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扉を開けて最初に視界に飛び込んできたのは、寝衣姿ではなく、普段見慣れない眼鏡をし、軽装に身を包んだキリウの姿だった。
「え!?もう起き上がってよろしいのですか?」
べルーラは、キリウの姿に驚きを隠せず、思わず足を止めた。
「ああ。それより呼び出してすまなかった」
「い、いえ」
キリウは忙しそうに机に向かい、溜まりに溜まった書類を次々と確認していた。
「起きたては気分も優れなかったが、じっとしているのも性に合わなくて。それに、幸い自分がやっていた仕事の内容は覚えていたから、目を通したかったんだ。まあ、皆からはまだ早いと注意されたが」
「さ、然様でございますか・・・」
普段から仕事の鬼で、プライベートを惜しまない姿は以前のままだった。呆気に取られているべルーラと目が合うと、キリウは少し気まずそうに照れ笑いを向けてきた。
(え?え?こんな表情、今まで向けられた記憶ないんですけど!?)
現実味のない状況に、思わず自分の頬をつねると、鈍い痛みが走った。普通の関係であれば、そんな些細な表情など気にも留めない光景だろう。
だが、ベルーラとキリウは、互いに微笑み合うような関係ではなかった。だからこそ、以前のキリウとはあまりにかけ離れたその様子に、ベルーラの心は動揺し、言葉を失った。
しばしの間、現実を受け止められず呆然としていたが、何とか我に返り、背筋を伸ばして姿勢を正した。
「皆様の仰ることもごもっともでございます。目覚めてからあまり時間も経っておりませんし、どうかご無理はなさらないでください」
ベルーラは心配そうな表情を向けるとキリウは眉尻を下げ優しく微笑んだ。
「ありがとう。そうだな、これ以上皆に心配をかけるのは本意でないからな」
ひと通り目処がついたのか、キリウは手に持っていたペンをペン立てに戻し、ベルーラにソファで寛ぐよう促した。
ぎこちない足どりのべルーラは、キリウに言われた通りソファに腰を下ろすと向かい合わせになるようにキリウも腰を下ろした。
(記憶がないとはいえ、こうも空気感が変わるものなのかな?)
今までとは違う穏やかな雰囲気に慣れないべルーラは、戸惑いを隠すように軽く咳払いをし、キリウに問いかけた。
「その・・・改めてお聞きしますが、私のことは本当に覚えていらっしゃらないのですか?」
躊躇いながら問いかけるベルーラに、キリウは一瞬わずかに眉を動かし、視線を下げた。
「ああ、婚約者のキミに対し本当に失礼なことだが・・・すまない、本当にすまないと思ってる」
キリウは小さく頷き、申し訳なさげな表情で謝罪を繰り返した。
「そうですか・・・」
覚えていないという現実を再び突きつけられ、ベルーラは思っていた以上に心が落ち込むのを感じた。
婚約解消の件に進展が望めないこともさることながら、彼にとって自分という存在がやはり無きに等しいのだと思い知らされたことが、何より堪えた。
「本当にすまない」
心の底から申し訳なさが伝わる声色と、硬い表情で何度も頭を下げながら、謝罪の言葉を述べるキリウに、ベルーラはハッと我に返る。
「お、お止めくださいっ!それはキリウ様のせいではございません」
(そう、彼にとって私の存在なんて、初めから頭になかったんだから。だからそんなに謝らなくてもいいんですよ)
やはり、自分が下した判断は間違っていなかったことが、皮肉にも証明されてしまった。
「まだご無理は禁物とはいえ、こうして問題なくお話できるまで回復なさって、本当に安心いたしました」
ベルーラがニコリと作り笑いを浮かべた刹那、キリウが勢いよくソファから立ち上がった。
「こんな状況で、問題ないことないだろうッッ!!」
声量こそ抑えられていたものの、その口調は荒かった。これほど感情をむき出しにする姿など今まで見たことがなかったベルーラは、ただ呆気に取られる。
幸い、声は廊下までは届かず、使用人たちが慌てて飛び込んでくることはなかった。
正気を取り戻したキリウは、口元を押さえ、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。
