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「おはよーございまーす、お嬢さまー。朝ですよー」
カーテンを開けるノアは、どこか上機嫌な様子でベルーラを起こしに来た。気怠さと所々の疲労感に襲われながらもベルーラは、自室にいることに漠然と安堵した。
もしかしたら夢だったのかも・・・なんて楽観的に考えていると、ノアの軽快な会話で違ったことを叩きつけられる。
「もう昨夜は、本当に私の中で眼福でしたよ~!お嬢様はぐっすり眠っておられたので、気づかれなかったのも仕方ありませんが。キリウ様がお嬢様をお姫様抱っこしていらした時なんて、皆、心の中で悲鳴を上げちゃいましたよ!まるで王子様と眠り姫のようで・・・あぁ、あの光景・・・本当に美しかったなぁ♡」
あまりにもテンションの高い侍女を後目にべルーラは呆れ顔を向ける。
「だからって、何でノアがそんなにも喜んでるのよ」
「そりゃあ、こうなるのも無理はありませんよ。数か月前にはいろいろなことがありましたからねー。今ではこれほどまでに仲睦まじいご様子、嬉しい限りですよー!」
まるで神に祈るように、ノアは両手の指を絡め、瞳を輝かせていた。表情をころころと変えながら、楽しげな声で言葉を連ねながら、ベルーラの支度の準備に取りかかろうとしていた。
(あんな感覚・・・はじめてだった)
ベルーラは、昨日を想い出すだけでも心臓が高鳴り、おかしな感覚に襲われた。
(・・・心臓がもたない)
ベルーラは、考えれば考えるほど混乱しそうで、そっと思考を閉ざした。
「ベルーラお嬢様、そろそろお着替えの準備をしましょうかー」
ノアはクローゼットから数着の衣服を取り出し、こちらへ持ってきた。
「とりあえず、今日は学園もお休みだし、庭の手入れをしたいから軽めの服にしよ───っ!」
ノアに着替えの手伝いをしてもらおうとした刹那、ベルーラは昨日の出来事の中で身体に残された痕跡を思い出した。その瞬間、一気に血の気が引き、ナイトウェアに触れようとするノアから、ベルーラは勢いよく身を引いた。
「きょ、今日はその服の気分じゃないの。服は自分で選ぶわ。何かあれば呼ぶから、それまで下がっていてちょうだい」
「?・・・かしこまりました。何かございましたら、お呼びくださいませ」
少し納得のいかない顔で訝しげにするノアを、一旦自室から追い出した。ベルーラは恐る恐る姿見の前に立ち、ナイトウェアを脱いだ自分の身体を映した。その瞬間、思わず盛大な溜息を吐くことになる。
髪をあげると、首筋はもちろん、至る箇所にキリウから付けられた痕跡が目に入る。昨日の痕は赤紫に色づき、身体中にちらほらと点在していた。
(こんないっぱい・・・あ、肩に薄っすら歯形もあるし・・・もうこれじゃあノアたちにバレちゃうじゃない!!)
最中に何度も小さな痛みを植えつけられていたのは覚えている。ただ、緊張とアドレナリンのせいか、途中から痛みの感覚は気づかなくなっていた。
改めてまじまじと自身の身体を鏡越しから眺めた。相変わらず魅力ある身体つきには見えず、落胆と不安がべルーラの頭を悩ませた。
「と、兎に角、首回りを隠せる服を探さなきゃ」
ベルーラは、自室にあるクローゼットから襟の高めなドレスを急いで探した。
☆☆☆
「おはようございます」
ベルーラは朝食を取るため、広々としたダイニングルームへ向かった。そこにはすでに父母と、久しぶりに帰宅した兄が揃っており、彼女は挨拶をして自席についた。
昨日は、疲労困憊であのまま寝落ちしたため、胃の中は空っぽ状態。そのせいか、目の前に並べられた焼き立てのパンやコーンスープ、ベーコンの香ばしい匂いが、ベルーラの鼻腔をくすぐり、脳と胃袋を強く刺激した。
「おはよう、ベルーラ。今日はいつもより遅い目覚めだったのか?」
父親からの何気ない一言でも、今のべルーラにとっては後ろめたく、ぎこちない笑みを返した。
「え、あ、いえ。衣装選びに少々手間取ってしまいました」
「そうか・・・ん?ベルーラ、声が少し掠れているようだが、風邪でも引いたのか?」
「こ、声ですか!?」
父親の質問に数秒きょとんとしたあと、すぐに理由に気づいたベルーラは、わざと軽く咳払いをした。
「そ、そうなんです。最近、乾燥気味だったせいか、少し喉を傷めてしまったみたいで。それ以外は元気なのですが」
