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第1話 呪われし令嬢と路地裏の占い師
しおりを挟む王都の裏通りは、今日もカビと泥、そして行き場のない欲望の臭いが充満している。
大通りから三本路地を入ったどん詰まり。日が沈むと治安が急激に悪化するこの場所に、俺の職場である『占い館』はある。
「はぁ……今日も客が来ない。最高だ」
水晶玉を磨きながら、俺は心から安堵の溜息を吐いた。
現代日本からこの剣と魔法のファンタジー世界に転移して、早半年。
チートな魔力も、剣の才能も与えられなかった俺が生き残る道は一つしかなかった。
安全な場所で、口八丁手八丁で日銭を稼ぎ、平穏無事なスローライフを送ること。
間違っても魔王討伐なんて危険な真似はしない。
前世で培った『占い師』としての知識とテクニックを使えば、食っていくことくらいはできるのだ。
チリン、と。
錆びついたドアベルが鳴り、薄暗い店内に小柄な人影が滑り込んできた。
「……あ、あの。ここは、どんな悩みでも当ててくれると聞いて……」
声の主は、若い女性だった。
すっぽりと粗末な麻のローブを被り、顔を隠している。
警戒心に満ちた声は震えており、余程切羽詰まった状況であることが窺えた。
「いらっしゃいませ。運命の交差点へようこそ」
俺はローブの奥に隠された相手の姿を、瞬時に上から下まで観察する。
占い師にとって最も重要なのは、魔法でも霊視でもない。
『コールドリーディング』。事前の情報なしに、相手の外見や仕草から現状を読み解く観察術だ。
まず、粗末なローブに対して、足元の靴が上等な革製すぎる。
しかも靴底はあまりすり減っていないのに、泥が酷く跳ねている。
普段は馬車で移動する身分だが、今日は何らかの理由で泥道を歩いてここまで来たということだ。
さらに、フードの隙間から見える指先には、労働者特有のタコや傷が一切ない。
微かに漂うのは、王都の平民には絶対に買えない高級な香水の香り。
(なるほど。お忍びの貴族か、大商会の令嬢ってところか。しかも、かなり参っている)
ターゲットの属性を特定した俺は、ゆっくりと水晶玉から手を離し、深く神秘的な声を作った。
「お座りなさい。顔を隠す必要はありませんよ。あなたの抱えている重圧は、そのローブで隠し切れるものではないのですから」
「えっ……?」
女性がビクッと肩を揺らす。
俺は相手の目を見据えながら、ゆっくりと語りかけた。
「あなたは非常に責任感が強く、他人に頼ることが苦手な性質ですね。周りからは強い人だと思われていますが、本当は一人で悩みを抱え込み、孤独を感じているのではないですか?」
「……っ!」
女性の息を呑む音が聞こえた。
フードがわずかに下がり、疲労で隈のできた美しい瞳が俺を真っ直ぐに見つめる。
「ど、どうしてそれを……。まだ、何もお話ししていないのに」
(そりゃあ、誰にでも当てはまることしか言ってないからな)
心の中でほくそ笑む。
これは『バーナム効果』という古典的な心理テクニックだ。
「責任感がある」「本当は孤独」といった、誰もが自分に当てはまると錯覚しやすい曖昧な言葉を投げかけることで、「この人は自分のことを全て理解してくれている」と信じ込ませるのだ。
「私には見えるのです。星の導きが、あなたの背負う運命を教えてくれる」
「星の、導き……。先生、どうか私を助けてください!」
完全に俺を信頼した女性は、フードを脱ぎ捨てて身を乗り出した。
現れたのは、美しい金糸の髪を持つ令嬢だった。
彼女は藁にもすがるような表情で、堰を切ったように話し始める。
「私はクラーク商会の跡取りです。最近、私の身の回りで不吉なことばかりが起きるのです!」
彼女の話によれば、ここ数週間、商会の重要な連絡が何度も行き違いになり、大きな損失を出しているらしい。
さらに、移動中の馬車の車輪が突然外れて事故に遭いかけたり、書庫の鍵が壊れて重要な契約書が取り出せなくなったりと、散々な目に遭っているという。
「これは絶対に、ライバル商会が黒魔術師を雇って私に呪いをかけたに違いありません! 明日の昼には社運を賭けた大口の契約があるのに、このままでは……っ!」
「なるほど。呪い、ですか」
異世界には確かに魔法が存在する。呪いという概念もゼロではないだろう。
だが、俺には彼女の話すトラブルの数々に、強烈な見覚えがあった。
連絡の行き違い。
交通機関のトラブル。
通信や契約の遅延。
「……ふむ」
俺はローブのポケットから、黒くて四角い板を取り出した。
現代から持ち込んだ唯一のアイテム、スマートフォンだ。
もちろん電波は繋がらないが、転移前にインストールしていた『プロ仕様の天文アプリ』は、なぜかこの異世界の星空と完全にリンクして動いている。
画面をタップし、現在の星の配置図(ホロスコープ)を展開する。
俺は画面に表示された星の軌道を見て、思わず笑みをこぼしそうになった。
「お嬢さん。安心してください。あなたは誰からも呪われてなどいません」
「え? でも、あんなに不運が続いて……」
「ええ。ですが、それは黒魔術のせいではありませんよ。すべてはただの、自然な天体現象のせいです」
俺はスマートフォンを机に置き、彼女に告げた。
「知っていますか? 今、空では『水星逆行』が起きているんですよ」
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