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第一章 暮らし
二、穏やかな五年間
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それから五年間、二人はその里に留まっている。
領主の結城治三郎は人柄もよく、里は小さいながらも静かな日常が送ることのできる平和な場所だった。
あの日、二人が流れ者であるということを知っても、治三郎は二人を変わらぬ態度でもてなした。
そして次の日からすぐに、藤之助には剣術指南の仕事が世話された。
しばらくは、夜顔も門下生に混じって剣術の稽古を受けていたが、幼い夜顔の動きはすでにそこにいる誰よりも速く、術にも長けていた。
このままではこの場所でも浮いてしまうと考えた藤之助は、治三郎に相談して、夜顔には違う学びを与えようということになった。
治三郎は、里の薬師の水国という男を紹介した。水国はすでに高齢であり、何人か弟子を持って後続を育てている身であった。
この先夜顔が人の世で生きていくためには、何か人の役に立つ仕事が必要だと考えていた藤之助は、すぐに夜顔を水国に弟子入りさせたのであった。
水国は、夜顔が完全な人ではないということをすぐに見抜いたが、それを誰かに他言するということはなかった。むしろ、その力をうまく活かせるような方法を研究し始めたのである。
水国は口数は少ない翁であったが、夜顔に対して丁寧に自分の技を教え込んだ。まるで孫でもできたかのように、夜顔を大事にしていた。藤之助は、自分以外にも夜顔にそんな態度を見せる大人が現れたことに安堵した。
そうしてこの里で少しずつ、夜顔は人らしく育っていったのだった。
+
夜顔を連れ、藤之助は次の日の朝早くに、治三郎の屋敷へと向かう。
夏の朝は早い。
藤之助はうっすらと白い靄の出た朝の道を、夜顔と連れ立って歩いた。もう何度となく、往復した道のりだ。
「それでね、先生はね、僕の霊力を傷口に集中させれば、傷の治りを早くなるって言ってたんだよ」
「へえ、うまくいったのか?」
「うん、ちょっと痕は残ったけど、刀傷は早く塞がるほうがいいからって」
「すごいじゃないか」
「へへへ」
藤之助は、よく喋るようになった夜顔を微笑ましい気持ちで見守っていた。自分の力のうまい使い方を教えてもらっている夜顔は、初めて自分の存在意義を見つけ、とても喜んでいた。
今までは奪うために使われてきたその力を、人を活かすために使う。元々心優しい夜顔は、それが嬉しくてたまらないのだ。
十七にしては、夜顔は幼い。
身長は伸びて大きくなったが、言葉遣いや感情の表現の仕方は、未だに子どものようだった。藤之助にしてみれば、それが可愛くて仕方が無いのだが、少しばかり里の人間たちの中で目立っているのも事実であった。
しかし、医術を学ぶ心優しい夜顔のことは、この里では皆が寛容に迎えているようだった。
十七になって、大人びてきた体つきと、贔屓目に見てもなかなかに美しい顔立ちに成長した夜顔は、今までとは違う意味で人目を引いていた。
+
結城家の屋敷の門をくぐり、二人は道場へと歩いた。
屋敷は広大な敷地を持っており、ぐるりと土塀で囲まれている。
門の正面に敷き詰められた石畳を行くと、立派な玄関口が見える。古い建物だがよく手入れされており、焦茶色の柱は磨かれたように艷やかである。
二人は玄関口へは向かわずに、左手に折れて屋敷の東側へと向かった。東側の庭の奥に、藤之助が稽古をつけている弟子たちが通う道場が開かれているのである。
「おはよう。今朝も精が出るな」
藤之助は荷物を置きながら、道場の掃除をしていた少年に挨拶をする。かけ終えた雑巾を絞りながら、その少年は顔を上げ、にっこりと笑う。
「ああ、藤之助様。おはようございます。あ、夜顔も一緒ですか」
「おはよう、さく」
夜顔も、にっこり笑って少年に手を上げた。
咲太は、結城家に奉公にきている少年だった。
齢十二であるが、夜顔よりもすでにしっかりとしており、たまにどちらが歳上なのか分からないような会話をしていることもある。