まさか情事のせいだとは口が裂けても言えず、ベルーラは乾いた笑いを父親に向けた。
「そうか。酷くならないよう、しばらくは安静にしていなさい。だが、そのような状態になるまで無理をしていたというのは、些か疑問だぞ。それに、事前に連絡を寄こし、此方が了承した手前もあるが、あの時間は少し度が過ぎているように思う」
父親のピリついた言葉が室内の空気を張りつめさせ、使用人たちはそろって気まずそうな顔をした。そんな中、黙ったまま食事をしていたある人物が、上品にナプキンで口を拭き終わると、口を開いた。
「いいじゃありませんか。ベルーラはもうすぐスクヴェルク家に嫁ぐんですもの。少しくらい恋人らしい時間を過ごしたって、バチは当たりませんよ」
淡々とした口調で、母親は父親に向かって理詰めに言い放った。そもそも父親は昔から母親に弱く、言い包められるのが常だった。
「まあまあ、朝からそんな不穏な空気放たなくてもいいでしょう。そうそう父上、この前領民から聞いたんですが───」
さらなる兄からのナイスアシストのおかげで、すっかり意気消沈していた父が、仕事モードに切り替わる。そのおかげで小言を回避できたベルーラは、心の中で母と兄に感謝しつつ、澄ました表情でスープをそっと口に含んだ。
朝食を終えたベルーラは、父の前でついた嘘の手前、静かに自室へ戻らざるを得なかった。ひとまず、刺繍の練習に手を動かしていると、ふと一つの疑問が胸の奥に浮かび上がった。
(そういえばさっき、見たことのないナイトウェア着ていたわよね・・・)
「ノアッ!!」
「はいッッッ!?」
紅茶の支度をしていたノアは、突然ベルに大きな声で名を呼ばれ、思わず手を止めた。危うく茶葉を床にぶちまけるところだったが、なんとかこぼさずに済んだ。
「いきなり大声を出されたらビックリするではないですかー。急にどうなされたんですか?」
ノアは胸に手を当て、落ち着こうと一旦深呼吸をした。そして、不思議そうな表情のまま、そっとベルーラの傍へと歩み寄る。
「さっき言ってたでしょ、昨日キリウ様が寝てる私を邸まで送ってくださったって・・・ちなみにその時、何を着てた?」
思い詰めた面持ちで語るベルーラに対し、ノアは不思議そうに小さく首を傾げ、昨日の出来事を思い返した。
「えーっとですね、確か先ほどお召しになっていたウェアでした。キリウ様が体調を崩された際に、お嬢様がお世話をしてて、そのまま眠っちゃったとか。夜も更け、制服の皺を気になさったキリウ様が、侍女長にお願いしてお着替えさせたそうですよ。ちなみに例の寝間着、キリウ様がお泊まり用に用意されてたみたいです~キャッ♡あ、旦那様には内緒ということでした」
「そ、そう・・・・・・はは」
(ってことは、うちの人たちには、まだこの身体のことバレてないってことね。・・・でも、このまま隠し通せるわけないか)
朝のときのように再び興奮気味で話すノアを前に、ベルーラは小さく苦笑し、静かに息を吐いた。
コンコン・・・。
二人で軽口を交わしながら笑い合っていると、自室の扉からノック音が響いた。
「はい」
「ベル、ちょっといいか?」
「ヴィルスお兄様?ええ、大丈夫よ」
ベルーラはヴィルスを部屋へ招き入れ、ソファへと腰を下ろすよう促した。兄の何か言いたげな気配を感じ取り、彼女も向かいの席に腰を下ろし、様子をうかがった。
「お兄様、どうかなさったの?」
しかし、なかなか口を開かないヴィルスに、しびれを切らしたベルーラは、自ら話を切り出した。
「ああ・・・ほら最近忙しくてゆっくりベルと話してなかったなーって思ってさ」
ヴィルスは他愛のない話を口にしつつ、ノアへちらりと視線を送った。
「では、ヴィルス様のお飲み物の準備をして参りますので、失礼致します」
ヴィルスの視線を感じ取ったノアは、一言断りを入れると、静かに部屋を後にした。
すると二人きりになった途端、ベルーラの向かいに座るヴィルスが、深いため息をひとつ漏らした。
「ど、どうかなさったの、お兄様?」
最近、嫡男として父の事業を手伝うことが増えたせいで、疲れがたまっているのだろうか。そう案じたベルーラは、少し戸惑いながら兄に声をかけた。
「どうしたもこうしたもない。ベル、お前は一体何がしたいんだ!」
「なに・・・と申しますと」
「いくら記憶障害を起こしているとはいえ、一度婚約解消を伝えた相手となんで交流を深めているんだ!?いや、それはそれでいいんだ・・・ただ、あんな思い詰めた顔してたのに急展開すぎるだろ!」
