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嘘だ……

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バタバタと足音が聞こえる。
その足音は、暁人の耳にも聞こえた。

——誰……だろう……

もう全部、どうでも良くなった。
永良に侵された身体は、どこもかしこも汚い。

もう……ルイに触ってもらえない。

そうやってルイのことを考えると、自然と涙が出てくる。


まだ涙は出るんだ、と自分に驚く暁人。

両腕で自分の身体を抱きしめ、身体を小さくする。

「ぅ……う…………っ、うあ……ぁ……ッ」

嗚咽が漏れ、精液の匂いで充満した部屋に響く。


汚れてしまった。

自分が嫌いになる。

どうしてあんな奴に、好かれてしまったんだろう。

——もう嫌だ……ッ

頭を抱えた瞬間、ドアが凄まじい勢いで開く。


そして聞き慣れた声。
暁人が大好きな声が、耳を穿った。


「暁人ッ!!!!」


ゆっくりと頭を上げると、そこには血相を変えたルイが立っていた。

ルイの後ろには、同じように顔色が悪い一ノ瀬。

珍しい組み合わせだな、と思う暁人。


けれど、そんなことは至極どうでもいい。

「暁人! 大丈夫!? すげぇ匂い……ッ」
床に寝転がっている暁人に駆け寄ったルイが、暁人に触れようと手を伸ばす。

その手を見て、暁人も血の気が引いて、思わずその手を払ってしまった。


「え……? 暁、人……?」

振りほどかれるとは思っていなかったルイは、目を丸くして暁人を見る。

「っ……触らないで……、ルイ……」

か細い声で、ルイに話しかける暁人。
その怯えきった姿を見て、ルイは一ノ瀬と顔を見合わせる。


ダッと一ノ瀬がその場から立ち去った。
どこに行くのかは、分からない。


「……暁人。誰に、何された?」



的確な質問に、暁人は肩をビクつかせる。
「……俺、心配してるんだよ……暁人。ねぇお願い、教えて」

ルイも声を震わせながら、暁人の手を握る。

すると、その声に応じるように暁人は口を開いた。


「…………絶対、ルイ……僕に、触らなく……なる……」


そんなことないよ、とルイは優しく伝える。


「嘘だ……、絶対……僕のこと嫌いに…………ッ!」


バッとルイの手を振りほどいて、暁人は自分の肩を抱く。
その身体は、常にカタカタと震えていた。


強く抱きしめて、安心させてあげたいのに、それが出来ない。
きっと今抱きしめたら、拒絶反応を見せるだろう。


——誰かに襲われた……。


それしか考えられなかった。


「暁人。教えて……。お願い」


再度頼み込むと、暁人は真っ青な顔をルイに向けた。


「………………僕のこと、嫌いに……なった?」


静かに問いかける暁人。
その声は、震えていたし、自笑気味だった。


「嫌いになるわけないだろ。暁人のことが、こんなにも好きなんだから」


ルイが自信を持って言えること。

何があっても、暁人に何が起きても、決して嫌いになることはない。


それだけは、断言出来ることだった。


「…………分かっ、た……」


重たい口を開くように、暁人がポツポツと喋り出す。
その間に、ルイは自分の上着を脱いで暁人に羽織らせた。



「……僕、ね…………ここで、永良に……襲われた」




やはり襲われたのか。
そう思うと同時に、ルイの腹の奥底からフツフツと怒りが湧いてくる。

永良、という男の名前が出た瞬間、ピキっとルイの額に血管が浮き出る。


「……あと、中に…………出された……」




「は……」

信じられないことを暴露されて、ますますルイの怒りが込み上げてくる。

その怒りを必死に抑え込む。

「…………後処理は……?」

そう聞くと、暁人は首を横に振った。


——ヤり逃げかよ……ッ!!



そうと決まれば、あとはボッコボコにするまでだ。


ルイの大切な暁人を傷付けて、しかもヤッた後の、後処理もせずに置いていった永良を、ルイは絶対許さない。


——見つけ次第、ボコす。


心に誓ったルイは、暁人の頭を撫でる。

「!?」

「……ごめん。俺がもっと早く来ていれば良かったね……」
今日寝坊なんかしなければ、暁人はこんなことにはならなかったかも知れない。

永良ってやつから、暁人を守れたかも知れない。


「……ッ、僕が悪いんだよ……! 警戒してたのに……僕、僕ッ!」


「……よく、頑張ったね暁人」


そう言うと、暁人は我慢していた分の涙をボロボロと流し出した。

ルイがぎゅっと抱きしめると、暁人は少し驚いたが、そのままルイの背中に腕を回した。


その時、ようやく一ノ瀬が戻ってきた。
彼の手には、何枚かの毛布と、ペットボトル。

そして数人の先生。


「紅柳! おい、大丈夫か!?」

担任の先生と、三年生の学年主任。
そしてスクールカウンセラーの先生が二人と、一、二年の学年主任。

合計五人の先生が、駆け付けてきた。


一ノ瀬が急いで職員室に行って、呼んできてくれたのだ。


「酷い……。とりあえず、親御さんに……」

三年学年主任が、携帯電話を取り出して、電話をしようとする。

それを、暁人は止めた。


「やめて……ッ!」


掠れた声で叫ぶ暁人。
その声に反応した三年学年主任は、手を止めた。


「母さんには……言わないで……。家族には、言わないで……お願い、します…………」


ルイに抱きしめられながら、暁人は頭を下げる。

学年主任は一瞬どうしようか悩んだが、暁人の意見を尊重することを決めて、携帯をしまった。


「先生方。暁人は俺に任せてくれませんか?」



そして、どうしようかと先生たちが頭を捻っている時、ルイが口を開く。

部外者のルイが、口を開いたことに先生たちは驚いていた。
「は?」


「俺もコイツに任せた方がいいと思います」


そして、一ノ瀬もルイの意見に賛成の意を唱える。
「だが……」
担任の先生が、言葉を濁す。

ルイは、きっぱりと言い放つ。



「俺は暁人の彼氏です」



ドスッと暁人によって殴られたが、ルイはそんなの気にしない。


「だから、任せてください。お願いします」


呆気に取られている先生たちだが、その中で唯一ルイに返事をしたのは、担任の先生だった。



「……紅柳を、頼んだ」




ガバッと腰を曲げた先生を見て、ルイは力強く頷く。


「……はい」


💫💫💫


その後は、時間をかけながらも、暁人を学校から脱出させることが出来た。

担任の車に乗り込んだ暁人とルイは、そのままルイの家に直行する。

「……君は、紅柳を大切にしてくれるのかな?」

唐突に話しかけられ、ルイは顔を上げる。
「もちろん。暁人は一番大切な人だから」

当然、いつまでも大切にする。

担任はその言葉を聞いて、深く頷いた。

「……ありがとう」

なぜか礼を言われ、ルイは驚く。


「…………紅柳とは長い付き合いなんだ」


「え?」


過去の話をされて、驚いた。

どうやら、担任と暁人は中学の頃からの付き合いらしい。
暁人が中学を卒業すると同時に、この高校に転職することが決まったらしい。
そして、何の因果が、高校でも暁人と一緒になったのだ。

暁人が一年の時には、担任になり、今年も担任に選ばれたそうだ。


だから、暁人のことは弟のような存在らしい。

「これから、紅柳をよろしく」

再度そう言われ、ルイはまた頷いた。

ルイの横で、気を失った暁人を抱きしめる。



今度こそ、こんなことがないようにしないといけない。



暁人をこれ以上、悲しませるものか。








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