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9 恥じらい、アクシデント
しおりを挟む「恥ずかしッ……!」
ティーアの何度目かの独り言はキッチンに空しく響く。作業の休憩にお茶とおやつを準備するために降りてきたはいいが、ひとりで悶絶するばかりで全く用意は進んでいない。
夜を共にしてから数日、何度も込み上げる羞恥を言葉にして吐き出して誤魔化さないと、ばくばくと強く打つ心臓が悲鳴を上げそうだった。
初めて触れ合った夜の甘い記憶がことあるごとに蘇る。そのたびにティーアは胸の高鳴りと恥ずかしさに翻弄されている。
互いに果てた後、うつらうつら睡魔と戦うティーアの体をノエルは丁寧に拭いた。眠気に勝てずされるがまま奉仕され、その後は彼の逞しい腕に抱き締められて一緒のベッドで眠りについた。
翌朝、わずかに感じる重みにうっすら目を開ければ、目の前には口元を綻ばせてティーアを見つめるノエルの顔が間近にあった。腰に彼の腕が巻き付いている。
「おはようございます。ティーアさん」
微笑みティーアの額に口付けるノエルからは随分と余裕を感じる。甘ったるい空気に顔が熱くなってくる。
「おはよ……」
視線を泳がせながらもなんとか返事をする。そんなティーアの頬や髪を撫でながら、ノエルはにこにこと嬉しそうにしている。
「寝起き、そんなに見られると……」
至近距離の視線には逃げ場がなく、どんな表情をしていたらいいのかわからなくなってくる。
「可愛いです」
頬にキスが降る。鼻先が触れそうな距離で目が合う。結果、さらに距離が近くなっただけだった。
それからずっと気恥ずかしさが消えない。
いつも通りふたりで朝食を準備している間も、食事中も、片付けの時でさえもどんな顔をしたらいいのかわからず、彼には随分と不自然な態度に映っただろう。
そんな違和感だらけのティーアに嫌な顔ひとつせず、ノエルは普段以上に優しい。時折柔らかな視線で嬉しそうに微笑んでいた。彼の蜂蜜のごとく甘い挙動もあいまって、ティーアの羞恥は最高潮に達していた。
仕事を進めるためふたりで作業部屋で手を動かし始めたはいいが、変に意識をしてしまいティーアの作業は一向に進む気配がなかった。
それに反して、ノエルは覚えたばかりにも関わらず難なく作業を進めていく。
「ティーアさん、出来た分ここ置きますね」
「えっあっ! うん!」
動揺のあまり変な声が出る。笑顔を張り付け取り繕うが、ひどい表情になっていることだろう。ティーアの不可解な様子を気にも留めず、ノエルはまるで花が咲くかの如く満開の笑顔を振り撒いている。
この笑顔がとどめだった。乱打する心臓と脳が沸騰しそうなほど熱い顔に耐えきれず、休憩用のお茶とお菓子の準備という言い訳のためキッチンに避難してきたのだ。
何度目かの深いため息をついたあたりで、かたかたと沸いた湯がポットを揺らす。かろうじてお茶用の湯の準備には手を付けたが、その他のお茶請けやカップなどはなにも出していない。
「う……、ひとまずお茶淹れよ」
自身の不能具合に大いにへこみながらも、緩慢な動きでふたり分の茶葉を用意する。
「はぁ……」
再び息が洩れる。自分ばかりが意識しているようで恥ずかしさと気まずさが入り乱れる。
人間であるティーアにとっては特別な意味を持つ肉体関係ではあるが、淫魔であるノエルにとってはただの食事。価値観の違いを今更ながら思い出し落ち込む。
「……ん? なぜ?」
塞ぎ込んでしまった自らの感情に理解が追い付かず混乱する。ポットに湯を注ぎながら考えてみてもいまいち思考がはっきりしない。落ち着いて考えたいのにうるさく脈打つ心臓が邪魔で集中できない。
「ああ! もうっ!」
ごちゃごちゃになってきた脳内に苛立ち、トレイを乱暴にテーブルに乗せる。
「っと、いけない。物に罪はないよね」
