公爵家の養女

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第一章

神聖国

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 『貴方は本当に、世を惑わせる事がお好きなのですね』



 まるで感情と言うものを知らないような、深く冷たい海の奥底の深海のような黒い瞳がリーナに向けられる。

 その瞳に温もりや感情を探すのは、時間の無駄だと思えるほど冷め切っており、そこにリーナは写っているはずなのだが、写し出されていない様で。


 思わず視線を逸らしてしまいたくなるのをグッと堪え、リーナは反論するのだ。



 『……何の事を仰られているのか、分かりませんわ』



 何とか作り出す事ができた笑みをその美しい顔に浮かべるリーナに、彼は低く重い淡々とした声で言うのだった。



 『実に不愉快です。貴方を見るのは』



 彼にしては珍しく、少し感情の籠った声でそう吐き捨てると、薄暗い中を歩いて行く。






 「あれが、神聖国しんせいこく……!」



 中心には高く神秘的な建物が建ち、その建物を囲む様に、数々の建物が連なっている。

 そこだけ、一際独特な空気が流れており、他の場所と何かが違うと言う事が分かる。


 教区・神聖国、そこでは大司教を中心に、アサーナトスの聖職者、聖騎士団たちが住まい、生活をしている場所。

 神聖国には、証明を持っているか、特別な許可を得ないと入れない事になっており、独立国家では無いのだが、独自のルールが築かれ、皇帝すら無闇矢鱈に立ち入る事ができない。


 そんな聖なる神聖国に、リーナらヴァンディリア家は祝福を受けるためにやって来ていた。


 アサーナトスは宗教国家で、14歳になる年の者は必ず、教会へと行き、祝福を受けなければならないのだ。

 その祝福を受けなければ、早死にをするやら、呪いを受けるやら様々な言い伝えがある。


 実際に、祝福を受けなかった少年が成人もせず事故に遭い亡くなったやら、祝福を受けるまで不幸が続いていた家族が祝福を受けた途端、幸運が舞い込んできたやら。

 嘘か真か分からない話があるとか無いとか。
 

 ヴァンディリア家は特別、信仰心が強いわけでは無いが、祝福を受けるのは国民の義務なので、今年、14の年になるリーナとシュタインの祝福を受けに、神聖国へとやって来たのだった。


 初めての神聖国を前に、驚きと緊張感を持ち合わせるシュタインは、いつもより大人しく落ち着かない様子。

 そんなシュタインにリーナは「シュタイン」と手を差し出すと、シュタインはリーナの手を握り返す。


 いつもなら恥ずかしがるシュタインだが、今日は素直に手を握り返すのを見て、初めての神聖国だから、緊張するのも無理ないと思う。

 その独特で神秘的な神聖国に初めて来る者は、皆、その圧に怖気付いてしまう。

 回帰前に何度か来た事があるリーナですら、来る事に躊躇してしまうほど。


 まぁ、リーナが躊躇してしまう理由は、他にあるのだが……。



 「ようこそいらっしゃいました、ヴァンディリア公爵家の皆様。本日はシュタイン・フォン・ヴァンディリア様、リーナ・フォン・ヴァンディリア様両名の祝福の儀の執り行いですね。」