「ああ・・・そうでしたわね」
(あの後、色々あり過ぎて、お兄様に報告するの忘れてたわ)
ベルーラは、兄が領地へ戻った後に起きた出来事を一通り説明した。黙って耳を傾けていたヴィルスだったが、話が終わる頃には口を半ば開けたまま固まっていた。
「・・・つまり、今ままでの態度とはまるっきり違うNEWキリウが爆誕したというわけか」
「NEWキリウ・・・」
ヴィルスの言葉に思わず吹き出しそうになったが、ぐっと堪えた。ひとまずノア以外にヴィルスにも打ち明けられたことで、べルーラの心が少し軽くなった。
「ベルはどうしたいんだ?話を聞く限りでは、二人は以前と違って上手くいっているみたしだし、俺としてはこのままの関係なら問題ないと思ってる。仮に記憶が戻ったとしても、今の関係が丸ごとなくなるわけじゃないだろうし」
「キリウ様も同じことを仰ってたわ。でも・・・」
「ベル?」
どれほど愛情深く接してくれても、ベルーラの胸には “偽りの愛” という言葉が残り続けた。
キリウとマーヴェル王女の秘めた恋情が消えないことには、べルーラの心は一生晴れない。
(お兄様は二人の関係を直に見てた人よね・・・だったら聞いてもいいのかもしれない)
ベルーラは意を決して、ヴィルスに学生時代の二人のことを尋ねようとした。しかしその刹那、間の悪いことに扉を叩く音が響いた。
「失礼いたします、ベルーラ様。旦那様がお呼びでございますので、書斎までお越しくださいませ」
「わ、わかったわ」
外扉から男性使用人の声が聞こえ、ベルーラは一先ず話を中断し、父親がいる書斎へと向かうことにした。
この後、ベルーラを悩ます種になるとは知らずに・・・・・・。
カーテンを開けるノアは、どこか上機嫌な様子でベルーラを起こしに来た。気怠さと所々の疲労感に襲われながらもベルーラは、自室にいることに漠然と安堵した。
もしかしたら夢だったのかも・・・なんて楽観的に考えていると、ノアの軽快な会話で違ったことを叩きつけられる。
「もう昨夜は、本当に私の中で眼福でしたよ~!お嬢様はぐっすり眠っておられたので、気づかれなかったのも仕方ありませんが。キリウ様がお嬢様をお姫様抱っこしていらした時なんて、皆、心の中で悲鳴を上げちゃいましたよ!まるで王子様と眠り姫のようで・・・あぁ、あの光景・・・本当に美しかったなぁ♡」
あまりにもテンションの高い侍女を後目にべルーラは呆れ顔を向ける。
「だからって、何でノアがそんなにも喜んでるのよ」
「そりゃあ、こうなるのも無理はありませんよ。数か月前にはいろいろなことがありましたからねー。今ではこれほどまでに仲睦まじいご様子、嬉しい限りですよー!」
まるで神に祈るように、ノアは両手の指を絡め、瞳を輝かせていた。表情をころころと変えながら、楽しげな声で言葉を連ねながら、ベルーラの支度の準備に取りかかろうとしていた。
(あんな感覚・・・はじめてだった)
ベルーラは、昨日を想い出すだけでも心臓が高鳴り、おかしな感覚に襲われた。
(・・・心臓がもたない)
ベルーラは、考えれば考えるほど混乱しそうで、そっと思考を閉ざした。
「ベルーラお嬢様、そろそろお着替えの準備をしましょうかー」
ノアはクローゼットから数着の衣服を取り出し、こちらへ持ってきた。
「とりあえず、今日は学園もお休みだし、庭の手入れをしたいから軽めの服にしよ───っ!」
ノアに着替えの手伝いをしてもらおうとした刹那、ベルーラは昨日の出来事の中で身体に残された痕跡を思い出した。その瞬間、一気に血の気が引き、ナイトウェアに触れようとするノアから、ベルーラは勢いよく身を引いた。
「きょ、今日はその服の気分じゃないの。服は自分で選ぶわ。何かあれば呼ぶから、それまで下がっていてちょうだい」
「?・・・かしこまりました。何かございましたら、お呼びくださいませ」
少し納得のいかない顔で訝しげにするノアを、一旦自室から追い出した。ベルーラは恐る恐る姿見の前に立ち、ナイトウェアを脱いだ自分の身体を映した。その瞬間、思わず盛大な溜息を吐くことになる。
髪をあげると、首筋はもちろん、至る箇所にキリウから付けられた痕跡が目に入る。昨日の痕は赤紫に色づき、身体中にちらほらと点在していた。
(こんないっぱい・・・あ、肩に薄っすら歯形もあるし・・・もうこれじゃあノアたちにバレちゃうじゃない!!)
