75 / 339
第三幕 ー厄なる訪問者ー
五、暮れ方の来客
しおりを挟む
大した成果もなく、日暮れの頃に千珠と柊は見廻りを終えて城に戻ってきた。
城下町を中心にあちこち飛び回ったが、それらしい人物はおらず、宿屋にもおかしな輩はいなかった。少しばかり徒労を感じつつ、千珠は一人、城の西側の隅にある厩へ向かっていた。
三津國城に住まうこととなってから、千珠にも馬が与えられていた。真っ黒な牝馬であり、名は朝霧という。
初めて自分で何かに名前を与えた。朝霧は千珠によく懐き、足も疾く、頼もしい相棒のような存在である。
「……よしよし、ごめんな、最近あまり走ってないよな」
千珠が首筋を撫でると、朝霧は鼻を鳴らして千珠に鼻先を近づけ擦り寄せる。そのじゃれつく可愛らしい仕草にほっとして、笑みが自然と溢れてくる。千珠が忍装束の黒い頭巾を外すと、流れ落ちた千珠の銀髪を朝霧がはむはむと甘噛みした。
「やめろって、食いもんじゃないぞ」
そうして馬と戯れていると、背後に人の気配がした。千珠が振り返ると、見慣れない男がそこに立っている。
「?」
男は大柄で、えらく筋骨隆々な体付きをしており、深緑の着物に黒鳶色の袴を身につけて刀を腰に帯びていた。どっしりとした佇まいと身体の中心に芯の通った体躯を見ると、武道に長く携わり、その中でもかなり秀でた者であるように見受けられる。
「そなた、その姿は一体……」
男は千珠の銀髪と真っ白な肌を凝視しながらそう言った。目を真ん丸にして、見慣れぬ異形なその姿に相当驚いている様子である。
「その前に、貴様は誰だ。こんな所で何をしている」
千珠は背中に差した刀の柄に手をかけ身構えながら、見慣れぬ男に尋ねた。男は千珠の高慢な口調と攻撃態勢にはっとすると、両手を胸の前に挙げ掌を見せる。
「いやいや、怪しいもんじゃない。俺は光政殿の友人じゃ。さっきここに着いてな、馬を預けてから、ちょっとふらふらと城内を見て回っとったんじゃ」
「殿の……? ああ、聞いている。すまなかった」
千珠は刀を離すと、男に向き直った。よく見ると、まだ若い男だ。日にこんがりと焼けてえらく色が黒く、彫りの深い顔立ちで、まるで異人のようである。目も口も鼻も大きく、西日に照らされて白目と白歯が浮かび上がるように見えた。
「お前があの噂の鬼か? 光政殿は強い鬼を手に入れたって話じゃもんな」
千珠が何も言わないでいると男は千珠に近寄り、まじまじとその顔に魅入った。
「びっくりじゃのー、こんな別嬪な鬼がおるんじゃったら、うちに来て欲しかっわ」
「気安く寄るな。それに、俺は男だ」
「ええ! お前、男か! なんじゃ、残念。連れ帰って嫁にしてやろうかと思っとったとこなのに」
「ふん、聞き慣れない言葉だな」
「ああ、わしらは周防の国から来たからな。ここらとは違う。そうじゃお前、名は?」
「……千珠」
「ほう、美しい名じゃな。俺は東條兼胤じゃ」
「そうか。では、俺はこれで」
千珠は、にこにこと屈託なく笑うその男に軽く一礼をし、さっさとその場を去ろうとした。すると兼胤は千珠の腕を捕まえて言う。
「これから宴じゃ、一緒に行かんか?」
「いや、俺は……」
「一番の家臣と聞いとるぞ?ええじゃないか、お前も飲もう」
気安く肩を組んでくる兼胤の行動に戸惑っていると、馬屋の陰から丁度良く舜海が現れた。
「おいこら、馴れ馴れしく触らんといてもらおうか」
舜海は腕を組み、兼胤をじろりと睨みつけている。いつになく本気で不機嫌な舜海の様子が珍しく、千珠は目を瞬く。
「おお、舜海じゃないか! 久しぶりじゃのう」
舜海は千珠を兼胤から引き剥がしながら、憮然とした顔で言った。
「何でお前まで来てんねん。兄貴だけ来るんちゃうんかったんか」
「いやいや、たまには旅をして見聞を広げんといかんからな。いつもいつも海の上だけ守っとるんも飽きてきたところじゃ」
「知り合いなのか?」と千珠が口を挟むと、舜海は頷く。
「五六年ぶりくらいやけどな、昔から面倒な奴なんや」
「面倒とはなんじゃ。しっかしほんまにきれいな鬼さんじゃのう、俺はおなごかと思って嫁にもらおうと思ってたとこじゃ」
「阿呆か、お前のところになんかやらんからな」
「何じゃお前、千珠の保護者みたいじゃな」
「やかましい」
兼胤は舜海の行動を見てはにやにや笑い、両手を上げてまた降参の姿勢を取った。
「ま、今回は兄上の嫁探しに来ただけじゃけ」
「え、誰をもらいに来たんや?」
「留衣殿に決まっとるじゃろ」
「えっ」
舜海と千珠は同時に声を上げ、お互いに顔を見合わせる。