 若い男性の助祭がやって来てリーナたちを迎え入れる。



 「祝福の儀を行う前に、準備をして頂きます。シュタイン様、リーナ様は私について来てください。ヴァンディリア公爵様、エーデル様はどうお過ごされましょう?」



 品があり、穏やかな口調に笑みは正に聖職者と言えよう。

 そんな彼の問いに、公爵は「私は、礼拝堂へと行くよ」と、エーデルは「俺は……図書室に居ます」と返す。



 「畏まりました。案内をお付け致します」



 助祭の提案を、公爵もエーデルも断る。

 二人は何度か教会へとやって来ているので、大体の場所は把握しているからだ。


 助祭は頷くと、リーナとシュタインに視線をやり「それでは、参りましょうか」と穏やかな笑みを浮かべる。



 「祝福の儀を執り行って頂くため、こちらのローブに着替えて頂きます。リーナ様はこちらの助祭に付いて、お着替えになられてください」



 祝福の儀を行う際は、黒いローブに身を包んで行うため、着替えを行う。

 そのため、リーナとシュタインは一度離れなければならないのだが、リーナと離れる事となったシュタインはこの世の終わりかの様な絶望しきった表情を浮かべている。


 それほどシュタインからすれば、慣れていない協会で家族と離れるのが嫌なのだろう。

 あからさまに固まり、口数が減ったシュタインを心配するリーナ。

 シュタインを見た男性の助祭は「取って食べたりしないので安心してください」と笑う。


 普通に穏やかな笑みなのだが、今のシュタインの心境からすれば、恐ろしく見えたのか、更に表情が強張っている。


 助祭は「それではお着替えが終わりましたら、またお会いしましょう」と言いシュタインを着替えに連れて行く。


 確かに、協会内は独特な雰囲気が流れており、何処か緊張はするものの、あそこまでのシュタインの怯えっぷりに、少し疑問を覚えるリーナ。

 だが、意外と怖がりなところがあるからな、と怖い話を聞いた日の夜には、一人で眠れずエーデルについていてもらっていたシュタインの事を思い出す。







 教会内にある図書室へとやって来ていたエーデルは、天井まで連なる本棚を見上げては、当たり前だが聖書やそれらにまつわる本が多いなと思う。

 何か他に、教会の図書室にしかない本はないかと、腕を組み目だけを動かしていた時だった。



 「エーデル?」



 よく聞き馴染みのある声が耳に届く。

 そちらに顔を向けると、たった今図書室へとやって来たであろうリヒトが「奇遇だな」と笑っていた。



 「リヒトか。珍しいな、お前が教会ここにいるなんて」

 「エミリアが祝福を受けに来てて、それの付き添いだよ」



 そう言えば、エミリアも14歳だったなと頷くエーデル。

 本棚の前に腕を組み立つエーデルを見て、リヒトは「何か探していたの?」と首を傾げると、エーデルは「ここにしか無い本は無いかと思って」と答える。



 「そんなもの、いくらでもあるだろう? 教会の図書室は皇室の図書室の次に大きいからな」



 リヒトの言う通り、教会内にある図書室は皇室の次に大きい。

 とは言っても、皇室の図書室は教会の図書室の何倍の広さを誇っており、その差は大きい。



 「……そう言えば、この間は巻き込む形になって悪かった」



 リヒトが下の方の段にある本を取ろうとしていた時、同じく隣で、本を取り出していたエーデルが唐突に謝罪をする。

 いったい何のことを言っているのやら、と考えるも、直ぐにエミリアの誕生日パーティーの時の事かと思い出す。


 確かにあの時、巻き込まれる形でリヒトはシャスマン子息に絡まれたが、あの時、リヒトがシャスマン子息らに腹が立ったのは事実。

 リヒトは「殴り返したのは俺だ。気にするなよ」と返す。


 そんなリヒトを数秒見つめ「……グランべセル公爵はその辺、厳しいだろ? あの後怒られなかったか?」と尋ねるエーデル。

 リヒトは眉を八の字にすると「まぁ……でも、リーナの事を悪く言っていたって言うのもあったし、シャスマンはエミリアの件もあったからな。怒られなかったよ」と笑う。



 「そうか。ならいいけど」



 エーデルはそう言うと、手に取った本をペラペラと捲り始める。

 そんなエーデルを横目に見ながら、リヒトはリーナの様子を聞く。



 「あぁ……悪口を言われた事は、あまりに気しては無いみたいだけど。あの後、これからは暴力は行けないからね! って言われたよ」

 「自分の事を気にしろって言ってるのに、俺とリヒトが悪くなるのが嫌だって。お前のことも気にしてたぞ」



 自身の事も気にかけていたと聞き、一瞬驚くも、リヒトは「そっか……」と柔らかく笑みを浮かべる。

 そんなリヒトをエーデルは、じっと見ると「……あぁ」と手元の本に視線をやるのだった。







 「お初にお目にかかります。今回、リーナ様、シュタイン様の祝福の儀を執り行います。大司教のベネディクトです」



 リーナたちの祝福の儀の準備が整い、リーナたちの元にやって来た大司教が挨拶をする。

 80代くらいの、少しふくよかで、穏やかな顔つきをしている大司教のベネディクトは、身長も高いが、その身に纏うオーラのような物で圧を感じ、一目で彼が大司教なのだとわかる。