咲太にも両親がなく、村に唯一残っている祖母と二人で暮らしていた。その祖母も結城家に野菜を届けるという仕事をもらっているため、結城家への出入りは多い。
「今日は水国先生のところは行かないの?」
咲太は荷物を解いて竹刀を取り出している夜顔に歩み寄って、その横に座るとそう尋ねた。
「うん、先生は隣の里へ行っているんだ。新しい医術の勉強だって言ってた」
「へぇ。そっか……あのね、ばあちゃんが昨日の夜からちょっと、調子が悪いんだ。だから見てもらおうと思ってたんだけど」
咲太の困り顔を見て、夜顔は同じように困った顔をした。
「お弟子さんなら診療所にいるはずだけど……」
と、夜顔がそう言うと、咲太は首を振る。
「ばあちゃん、水国先生じゃないと嫌だっていうんだ」
「ええー。そうなんだ……」
と、夜顔は困り切った顔をする。
そんなやり取りを近くで見ていた藤之助は、夜顔の頭をぽんと叩いた。
「二人とも、稽古が終わったらお祖母さんのお見舞いに行っておいで。夜顔も、お祖母さんにはよく遊んでもらったもんな」
「うん」
「そうだね、よるが来たら、きっとばあちゃん喜ぶよ」
と、咲太はにっこりと笑った。そう言ってもらうと、夜顔もうれしそうな笑顔になる。
二人が笑顔で話をしている様子を、藤之助も目を細めて見守っていた。
咲太は夜顔にとって、初めての友達だ。年齢は五も離れているし、背丈も咲太は夜顔の腹の辺りくらいまでしかなかったが、二人は実に仲が良かった。
夜顔の楽しげな笑顔を見て安堵する度に、藤之助は十年前のことを思う。二人を逃してくれた、あの青葉の千珠という鬼のことを。
見て欲しい。人命を奪い喰らっていた夜顔が、こんなにも人らしく、たおやかに育っているという姿を。
——大きくなったら、会いにおいで……。
ふと、千珠が別れ際にそう言っていたことを思い出す。
——皆元気だろうか、千珠さまも、佐為も、皆……。
藤之助は懐かしさに微笑みながら、道場へ駆け込んでいく二人を見守っていた。
領主の結城治三郎は人柄もよく、里は小さいながらも静かな日常が送ることのできる平和な場所だった。
あの日、二人が流れ者であるということを知っても、治三郎は二人を変わらぬ態度でもてなした。
そして次の日からすぐに、藤之助には剣術指南の仕事が世話された。
しばらくは、夜顔も門下生に混じって剣術の稽古を受けていたが、幼い夜顔の動きはすでにそこにいる誰よりも速く、術にも長けていた。
このままではこの場所でも浮いてしまうと考えた藤之助は、治三郎に相談して、夜顔には違う学びを与えようということになった。
治三郎は、里の薬師の水国という男を紹介した。水国はすでに高齢であり、何人か弟子を持って後続を育てている身であった。
この先夜顔が人の世で生きていくためには、何か人の役に立つ仕事が必要だと考えていた藤之助は、すぐに夜顔を水国に弟子入りさせたのであった。
水国は、夜顔が完全な人ではないということをすぐに見抜いたが、それを誰かに他言するということはなかった。むしろ、その力をうまく活かせるような方法を研究し始めたのである。
水国は口数は少ない翁であったが、夜顔に対して丁寧に自分の技を教え込んだ。まるで孫でもできたかのように、夜顔を大事にしていた。藤之助は、自分以外にも夜顔にそんな態度を見せる大人が現れたことに安堵した。
そうしてこの里で少しずつ、夜顔は人らしく育っていったのだった。
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夜顔を連れ、藤之助は次の日の朝早くに、治三郎の屋敷へと向かう。
夏の朝は早い。
藤之助はうっすらと白い靄の出た朝の道を、夜顔と連れ立って歩いた。もう何度となく、往復した道のりだ。
「それでね、先生はね、僕の霊力を傷口に集中させれば、傷の治りを早くなるって言ってたんだよ」
「へえ、うまくいったのか?」
「うん、ちょっと痕は残ったけど、刀傷は早く塞がるほうがいいからって」
「すごいじゃないか」