「すまない・・・でも、そんなこと言わないでくれ。だってキミは俺の婚約者だろ?そんな大切な女性を忘れてしまうなんて、ありえないことだろう・・・」
キリウは興奮して声を荒げたかと思うと、今度は意気消沈してソファに座り込み、頭を抱えた。
「え、あ、キリウ様、私のことは本当にお気になさらないで下さい。こうしてお話しできるだけでも、私は幸せですから。それに、時間が経てば思い出すかもしれませんし・・・。あまりご自身を追い詰めず、自然の流れに任せましょう」
あまりにも見慣れない情緒不安定なキリウに、ベルーラは戸惑いながら宥めることしかできなかった。
今の彼からは婚約解消の話は益々できないと判断し、ソファから徐に立ち上がった。
「今日はお顔を見るだけのつもりでしたので、大変有意義な時間を過ごせました。ですが、先ほども申し上げました通り、キリウ様はまだ病み上がりの御身です。お仕事も大事でしょうが、どうか無理はなさらないで下さいね。では、私はこれにて御暇させて頂きます」
「待って!これだけは言わせてくれ!」
ベルーラが膝を曲げ、小さくカーテシーをして退室しようとした刹那、キリウが急に立ち上がり、彼女の腕を掴んだ。そのせいでベルーラはバランスを崩し、キリウの胸元に身体を預ける形になってしまった。
「わっ!も、申し訳ござ、!?」
すぐさま離れようとした瞬間、キリウに強く抱き締められた。ベルーラは予想外の展開に驚き、言葉を失った。初めて近くで感じる柑橘系の香水に戸惑っていると、今にも泣きそうな声色が耳元を擽り、ベルーラの心臓は早鐘のように打ち鳴った。
「記憶がない今の俺が言うのもおかしいけど、ベルーラ嬢のことは本当に大事に想っていたと思うんだ。じゃなきゃ、忘れているはずなのに、キミといるだけで胸がこんなに高鳴るわけがない・・・。だから、どうか俺を見捨てず、待っていてほしい。絶対に思い出して、ベルーラ嬢を幸せにすると誓う」
「・・・・・・」
キリウの言葉通り、胸元の鼓動が耳に伝わるのを感じた。ベルーラは、逡巡しつつも言葉は出ず、黙ったまま身を委ねた。
「え!?もう起き上がってよろしいのですか?」
べルーラは、キリウの姿に驚きを隠せず、思わず足を止めた。
「ああ。それより呼び出してすまなかった」
「い、いえ」
キリウは忙しそうに机に向かい、溜まりに溜まった書類を次々と確認していた。
「起きたては気分も優れなかったが、じっとしているのも性に合わなくて。それに、幸い自分がやっていた仕事の内容は覚えていたから、目を通したかったんだ。まあ、皆からはまだ早いと注意されたが」
「さ、然様でございますか・・・」
普段から仕事の鬼で、プライベートを惜しまない姿は以前のままだった。呆気に取られているべルーラと目が合うと、キリウは少し気まずそうに照れ笑いを向けてきた。
(え?え?こんな表情、今まで向けられた記憶ないんですけど!?)
現実味のない状況に、思わず自分の頬をつねると、鈍い痛みが走った。普通の関係であれば、そんな些細な表情など気にも留めない光景だろう。
だが、ベルーラとキリウは、互いに微笑み合うような関係ではなかった。だからこそ、以前のキリウとはあまりにかけ離れたその様子に、ベルーラの心は動揺し、言葉を失った。
しばしの間、現実を受け止められず呆然としていたが、何とか我に返り、背筋を伸ばして姿勢を正した。
「皆様の仰ることもごもっともでございます。目覚めてからあまり時間も経っておりませんし、どうかご無理はなさらないでください」
ベルーラは心配そうな表情を向けるとキリウは眉尻を下げ優しく微笑んだ。
「ありがとう。そうだな、これ以上皆に心配をかけるのは本意でないからな」
ひと通り目処がついたのか、キリウは手に持っていたペンをペン立てに戻し、ベルーラにソファで寛ぐよう促した。
ぎこちない足どりのべルーラは、キリウに言われた通りソファに腰を下ろすと向かい合わせになるようにキリウも腰を下ろした。
(記憶がないとはいえ、こうも空気感が変わるものなのかな?)