トレイとテーブルを撫でて心の中で謝罪する。幸いにも傷は付いていない。大人げなさを恥じつつ、ふたり分のお菓子とカップをトレイに乗せる。
いつまでもキッチンでうじうじしているわけにはいかない。どう足掻いてもノエルとは顔を合わせなければならない。心の中で気合を入れ、トレイをもって勢いよくキッチンを飛び出す。
「うわ!」
頭上からノエルの声がして、なにかに盛大にぶつかった。
「っノエル!」
持っていたはずのトレイは床に落ち、カップやお菓子は無残にも粉々になっている。
ポットの中身はノエルの服に大きな染みを作っていた。
「お茶が……!」
「あ、大丈夫で……わっ」
彼の言葉を待たずに押し倒し服をめくり上げる。露わになったノエルの肌はわずかに赤みを帯びていた。
両手をあてがい魔力を掌に集中させる。対人間用の治癒強化魔法ではあるが、初日に落ちてきた時若干効果があったように見えたので取り急ぎ施す。
杖がないと少々魔法効果が劣ってしまう。だが杖を取りに行く時間が惜しい。すぐに彼を治療したい。
ティーアは自身への負担は度外視して出力を最大で魔法を発動する。瞳と患部が淡く発光し始めた。みるみるうちに表皮の赤みは引き、ノエルの肌は何事もなく元の滑らかな状態へと戻った。
「っはぁ、よかった……。ノエルごめん。痛い?」
念の為冷却で温度を下げた自身の掌を患部に当てて冷やす。
「ぇ、ぁ、そこは大丈夫なんですが……」
顔を逸らしたノエルは耳まで真っ赤に染まっていた。不思議に思いながら互いの状態を確認し、合点がいく。廊下にノエルを押し倒し、ティーアが馬乗りになって彼の服をめくり、挙句素肌にべたべたと触っている。緊急事態だったとはいえ、対応を終えた今ではいかがわしい体勢であることに違いはない。状況を理解した途端かっと顔へ熱が集まった。
「わっあっごめん! ほんとに!」
転がるように彼の上から落ちる。
「い、いいえ」
緊急事態とはいえ恥ずかしさでノエルの顔を見ることが出来ない。気まずい空気を誤魔化すように、ティーアは床に散らばる残骸達を片付け始めた。
めくられた服を整えたノエルも無言で後始末を手伝う。
「……い、痛みは?」
数秒の沈黙に息が詰まりかけたティーアは堪らず問いかけた。
「全然ないです。ありがとうございます」
ノエルの穏やかな声色が返ってきた。取り乱しているのは自分だけかとさらに恥ずかしくなる。
「あっ、服……」
仕事の前に洗濯をしていたことを思い出す。タイミングの悪いことに、ノエルの着替えはすべて洗ってしまっている。
「もう熱くないのでこのままでも……」
「だめ! すぐ落とさないとお茶の色が残っちゃう。着替え……そうだ、着れそうなのあるかも。待っててノエル。探す間にお風呂、一応水でも冷やして」
「あっティーアさ……」
引き止めようとするノエルの言葉も聞かずに彼をバスルームに押し込んだ。圧倒されぽかんとするノエルにタオルを押し付け、ティーアは一目散に自室へ駆け上がっていった。
◇
「服、ありがとうございます」
少し袖の長さが足りないシャツを着たノエルがリビングに入ってくる。
「よかった、着れたね。部屋着だからちょっとへたってて申し訳ないけど」
ゆったりとしたサイズで室内用として使っていた衣服ではあるが、いくら細身とはいえノエルにとってはゆとりのある服ではなかった。胴体が隠れているだけ良しとした。
「いえ……」
どことなくノエルが大人しい。落ち着かない様子で俯いている。
「もしかして、どこか痛む? ……あれ? 尻尾?」
普段は隠している尻尾が現れ、ゆらゆらと揺れていた。
「っあ!」
ノエルは気付いていなかったのか、慌てて隠そうとするがすぐには消えない。本人が焦るその間もそわそわと浮足立つように揺れている。
「なんかいいことあった、とか?」
犬や猫に関しての情報だが、尻尾はとても素直だと聞いたことがある。動物と淫魔をいっしょくたにするのは違うかもしれないが、なにか感情が動いたのだろうと問うてみたのだ。