 そんな彼は、リーナとシュタインに穏やかに微笑みかけると、早速祝福の儀を執り行う。



 一つずつ聖火をリーナは左手、シュタインは右手に持つと、大司教の後を続くように、薄暗く長い道を歩いて行く。

 そんな二人の後を、二人のローブを纏った司祭が続く。


 長い道を歩くと、一つの部屋へと辿り着く。

 そこは祈りの場と呼ばれる所で、中に入ると一本の道以外、水面になっていた。



 「そこの柄杓で水を汲み、手を清めてください」



 リーナとシュタインが手を清め終えると、奥まで続く道を歩いて行く。

 その先に扉があり、その中に入ると一つの部屋が出てくる。

 その部屋は僅かな蝋燭の炎だけが点っており、部屋の中は薄暗い。


 大司教の指示で、聖火を聖火台に置くとリーナとシュタインは顔の目の前で手を組み合わせ、祈りを捧げる。

 大司教が唱え上げると、最後に二人はぶどうでできた飲み物を飲む。


 これにて、祝福の儀は終わる。

 至ってシンプルな儀式だが、これで祝福が授けられるとか。



 「――それでは、お二人ともお召し物に着替えられてください。その間、公爵様たちをお連れして参りますので」



 大司教がそう言うと、リーナとシュタインは着替えるために、それぞれ部屋に案内される。

 前の時も思ったけれど、祝福の儀は意外と早く終わるのね、なんて思いながら着てきたドレスに着替えると、シュタインが着替え終わるのを部屋の外で待つ。


 部屋の中で待っていてもいいと、助祭は言ったが、落ち着かず部屋の外で待つことにしたのだ。

 ふと、廊下の窓から外を見る。


 回帰前は、こうしてゆっくりと教会の窓から外を眺める余裕なんてなかった事を思い出す。

 
 独特で神秘的な雰囲気が漂う教会は、何度か来たことがあるが慣れず、いつも下ばかり向いていた。

 そしてそんな自分にいつも彼は、冷たく当たってきたなと、とある人物を思い出していた。

 その時だった。


 コツッコツッ――と歩く革靴の音が聞こえてくる。その瞬間、体中を寒気が覆い震えだす。

 姿を見たわけでも、声を聞いたわけでも無い。

 特徴的な歩き方をしているわけでも無い、だがいつも、その足音だけは誰が歩いてきたのか、リーナには分かった。


 心臓はドクッドクッ――と強く打ち、嫌な汗が流れる。

 気のせいかもしれないと言う僅かな希望を込め、足音がする方を振り向く。

 リーナの美しい紫の瞳が揺れ、動揺しているのが窺える。


 そんなリーナの前で靴音が止まり、リーナは顔を逸らしてしまう。

 何故、足を止めたのか。
 そのまま知らないふりをして通り過ぎてくれれば良いのに。

 そんな考えがリーナの頭に出てくる。

 立ち止まり何も言わないその相手を、チラッと見ると、思い切り目が合ってしまう。


 その瞳や佇まいから、窺える身分の高さ。

 彼の前に立つと、必死で名家の娘になろうとしている自分が、愚かに感じてしまう。

 そう思うほど、彼からは不遜な者に対しての、差別までとはいかないが軽蔑と言ったものが感じられる。

 別に彼がそういった事を言ったのを聞いたのでは無いが。

 だがそれが悪いわけではない。

 生まれながらに育ちが良いので、そう言った雰囲気を身に纏うのは必然的な事なのだ。


 だが、リーナは彼の事が苦手だった。

 リーナが顔を顰め、彼を見ているのに対し、また彼も驚いたような表情をリーナに向けたかと思えば、怪訝そうな表情を浮かべる。


 そう。

 彼は何故か、リーナを見るたびにいつもは仏頂面のその顔を顰めるのだった。



 ナハト・ヴィッセン

 信仰心が強いとある伯爵家の三人兄弟の末っ子に生まれ、わずか15歳と言う歳で助祭として、神聖国へとやってきた天才。

 そして、回帰前は22歳で司教へと上り詰め、そのまるで宵闇のような、深く美しい紫の髪をし、深い海のように光のない黒い瞳を見た者たちは、神の生まれ変わりだと褒め称えた。