最中に何度も小さな痛みを植えつけられていたのは覚えている。ただ、緊張とアドレナリンのせいか、途中から痛みの感覚は気づかなくなっていた。
改めてまじまじと自身の身体を鏡越しから眺めた。相変わらず魅力ある身体つきには見えず、落胆と不安がべルーラの頭を悩ませた。
「と、兎に角、首回りを隠せる服を探さなきゃ」
ベルーラは、自室にあるクローゼットから襟の高めなドレスを急いで探した。
☆☆☆
「おはようございます」
ベルーラは朝食を取るため、広々としたダイニングルームへ向かった。そこにはすでに父母と、久しぶりに帰宅した兄が揃っており、彼女は挨拶をして自席についた。
昨日は、疲労困憊であのまま寝落ちしたため、胃の中は空っぽ状態。そのせいか、目の前に並べられた焼き立てのパンやコーンスープ、ベーコンの香ばしい匂いが、ベルーラの鼻腔をくすぐり、脳と胃袋を強く刺激した。
「おはよう、ベルーラ。今日はいつもより遅い目覚めだったのか?」
父親からの何気ない一言でも、今のべルーラにとっては後ろめたく、ぎこちない笑みを返した。
「え、あ、いえ。衣装選びに少々手間取ってしまいました」
「そうか・・・ん?ベルーラ、声が少し掠れているようだが、風邪でも引いたのか?」
「こ、声ですか!?」
父親の質問に数秒きょとんとしたあと、すぐに理由に気づいたベルーラは、わざと軽く咳払いをした。
「そ、そうなんです。最近、乾燥気味だったせいか、少し喉を傷めてしまったみたいで。それ以外は元気なのですが」
まさか情事のせいだとは口が裂けても言えず、ベルーラは乾いた笑いを父親に向けた。
「そうか。酷くならないよう、しばらくは安静にしていなさい。だが、そのような状態になるまで無理をしていたというのは、些か疑問だぞ。それに、事前に連絡を寄こし、此方が了承した手前もあるが、あの時間は少し度が過ぎているように思う」
父親のピリついた言葉が室内の空気を張りつめさせ、使用人たちはそろって気まずそうな顔をした。そんな中、黙ったまま食事をしていたある人物が、上品にナプキンで口を拭き終わると、口を開いた。
「いいじゃありませんか。ベルーラはもうすぐスクヴェルク家に嫁ぐんですもの。少しくらい恋人らしい時間を過ごしたって、バチは当たりませんよ」
淡々とした口調で、母親は父親に向かって理詰めに言い放った。そもそも父親は昔から母親に弱く、言い包められるのが常だった。
「まあまあ、朝からそんな不穏な空気放たなくてもいいでしょう。そうそう父上、この前領民から聞いたんですが───」
さらなる兄からのナイスアシストのおかげで、すっかり意気消沈していた父が、仕事モードに切り替わる。そのおかげで小言を回避できたベルーラは、心の中で母と兄に感謝しつつ、澄ました表情でスープをそっと口に含んだ。
朝食を終えたベルーラは、父の前でついた嘘の手前、静かに自室へ戻らざるを得なかった。ひとまず、刺繍の練習に手を動かしていると、ふと一つの疑問が胸の奥に浮かび上がった。
(そういえばさっき、見たことのないナイトウェア着ていたわよね・・・)
「ノアッ!!」
「はいッッッ!?」
紅茶の支度をしていたノアは、突然ベルに大きな声で名を呼ばれ、思わず手を止めた。危うく茶葉を床にぶちまけるところだったが、なんとかこぼさずに済んだ。
「いきなり大声を出されたらビックリするではないですかー。急にどうなされたんですか?」
ノアは胸に手を当て、落ち着こうと一旦深呼吸をした。そして、不思議そうな表情のまま、そっとベルーラの傍へと歩み寄る。
「さっき言ってたでしょ、昨日キリウ様が寝てる私を邸まで送ってくださったって・・・ちなみにその時、何を着てた?」
思い詰めた面持ちで語るベルーラに対し、ノアは不思議そうに小さく首を傾げ、昨日の出来事を思い返した。
