宙(そら)に舞う。 〜レイとリュウ〜

星野そら

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10 姫とマスター

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「相変わらず短気だね、エリス。でも、きれいになった」

 レイは目を細めて女の顔を見つめ、そんな台詞を口にした。
 女の表情と変わらぬくらい冷たい微笑を顔に張り付けたまま。
 女が声もなく固まってしまったのを見て、つかんでいた手を離す。

「ここが誰かの指定席になってることは聞いたけど、銃を突き付けて脅さなくてもいいだろう? 昔の常連がお気に入りの席を懐かしむほんのしばらくぐらい、見逃してくれても罰はあたらないと思うよ。
 …でも、きみに歓迎してもらえないなら、ティア・ドロップを飲んだらすぐに出ていく」

 女は、穴のあくほどレイの顔を凝視していた。
 しばらく経つと、意思の強そうなキツい表情が崩れて、その瞳にみるみる涙が涌きあがった。うれしそうでもあり、怒ってでもいるかのような複雑な表情。頼りなさそうに揺れるまなざし。
 士官からひとりの女に戻ったエリザベスが口を開きかけるのを、レイが小さく片手で制した。

「違うよ。俺は阿刀野レイだ」

 エリスと呼ばれた女はハッと息を呑み、かすかにうなずいた。
 さすがに連合宇宙軍の士官である。その言葉にピンときたのだ。レイの身元を明かすわけにはいかないことを。
 連合宇宙軍に属しているなら、エリザベスにはこの男を捉える義務がある。
 両目に浮かんでいた涙を瞬きで隠し、鋭い口調のまま応えた。

「そうね。昔なじみだから、今夜は特別に許すわ」

 その台詞に、店じゅうからブーイングの嵐がわき起こる。

「おい、姫。それはないんじゃないか」
「俺だって常連だぜ。なのに、有無を言わさず放り出された!」
「その席にこだわってたのは、姫だろ。見たこともない男に座らせていいのかよ」

 エリザベスは、この男こそ、ここに座る権利を持つただ一人の男だと宣言したかった。この男がきっと戻ってくるからと信じて、誰にもこの席に座らせなかったのだと。
 ブールジュがある限り、この席はこの男のものなのだ。
 しかし、この男は連合宇宙軍だけではなく、コスモ・サンダーからも追われているおたずね者だ。
 身元をばらすわけにはいかない。

「この男は、わたしの腕からいとも簡単に銃を取り上げたわ。油断していたわけでもないのに。だから、その強さに敬意を表する。ここを指定席にしている男も、この男になら一日くらい席を譲っても文句は言わないでしょう。
 あんたたちも文句があるなら、わたしに挑んでみる?」

 客たちを睨みつけながら挑発した。
 みなは言葉にならないうなり声をあげ、レイは溜め息をついた。

「エリス。気持ちはうれしいけど、もう少し女らしい方が俺の好みだよ」

 あまりに不謹慎な言葉に、バーテンダーがぎくりと固まった。
 エリザベスはこれまで、客のこんな台詞を許した試しはなかったのだ。今度こそ、銃が発砲されるかもしれないと思ったのだ。
 ところが。
 バーテンダーの恐れとは裏腹に、エリザベスは銃に手をかけようともせず、「そうだったわね」とおとなしくレイの言葉にうなずいた。

「マスターに早く来るように言って」

 客たちは「色男はトクだよな」とか「美男が姫の好みかい」とからかっている。
 その言葉を耳にしたエリザベスは、内心、レイが切れやしないかと冷や冷やしていた。
 横目でその落ち着かない様子を眺めていたレイが苦笑を浮かべる。

「これくらいで逆上したりしないよ。俺も苦労したから我慢強くなった」

 リュウはどこが? と思ったけれど、それを口にするのはまずいとわかるくらいの分別は持ち合わせていた。

「そっちは、誰?」

 リュウをあごで示しながらのエリザベスが問いかける。

「俺の弟、阿刀野リュウだ。いま、連合宇宙軍の士官訓練センターに通ってる」

 へえ~という顔をしたエリザベスに、レイは次の質問を許さず、言葉を続けた。

「昔からおてんばなのは知っていたけど、なんで連合宇宙軍になんか入ったんだ? それも士官さまなんて。おそれ多くて近寄れないね」


「酷なことを言うもんじゃないぞ、レイモンド」

 いつのまにかカウンターに入っていたマスターが、静かに諫めた。

「エリスがどれだけおまえさんを慕っていたか覚えているだろう。この娘はおまえさんにもう一度逢いたくて、消息を知るためだけに、宇宙軍の厳しい訓練に耐えてきたんだ。
 しかも、士官になってからも、時間があるとこの店へ通ってくる。おまえさんが戻ってくるかもしれんと言い張ってな。…エリスの気持ちも少しは汲んでやれ」

