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応接間にはベルーラをはじめ、キリウの両親、執事長や侍女長など、スクヴェルク家に長く仕える限られた使用人たちが顔をそろえていた。張りつめた空気のなか、険しい表情の医師が重い口を開く。
「キリウ様は、どうやら記憶に障害が出ているようです。先ほどお話を伺ったところ、ご家族やお仕事など、ご自身に身近な事柄の記憶はしっかり残っており、事故のことも覚えていらっしゃいました。ただ、一部の人物や出来事については・・・」
「な、なんということ」
狼狽える侯爵夫人の肩を優しく擦るスクヴェルク侯爵は、内心の動揺を隠しつつも妻を気遣っていた。その様子を窺いながら、医師はさらに夫妻へ言葉をかけた。
「記憶がすぐに戻る場合もあれば、時間がかかることもあります。穏やかな環境で過ごしたり、普段通りの日常生活を送ることで、少しずつ記憶が蘇ることもあります。ご家族などのサポートを受けながら、焦らず一歩ずつ取り組んでいきましょう」
皆が医師を交えて今後の話を進める中、ベルーラだけは硬直したまま、頭の中でひとり会議を開いていた。
(記憶喪失・・・それで私のことは忘れちゃってて・・・ん?じゃあ解消の話ってどうなっちゃうの!?でも、今はキリウ様の回復が先で・・・そうなるといつ解消の話を進めればいいの?うぅーー・・・頭痛くなってきた)
そんな取り留めのない思考に溺れ、心の中で半ば発狂しかけていた時、扉を叩く音が響き、場の会話はぴたりと途絶えた。
「旦那様、お伝えしたい事がございます。よろしいでしょうか?」
「入りなさい」
外から声がかかると、スクヴェルク侯爵は静かに入室を許した。扉が開き、そこにはスクヴェルク家の使用人が控えていた。彼は一歩踏み入れ、恭しく一礼する。
「お話の途中で恐れ入ります。ベルーラ様、キリウ様がご面会を望んでおられます。ご一緒にお部屋へお越しいただけますでしょうか」
「えっ?キリウ様が、私を!?・・・わ、わかりました、伺います。すみませんが、一旦席を外させていただきます」
突然、使用人からそう告げられ、あまりにも予想外の展開に、ベルーラは驚きを隠せぬまま退出するため席を立った。
「ベルちゃん、待って頂戴」
ちょうどその時、夫人の声がべルーラを呼び止めた。彼女は、べルーラをふわりと抱き締め、背中を優しく擦った。
「ベルちゃん、キリウはきっと記憶を取り戻すわ。だから、これからもあの子を支えてあげてちょうだい」
「もちろんです」
(実は『息子さんには婚約解消の旨を伝えてあるんですよ』なんて言えるわけないよね・・・)
憔悴した表情の夫人に懇願されたベルーラは、心とは裏腹に柔らかな笑みを浮かべた。彼女を安堵させるには、それしか方法がなかった。
☆☆☆
再びキリウの部屋へ呼び戻されたベルーラの足取りは、先ほどにも増して重かった。隣を歩くノアも、心配そうにベルーラへ視線を向けている。
「・・・お嬢様、大丈夫でいらっしゃいますか? もしご無理であれば、体調不良ということで一旦お暇を賜るよう、私からお伝えすることもできますが」
案内する使用人に気づかれぬよう、ノアは声を潜めて耳打ちしたが、ベルーラは首を振り拒んだ。
「大丈夫よ。今逃げ出しても何の解決にもならないわ。記憶が戻るまでは、キリウ様の全快に専念するつもり。そうしていれば、いずれ記憶も戻るかもしれないしね」
「お嬢様がそう仰るのでしたら……でも、どうか ご無理はなさらないでくださいね」
二人がこそこそ話す中、扉の前で使用人は足を止めた。キリウから入室の許可を得ると重厚な扉を開き、ベルーラを中へと促した。
「キリウ様が、お二人だけでお話しになりたいとのことでございます。ベルーラ様、どうぞお入りくださいませ」
「ふぇッ!?・・・っ、あ、はい」
ベルーラは、まさか今のキリウと二人きりになるとは思っておらず、驚きのあまり変な声を上げてしまった。不安げな表情でノアを見ると、ノアは小さく頷き、ひそやかなガッツポーズと共に、読話で『頑張ってください』と伝えてきた。
「何かありましたら、近くにおりますので、遠慮なくお声を掛けてくださいませ」