「えーっとですね、確か先ほどお召しになっていたウェアでした。キリウ様が体調を崩された際に、お嬢様がお世話をしてて、そのまま眠っちゃったとか。夜も更け、制服の皺を気になさったキリウ様が、侍女長にお願いしてお着替えさせたそうですよ。ちなみに例の寝間着、キリウ様がお泊まり用に用意されてたみたいです~キャッ♡あ、旦那様には内緒ということでした」
「そ、そう・・・・・・はは」
(ってことは、うちの人たちには、まだこの身体のことバレてないってことね。・・・でも、このまま隠し通せるわけないか)
朝のときのように再び興奮気味で話すノアを前に、ベルーラは小さく苦笑し、静かに息を吐いた。
コンコン・・・。
二人で軽口を交わしながら笑い合っていると、自室の扉からノック音が響いた。
「はい」
「ベル、ちょっといいか?」
「ヴィルスお兄様?ええ、大丈夫よ」
ベルーラはヴィルスを部屋へ招き入れ、ソファへと腰を下ろすよう促した。兄の何か言いたげな気配を感じ取り、彼女も向かいの席に腰を下ろし、様子をうかがった。
「お兄様、どうかなさったの?」
しかし、なかなか口を開かないヴィルスに、しびれを切らしたベルーラは、自ら話を切り出した。
「ああ・・・ほら最近忙しくてゆっくりベルと話してなかったなーって思ってさ」
ヴィルスは他愛のない話を口にしつつ、ノアへちらりと視線を送った。
「では、ヴィルス様のお飲み物の準備をして参りますので、失礼致します」
ヴィルスの視線を感じ取ったノアは、一言断りを入れると、静かに部屋を後にした。
すると二人きりになった途端、ベルーラの向かいに座るヴィルスが、深いため息をひとつ漏らした。
「ど、どうかなさったの、お兄様?」
最近、嫡男として父の事業を手伝うことが増えたせいで、疲れがたまっているのだろうか。そう案じたベルーラは、少し戸惑いながら兄に声をかけた。
「どうしたもこうしたもない。ベル、お前は一体何がしたいんだ!」
「なに・・・と申しますと」
「いくら記憶障害を起こしているとはいえ、一度婚約解消を伝えた相手となんで交流を深めているんだ!?いや、それはそれでいいんだ・・・ただ、あんな思い詰めた顔してたのに急展開すぎるだろ!」
「ああ・・・そうでしたわね」
(あの後、色々あり過ぎて、お兄様に報告するの忘れてたわ)
ベルーラは、兄が領地へ戻った後に起きた出来事を一通り説明した。黙って耳を傾けていたヴィルスだったが、話が終わる頃には口を半ば開けたまま固まっていた。
「・・・つまり、今ままでの態度とはまるっきり違うNEWキリウが爆誕したというわけか」
「NEWキリウ・・・」
ヴィルスの言葉に思わず吹き出しそうになったが、ぐっと堪えた。ひとまずノア以外にヴィルスにも打ち明けられたことで、べルーラの心が少し軽くなった。
「ベルはどうしたいんだ?話を聞く限りでは、二人は以前と違って上手くいっているみたしだし、俺としてはこのままの関係なら問題ないと思ってる。仮に記憶が戻ったとしても、今の関係が丸ごとなくなるわけじゃないだろうし」
「キリウ様も同じことを仰ってたわ。でも・・・」
「ベル?」
どれほど愛情深く接してくれても、ベルーラの胸には “偽りの愛” という言葉が残り続けた。
キリウとマーヴェル王女の秘めた恋情が消えないことには、べルーラの心は一生晴れない。
(お兄様は二人の関係を直に見てた人よね・・・だったら聞いてもいいのかもしれない)
ベルーラは意を決して、ヴィルスに学生時代の二人のことを尋ねようとした。しかしその刹那、間の悪いことに扉を叩く音が響いた。
「失礼いたします、ベルーラ様。旦那様がお呼びでございますので、書斎までお越しくださいませ」
「わ、わかったわ」
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