 白いものの混じる髪。穏やかな話しぶりに似合わない頑固そうな表情。
 しっかり引き結ばれたくちもとに、笑みは浮かんでいない。

「久しぶりだね。くたばっちまったんじゃないかと心配してたけど、よかった。元気そうだ」

 レイがしれっと言うのに、マスターは顔を歪めた。

「変わらんな。おまえさんには忠告も小言も無駄だというのを忘れとったよ。これだけ経った後で、ふらっと訪ねてくれたことに対して、わしらは感謝せんといかんようだな」

 きつい嫌味である。さすがのレイも眉をひそめる。

「悪かったよ、マスター。長いこと消息不明でさ。でも、俺がこんな中央に近いところに来られるわけがないだろう。…ほんとは二度と来るつもりはなかったんだけどね、こいつを酒場に連れてく約束をして、思い浮かんだのがブールジュだった。どうしても、ティア・ドロップを飲ませてやりたくてね…」

 レイは腕組みをしたまま冷ややかに見ているマスターをちろっと見上げた。

「わかったよ、そんな目で見なくてもいい。正直に言うよ。ほんとは俺がティア・ドロップを飲みたくなったんだ。この店で、この席に座って。昔を懐かしみながらね。これでいい?」

 納得したのか、マスターはエリザベスを目で促し、カウンターの中に入らせた。
 エリザベスがカウンター奥の扉を開き、琥珀色の液体が入ったクリスタルの瓶を大切そうに取り出す。普段は使わない複雑なカットが施されたグラスを二つ用意し、琥珀色の液体を注ぎ込む。
 そして、リュウの前にそのグラスを置き、次に、無言でレイの前にぐっとグラスを突き出した。
 グラスを受け取ったレイは、薄暗い店内の光に透かしてその琥珀色を眺めている。

「この輝き、この香り。夢に見たよ。マスター、いただきます」

 レイは琥珀の液体に口を付けた。リュウもレイにならって、酒を口に含む。
 ふわっとひろがる甘い芳香。まったりとした、まろやかな風味。
 刺激の少ない口当たりのいい酒だった。酒のことなど少しもわからないリュウにも、確かにうまいと感じられるほどの。
 レイは満足そうに目を閉じ、ふうっ、と深く息をついた。言葉が出ないようである。

「堪能してもらえたようで、なによりだ。おまえさんのために、無駄を承知で毎年取り寄せてたのが、ようやく日の目を見たってわけだからな」

 マスターはふっと表情をやわらげ、初めてレイに笑いかけた。
 笑顔になると、厳しかった顔付きが急に人なつっこくなった。

「それで、この青年が?」
「そう。阿刀野リュウ、俺の弟だ」

 たったそれだけの会話で、マスターはすべてを理解した。

「エリス、今夜は店を閉めよう。キミもあがってくれていよ」

 カウンターの中の二人にそう言ってから、マスターは客席に声をかけた。
 静かな声なのに、誰も無視することができないような、断固とした口調であった。

「悪いが今夜は看板にする。この男はわしの昔の知り合いでね、一緒に飲みたくなった。その代わり、今夜の飲み代はわしのおごりだ」

 マスターの言葉に客たちはしぶしぶ立ち上がる。常連客たちはお気に入りの酒場を出入り禁止にされたくはないものなのだ。
 レイとマスターがどんな関係なのか勘ぐる客もあったが、正面切って文句を言うものはいない。詮索しても無駄だと知っているのだ。
 マスターは船乗りたちの間で少しは名の知れた無法者だったのだ。もう、ずいぶんと昔のことになるが。
 そんなこんなで、荒くれ者たちは、マスターの言葉に素直に従ったのである。
 マスターのことをよく知るものは、レイがその頃の知り合いかもしれないと思ったのかもしれない。

「悪いねマスター、店まで閉めさせて。もう見知った顔なんていないんだから、そこまでしてもらう必要なかったのに」

 少しも悪びれずにレイが謝る。

「ふん。気にもしとらんくせに。余計なことはいわんでいい」

 ピシャリとマスターが言い返した。

「そうだった。マスターにはおべんちゃらは効かなかった」

 レイが苦笑する。
 こんなに愉しそうなレイは珍しいとリュウは思った。人嫌いというほどではないが、誰かと打ち解けた姿など見たことがなかったのである。
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