「へへへ」
藤之助は、よく喋るようになった夜顔を微笑ましい気持ちで見守っていた。自分の力のうまい使い方を教えてもらっている夜顔は、初めて自分の存在意義を見つけ、とても喜んでいた。
今までは奪うために使われてきたその力を、人を活かすために使う。元々心優しい夜顔は、それが嬉しくてたまらないのだ。
十七にしては、夜顔は幼い。
身長は伸びて大きくなったが、言葉遣いや感情の表現の仕方は、未だに子どものようだった。藤之助にしてみれば、それが可愛くて仕方が無いのだが、少しばかり里の人間たちの中で目立っているのも事実であった。
しかし、医術を学ぶ心優しい夜顔のことは、この里では皆が寛容に迎えているようだった。
十七になって、大人びてきた体つきと、贔屓目に見てもなかなかに美しい顔立ちに成長した夜顔は、今までとは違う意味で人目を引いていた。
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結城家の屋敷の門をくぐり、二人は道場へと歩いた。
屋敷は広大な敷地を持っており、ぐるりと土塀で囲まれている。
門の正面に敷き詰められた石畳を行くと、立派な玄関口が見える。古い建物だがよく手入れされており、焦茶色の柱は磨かれたように艷やかである。
二人は玄関口へは向かわずに、左手に折れて屋敷の東側へと向かった。東側の庭の奥に、藤之助が稽古をつけている弟子たちが通う道場が開かれているのである。
「おはよう。今朝も精が出るな」
藤之助は荷物を置きながら、道場の掃除をしていた少年に挨拶をする。かけ終えた雑巾を絞りながら、その少年は顔を上げ、にっこりと笑う。
「ああ、藤之助様。おはようございます。あ、夜顔も一緒ですか」
「おはよう、さく」
夜顔も、にっこり笑って少年に手を上げた。
咲太は、結城家に奉公にきている少年だった。
齢十二であるが、夜顔よりもすでにしっかりとしており、たまにどちらが歳上なのか分からないような会話をしていることもある。
咲太にも両親がなく、村に唯一残っている祖母と二人で暮らしていた。その祖母も結城家に野菜を届けるという仕事をもらっているため、結城家への出入りは多い。
「今日は水国先生のところは行かないの?」
咲太は荷物を解いて竹刀を取り出している夜顔に歩み寄って、その横に座るとそう尋ねた。
「うん、先生は隣の里へ行っているんだ。新しい医術の勉強だって言ってた」
「へぇ。そっか……あのね、ばあちゃんが昨日の夜からちょっと、調子が悪いんだ。だから見てもらおうと思ってたんだけど」
咲太の困り顔を見て、夜顔は同じように困った顔をした。
「お弟子さんなら診療所にいるはずだけど……」
と、夜顔がそう言うと、咲太は首を振る。
「ばあちゃん、水国先生じゃないと嫌だっていうんだ」
「ええー。そうなんだ……」
と、夜顔は困り切った顔をする。
そんなやり取りを近くで見ていた藤之助は、夜顔の頭をぽんと叩いた。
「二人とも、稽古が終わったらお祖母さんのお見舞いに行っておいで。夜顔も、お祖母さんにはよく遊んでもらったもんな」
「うん」
「そうだね、よるが来たら、きっとばあちゃん喜ぶよ」
と、咲太はにっこりと笑った。そう言ってもらうと、夜顔もうれしそうな笑顔になる。
二人が笑顔で話をしている様子を、藤之助も目を細めて見守っていた。
咲太は夜顔にとって、初めての友達だ。年齢は五も離れているし、背丈も咲太は夜顔の腹の辺りくらいまでしかなかったが、二人は実に仲が良かった。
夜顔の楽しげな笑顔を見て安堵する度に、藤之助は十年前のことを思う。二人を逃してくれた、あの青葉の千珠という鬼のことを。
見て欲しい。人命を奪い喰らっていた夜顔が、こんなにも人らしく、たおやかに育っているという姿を。
——大きくなったら、会いにおいで……。
ふと、千珠が別れ際にそう言っていたことを思い出す。
——皆元気だろうか、千珠さまも、佐為も、皆……。
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