今までとは違う穏やかな雰囲気に慣れないべルーラは、戸惑いを隠すように軽く咳払いをし、キリウに問いかけた。
「その・・・改めてお聞きしますが、私のことは本当に覚えていらっしゃらないのですか?」
躊躇いながら問いかけるベルーラに、キリウは一瞬わずかに眉を動かし、視線を下げた。
「ああ、婚約者のキミに対し本当に失礼なことだが・・・すまない、本当にすまないと思ってる」
キリウは小さく頷き、申し訳なさげな表情で謝罪を繰り返した。
「そうですか・・・」
覚えていないという現実を再び突きつけられ、ベルーラは思っていた以上に心が落ち込むのを感じた。
婚約解消の件に進展が望めないこともさることながら、彼にとって自分という存在がやはり無きに等しいのだと思い知らされたことが、何より堪えた。
「本当にすまない」
心の底から申し訳なさが伝わる声色と、硬い表情で何度も頭を下げながら、謝罪の言葉を述べるキリウに、ベルーラはハッと我に返る。
「お、お止めくださいっ!それはキリウ様のせいではございません」
(そう、彼にとって私の存在なんて、初めから頭になかったんだから。だからそんなに謝らなくてもいいんですよ)
やはり、自分が下した判断は間違っていなかったことが、皮肉にも証明されてしまった。
「まだご無理は禁物とはいえ、こうして問題なくお話できるまで回復なさって、本当に安心いたしました」
ベルーラがニコリと作り笑いを浮かべた刹那、キリウが勢いよくソファから立ち上がった。
「こんな状況で、問題ないことないだろうッッ!!」
声量こそ抑えられていたものの、その口調は荒かった。これほど感情をむき出しにする姿など今まで見たことがなかったベルーラは、ただ呆気に取られる。
幸い、声は廊下までは届かず、使用人たちが慌てて飛び込んでくることはなかった。
正気を取り戻したキリウは、口元を押さえ、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。
「すまない・・・でも、そんなこと言わないでくれ。だってキミは俺の婚約者だろ?そんな大切な女性を忘れてしまうなんて、ありえないことだろう・・・」
キリウは興奮して声を荒げたかと思うと、今度は意気消沈してソファに座り込み、頭を抱えた。
「え、あ、キリウ様、私のことは本当にお気になさらないで下さい。こうしてお話しできるだけでも、私は幸せですから。それに、時間が経てば思い出すかもしれませんし・・・。あまりご自身を追い詰めず、自然の流れに任せましょう」
あまりにも見慣れない情緒不安定なキリウに、ベルーラは戸惑いながら宥めることしかできなかった。
今の彼からは婚約解消の話は益々できないと判断し、ソファから徐に立ち上がった。
「今日はお顔を見るだけのつもりでしたので、大変有意義な時間を過ごせました。ですが、先ほども申し上げました通り、キリウ様はまだ病み上がりの御身です。お仕事も大事でしょうが、どうか無理はなさらないで下さいね。では、私はこれにて御暇させて頂きます」
「待って!これだけは言わせてくれ!」
ベルーラが膝を曲げ、小さくカーテシーをして退室しようとした刹那、キリウが急に立ち上がり、彼女の腕を掴んだ。そのせいでベルーラはバランスを崩し、キリウの胸元に身体を預ける形になってしまった。
「わっ!も、申し訳ござ、!?」
すぐさま離れようとした瞬間、キリウに強く抱き締められた。ベルーラは予想外の展開に驚き、言葉を失った。初めて近くで感じる柑橘系の香水に戸惑っていると、今にも泣きそうな声色が耳元を擽り、ベルーラの心臓は早鐘のように打ち鳴った。
「記憶がない今の俺が言うのもおかしいけど、ベルーラ嬢のことは本当に大事に想っていたと思うんだ。じゃなきゃ、忘れているはずなのに、キミといるだけで胸がこんなに高鳴るわけがない・・・。だから、どうか俺を見捨てず、待っていてほしい。絶対に思い出して、ベルーラ嬢を幸せにすると誓う」
「・・・・・・」
キリウの言葉通り、胸元の鼓動が耳に伝わるのを感じた。ベルーラは、逡巡しつつも言葉は出ず、黙ったまま身を委ねた。
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