「・・・わかりました」
気乗りしない気持ちを抑えながら、ベルーラは一度深呼吸して、足を踏み入れた。
「キリウ様は、どうやら記憶に障害が出ているようです。先ほどお話を伺ったところ、ご家族やお仕事など、ご自身に身近な事柄の記憶はしっかり残っており、事故のことも覚えていらっしゃいました。ただ、一部の人物や出来事については・・・」
「な、なんということ」
狼狽える侯爵夫人の肩を優しく擦るスクヴェルク侯爵は、内心の動揺を隠しつつも妻を気遣っていた。その様子を窺いながら、医師はさらに夫妻へ言葉をかけた。
「記憶がすぐに戻る場合もあれば、時間がかかることもあります。穏やかな環境で過ごしたり、普段通りの日常生活を送ることで、少しずつ記憶が蘇ることもあります。ご家族などのサポートを受けながら、焦らず一歩ずつ取り組んでいきましょう」
皆が医師を交えて今後の話を進める中、ベルーラだけは硬直したまま、頭の中でひとり会議を開いていた。
(記憶喪失・・・それで私のことは忘れちゃってて・・・ん?じゃあ解消の話ってどうなっちゃうの!?でも、今はキリウ様の回復が先で・・・そうなるといつ解消の話を進めればいいの?うぅーー・・・頭痛くなってきた)
そんな取り留めのない思考に溺れ、心の中で半ば発狂しかけていた時、扉を叩く音が響き、場の会話はぴたりと途絶えた。
「旦那様、お伝えしたい事がございます。よろしいでしょうか?」
「入りなさい」
外から声がかかると、スクヴェルク侯爵は静かに入室を許した。扉が開き、そこにはスクヴェルク家の使用人が控えていた。彼は一歩踏み入れ、恭しく一礼する。
「お話の途中で恐れ入ります。ベルーラ様、キリウ様がご面会を望んでおられます。ご一緒にお部屋へお越しいただけますでしょうか」
「えっ?キリウ様が、私を!?・・・わ、わかりました、伺います。すみませんが、一旦席を外させていただきます」
突然、使用人からそう告げられ、あまりにも予想外の展開に、ベルーラは驚きを隠せぬまま退出するため席を立った。
「ベルちゃん、待って頂戴」
ちょうどその時、夫人の声がべルーラを呼び止めた。彼女は、べルーラをふわりと抱き締め、背中を優しく擦った。
「ベルちゃん、キリウはきっと記憶を取り戻すわ。だから、これからもあの子を支えてあげてちょうだい」
「もちろんです」
(実は『息子さんには婚約解消の旨を伝えてあるんですよ』なんて言えるわけないよね・・・)
憔悴した表情の夫人に懇願されたベルーラは、心とは裏腹に柔らかな笑みを浮かべた。彼女を安堵させるには、それしか方法がなかった。
☆☆☆
再びキリウの部屋へ呼び戻されたベルーラの足取りは、先ほどにも増して重かった。隣を歩くノアも、心配そうにベルーラへ視線を向けている。
「・・・お嬢様、大丈夫でいらっしゃいますか? もしご無理であれば、体調不良ということで一旦お暇を賜るよう、私からお伝えすることもできますが」
案内する使用人に気づかれぬよう、ノアは声を潜めて耳打ちしたが、ベルーラは首を振り拒んだ。
「大丈夫よ。今逃げ出しても何の解決にもならないわ。記憶が戻るまでは、キリウ様の全快に専念するつもり。そうしていれば、いずれ記憶も戻るかもしれないしね」
「お嬢様がそう仰るのでしたら……でも、どうか ご無理はなさらないでくださいね」
二人がこそこそ話す中、扉の前で使用人は足を止めた。キリウから入室の許可を得ると重厚な扉を開き、ベルーラを中へと促した。
「キリウ様が、お二人だけでお話しになりたいとのことでございます。ベルーラ様、どうぞお入りくださいませ」
「ふぇッ!?・・・っ、あ、はい」
ベルーラは、まさか今のキリウと二人きりになるとは思っておらず、驚きのあまり変な声を上げてしまった。不安げな表情でノアを見ると、ノアは小さく頷き、ひそやかなガッツポーズと共に、読話で『頑張ってください』と伝えてきた。
「何かありましたら、近くにおりますので、遠慮なくお声を掛けてくださいませ」
「・・・わかりました」
気乗りしない気持ちを抑えながら、ベルーラは一度深呼吸して、足を踏み入れた。
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