師の説明を受けている間、ベルーラだけキリウの部屋に残っていた。眠り続けるキリウの傍らで、べルーラはただ黙ったまま祈ることしかできなかった。

(昨日より顔色が良くなってる)

ベルーラは、眠るキリウの頬にそっと手で触れようとした刹那、小さく控えめなノック音が響き、反射的に手を引いた。べルーラは寝室の扉をそっと開くと、話し合いが終わったのか、兄のヴィルスが姿を現した。

「ちょっと出てこれるか?」

キリウを気にしてか、ヴィルスは小声で囁くとベルーラに廊下へ出るよう促した。

「大丈夫か?容態は落ち着いているみたしだし、俺らは一旦、いえに帰ることになったよ。ひとまず、目を覚ますまでは何もできないからベルもその間ちゃんと休んだ方がいい。もし俺らが不在の場合は、ベルにお願いすることになるんだから」

「・・・うん、わかったわ」

深刻な面持ちでキリウの部屋の外扉を見つめるベルーラを後目に、ヴィルスは複雑な表情を浮かべ、黙ったままたたずんでいた。

一先ずキリウの容態を確認できたことで、ヴィルスの言う通り、ベルーラたちはモーリス邸へ戻ることになった。スクヴェルク侯爵夫妻に挨拶を済ませ、なおも現状を案じつつ、ベルーラはスクヴェルク邸を後にした。



☆☆☆
自室へ戻るなり、ベルーラは落ち着きなく部屋の中を右往左往しながら歩き回っていた。何もできない自分の無力さが身に染み、虚しさだけが募っていく。

(こんな時・・・マーヴェル様ならどうするんだろう)

ふと、そんな思いがよぎり、払拭するように頭を左右に振った。

「ベル、少しいいか?」

自分の女々しい感情に耐え切れず、大きな溜息をいた瞬間、乾いた音が扉を叩き、続けてヴィルスの声が部屋に届いた。

「は、はい。どうぞ」

入室を許すと、ノアが静かに扉を開け、ヴィルスを通した。ベルーラは気丈に笑みを浮かべて兄を迎え、彼は少し恐縮したようにソファに腰を下ろした。

「悪いな、疲れているところ」

「私は大丈夫よ。それよりお兄様こそ、急いでお戻りになったばかりであまり眠れていないんじゃない? しかも、今からまたお父様のところへ戻らなきゃいけないって、お母様が仰っていたけど」

ヴィルスはノアが用意した紅茶を一口含み、一息ついた。

「まあな。それにしてもあの万能なキリウがこんなことになるとは、未だに信じられないな。長年、あいつの幼なじみ兼友人をしているが、自分の目で確かめるまではドッキリか何かと疑ったくらいだよ」

ヴィルスは身体をすくめ、やれやれといった表情を浮かべると、ベルーラも同意するように小さく頷いた。

「私も、信じられなかった。剣術の大会でも無双状態だったし、遠征に向かわれた時も怪我一つなかった方なのに、まさかこんなことになるなんて・・・」

ベルーラは小さく息をつき、改めて幼馴染の二人を思い返す。

同じ歳のキリウとヴィルスは、家同士の繋がりも相まって幼少の頃から仲が良かった。性格は正反対のはずだが、不思議と馬が合い、アカデミーを卒業した今も二人で飲みに行くような関係を築いていた。

そして、ヴィルスもまたキリウほどではないにせよ、人目を引く存在で、令嬢たちの視線を集めることがあった。今は落ち着いているが、アカデミー時代の兄は、常に違う令嬢が傍にいて、何度か修羅場に発展することもしばしば。妹想いで優しい兄だが、その奔放さだけは嫌悪感を抱かざるを得なかった。

「本当だよなー。俺だってアカデミー時代、剣術は結構自信あったけど、キリウには歯が立たなかったしなー。とは言っても、可愛い妹の旦那様になるから俺より弱いのも困るけどな」

「え、ええ・・・そう・・・ね」

二人の関係をこれから気まずいものにさせてしまうかもしれない。そんな思いが胸をよぎり、ベルーラは一瞬言葉に詰まった。
本来なら、キリウの返事を聞いてから家族に話すのが筋だと分かっていたが、兄には先に知らせるべきだと思い、覚悟を決めて口を開いた。

「お兄様、こんな時にお話しするのは心苦しいのですが。実は、事故の数週間前に私、キリウ様に婚約の解消をご相談していました」

「・・・ッッぶふ!!!はあーーーッッ!!??お、お前、今なんて!?」

ヴィルスが一息つくように紅茶を口に運んだその瞬間、ベルーラの思いがけない一言に思わず噴き出し、紅茶が飛び散った。対照的にベルーラは落ち着き払ってハンカチを差し出し、兄に口元を拭うよう促した。

「ど、どういうことだよ、それ!?今の話ッッ!!!父上たちには」

「まだ伝えてはいません。この件について知っているのは、キリウ様と今伝えたお兄様、そしてノアだけです」

冷静な口調でヴィルスに伝えるとべルーラは軽く息を吐いた。一方、ヴィルスは唖然とした表情をべルーラに向け、固まっていた。

「私、ずっと腑に落ちなかった。会ったこともない祖先の口約束に、なんで私たちが縛られなきゃいけないの?って。 だってそうでしょ、当事者の気持ちを無視して、こんなの時代錯誤もいいところじゃない。正直、今は両家の関係もうまくいってるし、結婚なんてわざわざしなくてもいいと思ってる」

ベルーラはあくまで“先人たちの取り決めに対する負の産物”を強調し、キリウと王女の話の含みは一切口にはしなかった。

「はあーー、マジかよ・・・何か様子が変だと思ったんだよ。一旦、今は俺の胸の内にだけとどめておくが、キリウは何か言ってたか?」

「いいえ、特には。今すぐには返事が出来ない、とは仰ってたわ」

ハンカチを口元から離し、テーブルに置いたヴィルスは、途方に暮れたように大きな嘆息をついた。
一方のベルーラは、すべてではないにしても身内に話せたことで、心が少し軽くなったのか硬かった表情を和らげた。

「今はキリウ様の回復が先だし、これ以上の事を起こす気はないわ。ただ一つ言わせてもらえれば、この話に関してキリウ様自身も前向きに検討してくれる流れにはなってたの。だから・・・もしキリウ様が回復したら」

ヴィルスは少し俯き加減で話すベルーラの頭に軽く手を置くと優しく微笑み小さく頷いた。

「ベルが言う通りキリウの回復が先だ。このままの状態は辛いだろうが、気長に待つしかない。でも、本当にいいのか?俺はてっきり・・・いや、とりあえず俺は領地に戻るが、何かあれば遠慮せず、すぐ連絡しろよ」

「ありがとう、お兄様」

ヴィルスは今のやり取りで一気に疲れが現れたのか、ゆらゆらと立ち上がり、ふらふらとした足取りのままベルーラの部屋を後にした。ベルーラも緊張の糸がプツリと切れたのか、ソファへ全身の体重をかけるように身体を沈めた。

「こんな時に非常識とは思ったけど、お兄様に伝えられて良かった。・・・けど、このことでお兄様たちが気まずくなるかもしれないと思うと申し訳ないな・・・」

ソファの背凭れに頭を乗せ、天井を見上げたベルーラは呟きながら、静まり返った部屋の中でただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。
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