異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第二章 再会

一、懐かしい声

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 千珠は、朦朧としながら味方の陰陽師たちを眺めていたが、ふと槐のことが気に掛かり、立ち上がろうとした。
 しかし膝に力が入らず、千珠は再び地面に手を着いてしまう。


 ——気分が悪い……吐きそうだ。


 生まれて初めて幻術を食らった。見せつけられたおぞましい幻影の不快さが尾を引き、千珠の精神はぐらぐらと揺れていた。

 耳飾りを引き千切った千珠の耳朶から、ぼたぼたと血が流れている。
 その血の赤が、幻術の中の風景を呼び起こすように千珠の心を揺らすのだ。

「……くそ……くそっ。何なんだ、この気持は……」

 自分の世界が、崩れそうになる。今まで積み上げてきたものが、無意味なもののように感じられて喚き出したくなる。
 苛々して、悲しくて、悔しくて、もういっそのこと、幻影にのまれて狂ってしまえば良かったとすら思ってしまう。
 不意に鋭い頭痛と吐き気に襲われ、千珠は思わず右手で口を覆う。うまく息が出来ず、苦しくて堪らなかった。


 ――孤独、恐怖、恨み、殺意、絶望……。


 落ち着け、この気持ちは……あの子どもの感情が流れ込んだだけなんじゃないのか……?


 いや、違う。これが本当の俺の、気持ち……?


「千珠!!」


 遠くから、懐かしい声がした。
 幻術の中で、千珠に一縷の光を与え、現実へ引き戻した。

 一番、聞き親しんでいた。
 ずっとずっと、すぐそばで聞きたいと願っていた。


 ――舜海……。


「おい! 千珠、大丈夫か?」

 肩に触れる大きな手。暖かく、力強い霊気。
 太陽のような、この匂い。


 ――舜。


 気力を振り絞って、千珠はゆっくりと顔を上げた。脂汗が流れ、意識が混濁して視界がぼやける中、自分をまっすぐに見つめるあの目を見つけた。

 はっきりと結んだ焦点の先には、懐かしい目があった。千珠を心配そうに見つめる、黒い瞳。力強く凛々しい光を湛えた、あの瞳が。

「……舜……」
「どうした!? どこか、傷を負ったか!?」

 その張りのある声、しっかりと抱き留められた身体。
 千珠は安堵して、その衣に縋り付く。

「……舜海……! 舜、海……!」

 千珠は掠れた声で、何度も何度でもその名を呼んだ。待ち侘びていた明るい笑顔を見つけて、千珠は心底安堵していた。

「千珠、もう大丈夫やで」

 自分を抱き、身体に触れるこの感触。本物だ。
 これは、現実……。

「舜……。やっと、会えたな……」
「あぁ、やっと会えた」

 再び遠のいていく意識の中、千珠は舜海の目を見つめて微笑んでいた。切な気に微笑み返す舜海の頬に触れ、そのぬくもりを確かめる。

 包み込まれる安堵感に、張り詰めていた糸がぷっつりと切れる。
 千珠は、そのまま意識を失った。
 


 ✿



 胸にしがみついたまま眠りに落ちた千珠の肩を、舜海はしっかりと支えた。全ての体重を自分に預け、瞼を閉じている千珠の蒼白な顔を、改めて見下ろす。

「……久しぶりやな、千珠」

 舜海は穏やかな声で千珠にそう囁いた。こんな状況の中ではあったが、懐かしさと喜びについつい顔が緩んでしまう。

 ――ほんまに、ここにいる。千珠が、ここに。

 もっと強く、抱きしめたい。
 しかし今は、千珠の手当が先だ。舜海は気を引き締めると、千珠の身体を調べ、怪我がないかどうか確認する。
 閉じた瞼が微かに震えて、長い睫毛がぴくりぴくりと動いている。初めて食らった精神攻撃に驚いた脳が、必死に情報を処理しているのだろう。

 目立った怪我はないが、片耳の耳飾りが無くなっている。いつも千珠の頬の横で揺れていた、透き通る紅色の耳飾りが。
 攻撃を受けた拍子に、奪われでもしたのだろうか。痛々しく引き千切れた福耳を手当してやろうと手を翳した時、背後から低い女の声が降ってきた。