「ッ!」
ノエルの頬が上気した。見開いた瞳は潤いを増し、恥じらうように揺れている。
「ん?」
状況がわからずティーアは首を傾げた。
「……ぁ、服が」
「服?」
「すごく、ティーアさんの匂いがして……思わず、尻尾出ちゃって……」
顔どころか耳まで真っ赤にしながらノエルが呟く。目は伏せられ長い睫毛が震えている。
部屋着なのでよく着ていたとはいえ、洗ったにも関わらず匂いが残っていることに気恥ずかしさが湧く。
「あっ、く、臭いかな? 他の服探すね?」
「いえ、このまま。いい匂いです。僕、ティーアさんの匂い、好きです……」
ノエルはシャツの襟元を握り鼻に近付けた。すんと音を立て香りを嗅いでいる。
「ぅ、えっと……」
目を細め尻尾を楽しげにゆらゆらさせている。嬉しそうにされてしまい、服を取り上げるのは忍びなくなってきた。
ティーアが咎めないのをいいことに、ノエルは遠慮なくシャツを堪能している。
会話はなく、ただ彼の呼吸音だけが部屋に響く。
「ちょっと、さすがにこれ以上は……」
自分の部屋着を際限なく嗅がれるという拷問に耐えかねて、彼の手を制し鼻から布を引き剥がす。
「……っ」
ノエルはハの字に眉を下げ、寂しそうにティーアを見つめる。悪いことをしている気分になり罪悪感が湧いてくる。
悲しそうな顔をさせたいわけではないが、どうにも居心地が悪い。どうしたものかと思案していると、握り止めた腕ごと引き寄せられ彼の胸板に顔を押し付けられた。
突然のことになす術がなく、ノエルの腕の中で大人しくする。すん、と頭上で空気が吸い込まれる音がした。ティーアの頭部にノエルの鼻が埋められている。
「……やっぱり、本物が一番」
「え!? あっ待ってストップ!」
制止の声は届かなかった。逃れようと暴れるティーアに構うことなくノエルは匂いを堪能する。時折彼の唇が耳を掠め、ティーアの体を甘く震わせる。当の本人はそんなことには全く気付く様子もなく熱心に匂いを楽しんでいる。
「作業で埃っぽくなってるし、汗もかいて臭いから」
「全然」
抵抗を試みるが抱き締める彼の体はびくともしない。
次第に言葉が減り、ついには無言でひたすら吸われるだけとなった。
「……ノエル?」
「…………」
諦めて体を預けるも、さすがに時間が長くて間がもたなくなってくる。
「ねえってば」
「…………」
反応は返ってこないが嗅ぐことは止めてもらえない。
「ノエル……ねえノエル!」
強めに背中を叩くと腕の力がわずかに弛んだ。
「ほら、ストップ」
「……もうちょっと」
熱に浮かされたように声が上擦っている。絡んだ視線はとろんと蕩けそうに甘い。
名残惜しそうに潤む瞳で懇願され、ティーアは言い淀んだ。
「……っせ、せめてお風呂」
「このまま……」
逃れる口実を無理矢理作ろうとするが、ひと言で封じられてしまう。
「っ! わがまま言うとお預けにするよ!」
少々犬扱いが過ぎるかとも考えたが、多少の言葉では解放してもらえそうにない。いつまでも抱き締められ嗅がれ続けるのはティーアが耐えられないので、背に腹は代えられない。
「ぅあっ! はいっ!」
ティーアの大きな声に意識がはっきりしたノエルは、背筋を正し威勢のいい返事をする。
だが、ティーアの体は抱き締められたまま。よほど名残惜しいようだ。
見上げれば熱い視線とかち合う。なんとなく嫌な予感がして先手を打とうと試みる。
「……ノエ」
「僕が洗います」
ティーアは一足出遅れ言葉を封じられた。
「は?」
「ティーアさん、洗わせてください」
「へ? なに言って……っわ!」
言い終わる前にノエルに軽々抱き上げられた。手足をばたつかせるティーアに構うことなく、問答無用で脱衣所まで連行されていく。彼の尻尾が愉快な様子で左右に揺れていた。
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