「いやいや、兄貴が一方的に好いとるだけじゃ。でも、留衣殿ももうお年頃やし、話が合えばと思ってな」
「お前んとこの兄貴、まだ嫁さんもろてなかったんか?」
「いや、前の嫁さんは身体がずっと弱くてなぁ。二年前亡くなってしもうたんじゃ。お子にも恵まれんで、世継ぎもおらん。そこで、また元気な嫁さん探さんといけんなっちゅう話になってな」
「……」
舜海と千珠はまた目を見合わせ、兼胤は話を続けた。
「何でも半年前に兄上が青葉に立ち寄った折、留衣どのとお会いした時にすっかり心を奪われてな。強く逞しく美しい留衣どののことを、忘れられんって言うんじゃ。縁談断り続けとるから理由を問えば、やっとそんな本心言い出してのぅ。そこで光政様にお願いに参った次第じゃ」
「そう、なんや」
まだ舜海には言ってはいないが、千珠は光政から留衣を嫁に貰ってくれないかと言われている。光政はどう返事をするのだろうかと、千珠はふと気になった。
「千珠、宴席に行くで。留衣は俺の妹みたいなもんでもあんねん。そんな急に出てきた男に軽々しくやれるか。しかも、丈夫だからって理由も気にくわん」
「あ、ああ……」
舜海はぶりぶりと怒りながら、千珠の手首を引っ張って歩き出した。
「おい、待て、俺も行くぞ」と、兼胤も付いて来る。
「千珠、お前もはよう着替えて来いや。俺は先に行って一言物申しとくから」
「千珠、きれいなべべ着てこいや」
兼胤は笑顔でそう言った。白い歯が夕闇に浮かび上がって見え、それを少し気味が悪いと千珠は思った。
城下町を中心にあちこち飛び回ったが、それらしい人物はおらず、宿屋にもおかしな輩はいなかった。少しばかり徒労を感じつつ、千珠は一人、城の西側の隅にある厩へ向かっていた。
三津國城に住まうこととなってから、千珠にも馬が与えられていた。真っ黒な牝馬であり、名は朝霧という。
初めて自分で何かに名前を与えた。朝霧は千珠によく懐き、足も疾く、頼もしい相棒のような存在である。
「……よしよし、ごめんな、最近あまり走ってないよな」
千珠が首筋を撫でると、朝霧は鼻を鳴らして千珠に鼻先を近づけ擦り寄せる。そのじゃれつく可愛らしい仕草にほっとして、笑みが自然と溢れてくる。千珠が忍装束の黒い頭巾を外すと、流れ落ちた千珠の銀髪を朝霧がはむはむと甘噛みした。
「やめろって、食いもんじゃないぞ」
そうして馬と戯れていると、背後に人の気配がした。千珠が振り返ると、見慣れない男がそこに立っている。
「?」
男は大柄で、えらく筋骨隆々な体付きをしており、深緑の着物に黒鳶色の袴を身につけて刀を腰に帯びていた。どっしりとした佇まいと身体の中心に芯の通った体躯を見ると、武道に長く携わり、その中でもかなり秀でた者であるように見受けられる。
「そなた、その姿は一体……」
男は千珠の銀髪と真っ白な肌を凝視しながらそう言った。目を真ん丸にして、見慣れぬ異形なその姿に相当驚いている様子である。
「その前に、貴様は誰だ。こんな所で何をしている」
千珠は背中に差した刀の柄に手をかけ身構えながら、見慣れぬ男に尋ねた。男は千珠の高慢な口調と攻撃態勢にはっとすると、両手を胸の前に挙げ掌を見せる。
「いやいや、怪しいもんじゃない。俺は光政殿の友人じゃ。さっきここに着いてな、馬を預けてから、ちょっとふらふらと城内を見て回っとったんじゃ」
「殿の……? ああ、聞いている。すまなかった」
千珠は刀を離すと、男に向き直った。よく見ると、まだ若い男だ。日にこんがりと焼けてえらく色が黒く、彫りの深い顔立ちで、まるで異人のようである。目も口も鼻も大きく、西日に照らされて白目と白歯が浮かび上がるように見えた。
「お前があの噂の鬼か? 光政殿は強い鬼を手に入れたって話じゃもんな」
千珠が何も言わないでいると男は千珠に近寄り、まじまじとその顔に魅入った。
「びっくりじゃのー、こんな別嬪な鬼がおるんじゃったら、うちに来て欲しかっわ」
「気安く寄るな。それに、俺は男だ」
「ええ! お前、男か! なんじゃ、残念。連れ帰って嫁にしてやろうかと思っとったとこなのに」
「ふん、聞き慣れない言葉だな」
「ああ、わしらは周防の国から来たからな。ここらとは違う。そうじゃお前、名は?」
「……千珠」
「ほう、美しい名じゃな。俺は東條兼胤じゃ」
「そうか。では、俺はこれで」
千珠は、にこにこと屈託なく笑うその男に軽く一礼をし、さっさとその場を去ろうとした。すると兼胤は千珠の腕を捕まえて言う。
「これから宴じゃ、一緒に行かんか?」
「いや、俺は……」
「一番の家臣と聞いとるぞ?ええじゃないか、お前も飲もう」