「それが千珠ってやつか」

 舜海が顔を上げると、そこには業平の娘、詠子がいた。弓を肩にかけ、たすきがけをして逞しい両腕を顕にしている。
 その顔は、ひどく不機嫌そうだ。

「お、おう。そうやけど」
「ふうん……」

 詠子もそこに膝をつき、千珠の顔を覗き込むと、目を見張る。

「これが、あの陀羅尼を追い払った鬼か? あの海神の龍を退けたという?」
「……そうやけど?」
「こんな、女みたいなやつが? 私はもっと、強そうな男を想像していたのに」

 詠子はがっかりしたような顔をして、舜海と千珠を見比べた。

「見たことなかったんか」
「陀羅尼の一件の頃、私は別の任に出ていたからな」

 詠子はしげしげと千珠を観察し、そのままちろりと舜海を見上げる。

「国に大事な者がいるという噂がたっていたが、こいつのことじゃないだろうな」
「は? 何やねんその噂。別にこいつは……。あ、そんなこと言ってる場合ちゃうやろ。こいつを陰陽寮に連れて来いって業平殿が……」
「おい、質問に答えてないぞ」

 詠子は不機嫌な顔で舜海に詰め寄ってくる。

「いや、ほら、今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
「お、舜海お前。こっちで女できたんか」

 とそこへ、槐をおぶった柊がふらりと現れた。詠子の問いかけにしどろもどろになっていた舜海は、渡りに船とばかりに柊の声に飛びつく。

「おお、柊!! 久しぶりやなぁ!」 

 そして、柊の背にいる槐を見て、目を丸くした。

「お前……槐、なんでこんなとこにおんねん」
「……」

 槐は怯えきった表情で黙りこみ、柊の背に顔を隠そうとしたが、ふと舜海の腕に抱かれている千珠を見つけて、がばっと顔を上げた。

「千珠さま……!」
「いててて!」

 結い上げられた柊の髪を引っ張り、肩を乗り越えようとするような格好で、槐は身を乗り出した。そして、蒼白な顔色で微動だにしない千珠の様子に顔を青くし、わなわなと唇を震わせる。

「どうしよう……僕のせいで、千珠さまが……死んじゃったぁ……うわぁあああん!!」
「ど阿呆、死んでへんわ! 寝てるだけや」
「えぐっ……ううっ……ぼ、ぼんどうでずが?うえっ……」
「大丈夫やから、泣くな。とりあえず、こいつは陰陽寮へ連れて行くで。千瑛殿には柊から伝えておいてくれ」
「はいよ」
「ほんとに、大丈夫なのですか?」

 槐は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を舜海に向け、尚も不安そうな表情をしている。舜海は、安心させるように笑い、ぽんと頭の上に手を置いた。

「当たり前やろ。千珠は強いんやで、こんなことで死ぬわけないやん。ちょっと疲れて寝てるだけや。それに、別にお前のせいじゃない」
「……でも」
「そういう話は後や。夜が明けて落ち着いたら連絡するから待ってろ。ええな」
「はい……」

 槐はいつになくしおらしく返事をすると、柊の背中に戻ってしがみついた。
 柊たちが行ってしまうと、詠子はまた千珠をじろじろと覗き込む。

「なぁ、さっきの子どもと、こいつの顔……似てないか?」

 舜海はぎくりとしたものの、それを表情に出さぬよう必死に努めた。

「に、にに似てへんやろ。それにこんな綺麗な顔、誰と似るっちゅうねん」
「……」

 詠子は訝しげな表情から、次第に憤怒の形相へと変貌すると、舜海の太腿を思い切り蹴飛ばした。

「いってぇ!! 何すんねん!」

 舜海の問を無視して、詠子はどすどすと足音を轟かせて仕事に戻っていってしまった。

「……ったく、乱暴な女や。何で蹴られたんや、俺」

 舜海はぶつくさ文句を垂れながら千珠を抱え直し、陰陽寮の置かれている土御門邸へと足を向けた。

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