 リーナは気づかれぬよう、小さく息を吐くと笑みを浮かべ「お初にお目にかかります。リーナ・フォン・ヴァンディリアです」と挨拶をする。

 出来ることなら関わりたくないが、出会った以上、挨拶をしないわけにはいかない。


 リーナの名前を聞いた彼は「貴方が……」と呟く。

 その時「リーナ!」と嬉しそうに、リーナの事を呼ぶ可愛らしい声が聞こえて来た。


 声のする方を振り返ると、そこにはエーデルとシュタインに公爵、そして何故かエミリアとリヒトが居たのだ。

 予想外の人物に、リーナは「エミリア? それにリヒトも! どうして?」と嬉しそうに声をかける。

 その表情は、先ほどまでナハトに向けていた強張った表情とは違い、安心した様子だ。


 リーナとエミリアは手を取り合うと「私も、祝福の儀を受けに来てたのよ! リーナと会えて嬉しいわ」とエミリアは笑う。

 そうだったんだ、とリーナはリヒトに視線を向けると、視線に気づいたリヒトは「パーティー以来だね」と笑いかける。


 またこんな直ぐに二人に会えるとは思っておらず、リーナは「うん! 会えて嬉しい」と笑みを浮かべる。

 リーナたちが再会を喜んでる側で、ナハトが「ヴァンディリア公爵家の皆様、グランベゼル公爵家の皆様、お初にお目にかかります」と声をかける。



 「助祭のナハト・ヴィッセンです」



 胸に手を当て、お辞儀をする彼に、公爵は「おぉ……! 君の噂はかねがね聞いているよ」と返す。



 「たったの15歳で助祭となった天才だと聞いている」



 公爵の称賛の言葉にも「畏れ多いお言葉です」と淡々と謙虚に返す。

 公爵とナハトのやり取りを側で聞いていたシュタインが「すげぇ……15歳で助祭だって」と感心したように言うと、エーデルとリヒトも「聞いたことあるな」「凄いな」と頷く。

 
 そんな中、リーナだけは彼のことを警戒したように見ていた。



 「おや? これは、随分と賑やかですね」



 席を外していた大司教が戻って来るなり、集まったリーナたちを見て穏やかに笑みを浮かべると、ナハトに「何処にもいないと思えば、ここに居たのか」と声をかける。



 「申し訳ありません。大司教様の元へと向かっている最中、ヴァンディリア公女とお会いしたので、挨拶をしていました」



 私には挨拶してなかったけど? と思うリーナに「なるほど……」と視線を向けると、一瞬、驚いた表情を浮かべては「紫の……!」と言う。

 そんな大司教を、不思議に思ったのはリーナだけでは無く、シュタインが「紫?」と問いかける。


 シュタインの言葉にハッとした表情を浮かべるも、大司教は直ぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべると「……申し訳ありません。あまりにもお美しい紫の瞳をされているのでつい」と返す。



 「紫の瞳とは珍しいですね」



 そう笑みを浮かべ言う大司教。

 だが、リーナは何処か違和感を覚え「え、はい……」と曖昧に返す。


 先程から何度か話をしたはずだが、ローブを被っていたので、瞳の色までは分からなかったのだろう。

 確かに、紫の瞳を持つ者は珍しい。

 だからと言って、あそこまで驚くだろうか?


 リーナは不思議に思いながら大司教を見ている横で、ナハトが二人のやり取りをじっと見ていた事に、リーナは気づかなかったのだった。
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