気安く肩を組んでくる兼胤の行動に戸惑っていると、馬屋の陰から丁度良く舜海が現れた。
「おいこら、馴れ馴れしく触らんといてもらおうか」
舜海は腕を組み、兼胤をじろりと睨みつけている。いつになく本気で不機嫌な舜海の様子が珍しく、千珠は目を瞬く。
「おお、舜海じゃないか! 久しぶりじゃのう」
舜海は千珠を兼胤から引き剥がしながら、憮然とした顔で言った。
「何でお前まで来てんねん。兄貴だけ来るんちゃうんかったんか」
「いやいや、たまには旅をして見聞を広げんといかんからな。いつもいつも海の上だけ守っとるんも飽きてきたところじゃ」
「知り合いなのか?」と千珠が口を挟むと、舜海は頷く。
「五六年ぶりくらいやけどな、昔から面倒な奴なんや」
「面倒とはなんじゃ。しっかしほんまにきれいな鬼さんじゃのう、俺はおなごかと思って嫁にもらおうと思ってたとこじゃ」
「阿呆か、お前のところになんかやらんからな」
「何じゃお前、千珠の保護者みたいじゃな」
「やかましい」
兼胤は舜海の行動を見てはにやにや笑い、両手を上げてまた降参の姿勢を取った。
「ま、今回は兄上の嫁探しに来ただけじゃけ」
「え、誰をもらいに来たんや?」
「留衣殿に決まっとるじゃろ」
「えっ」
舜海と千珠は同時に声を上げ、お互いに顔を見合わせる。
「いやいや、兄貴が一方的に好いとるだけじゃ。でも、留衣殿ももうお年頃やし、話が合えばと思ってな」
「お前んとこの兄貴、まだ嫁さんもろてなかったんか?」
「いや、前の嫁さんは身体がずっと弱くてなぁ。二年前亡くなってしもうたんじゃ。お子にも恵まれんで、世継ぎもおらん。そこで、また元気な嫁さん探さんといけんなっちゅう話になってな」
「……」
舜海と千珠はまた目を見合わせ、兼胤は話を続けた。
「何でも半年前に兄上が青葉に立ち寄った折、留衣どのとお会いした時にすっかり心を奪われてな。強く逞しく美しい留衣どののことを、忘れられんって言うんじゃ。縁談断り続けとるから理由を問えば、やっとそんな本心言い出してのぅ。そこで光政様にお願いに参った次第じゃ」
「そう、なんや」
まだ舜海には言ってはいないが、千珠は光政から留衣を嫁に貰ってくれないかと言われている。光政はどう返事をするのだろうかと、千珠はふと気になった。
「千珠、宴席に行くで。留衣は俺の妹みたいなもんでもあんねん。そんな急に出てきた男に軽々しくやれるか。しかも、丈夫だからって理由も気にくわん」
「あ、ああ……」
舜海はぶりぶりと怒りながら、千珠の手首を引っ張って歩き出した。
「おい、待て、俺も行くぞ」と、兼胤も付いて来る。
「千珠、お前もはよう着替えて来いや。俺は先に行って一言物申しとくから」
「千珠、きれいなべべ着てこいや」
兼胤は笑顔でそう言った。白い歯が夕闇に浮かび上がって見え、それを少し気味が悪いと千珠は思った。
11
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
【bl】砕かれた誇り
perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。
「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」
「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」
「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」
彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。
「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」
「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」
---
いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。
私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、
一部に翻訳ソフトを使用しています。
もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、
本当にありがたく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる