異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第一章 暮らし

一、夜顔と藤之助

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 夜顔は丘の上にある小さな小屋に駆け込んだ。
 ろうそくの灯りがちらちらと揺れ、中にいた男が物音で振り返る。

「おかえり、夜顔」
「ただいま。薬草、いっぱいあったよ」
「おお、すまんな」
 佐々木藤之助が、以前と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべて、夜顔に礼を言う。夜顔は嬉しそうに笑うと、足の泥を払って土間から中へ上がった。

「藤之助、明日もお屋敷へ行くの?」
「ああ、行くよ。お前は水国先生のところへ行くだろう?」
「先生は一週間隣の里へ行くから、明日は行かないんだ。だから、僕もまたお屋敷へついていっていい?剣術の修行、受けたいんだ」
「ああ、そうだったね。いいぞ、ついておいで」

 藤之助は、この里の領主の屋敷へ趣き、里の子どもたちや里を護る武士たちに、剣術を指南する仕事を得ていた。

 五年前、行く宛もなく二人で旅をしていた頃、たまたまこの里を通りかかった時、山賊に襲われていた領主とその娘を助けたのが縁であった。

 特に、領主の娘が藤之助を気に入ったということもあり、話は早かった。彼女はもう齢三六であり、戦で夫を亡くして実家に戻っているという立場であった。
 歳が近く、夜顔という子どもを連れているというところが彼女の警戒心を弱め、さらに藤之助の実直な人柄に触れるにつけ、彼女は藤之助をそばに置きたがった。

 しかし、藤之助はやんわりとそれを断った。
 その理由は、夜顔がまだ、人の中でうまく生きることができないということにあった。

 都を出てから五年間の間、二人は各地を点々としていた。長く暮らせそうな土地もあった。
 しかしいつも、どこから流れてきたのか分からない風評が、二人を追い立てていた。

 二人は都を追われた咎人であり、夜顔は人殺しの罪を負うている——まさに真実のとおりの噂だ。
 
 藤之助は人当たりもよく、見るからに良識のある人間という姿をしているため、仕事は先々で見つかった。しかし、しばらく留まるとそういう噂がどこからともなく流れはじめ、その噂を聞きつけた大人たちの子どもが、夜顔をいじめるということが繰り返された。

 夜顔は、耐えていた。妖力は青葉の鬼によって抜かれ、ほとんどもう残ってはいない。しかし、夜顔はまだ幼かったがために、自然と彼の中で新たに育っていく妖力もあった。

 それは、あまりに我慢を重ねると暴走する。藤之助にはすぐに押さえられる程度の暴走だが、それを目の当たりにした子どもたちは、一様に夜顔を恐れた。そしてその恐怖は、大人にもそれは伝染していった。


 そして、二人はその土地を離れるざるを得なくなる……ということの繰り返しだった。


 五年前の夜も、二人で山を超えていた。一つの村を追われるように出てきた後だったため、夜顔はひどく元気がなかった。自分のせいで、藤之助にも苦労をかけていることが分かり始めていたからだ。

 齢十一の夜顔は、背が少しずつ伸びて顔つきも大分人間らしくなっていた。しかし、どこか浮世離れした目付きと雰囲気は、残ったままだ。

 黒目がちの大きな目の色は、普通の人間のものよりもずっと深い黒色だったし、肌の色もこの国の人間というには白すぎた。作り物の人形のように整った容姿を持ち、まるでおしろいを塗ったかのような肌をした夜顔の姿は、ひときわ目立つのだ。

「とうのすけ……ごめんね」
「ん? なにがだ?」
 荷物を背負い、前をゆく藤之助に、夜顔は重い口調で謝る。そんな夜顔に対して、藤之助は軽い口調で応じた。
「また、ぼくのせいで……いえ、なくなっちゃった」
「何言ってるんだ、お前のせいじゃないよ。人間ってのはいろんな種類がいるんだ。あそこは私達に合わなかっただけだ」
と、藤之助はいつもの様に笑顔を見せた。それでも、夜顔の表情は晴れない。
「いつもいつも……ぼくが力をうまく使えないから」
「夜顔」
 藤之助は立ち止まって、夜顔の前に膝をついた。悲しげな顔の夜顔の頭を、ぽんと撫でる。

「それは修行中だから仕方が無いよ。大丈夫、お前は強い。もっと時間をかければ、ちゃんと使えるようになる」
「うん……」
「さぁ、行こう」
 藤之助は夜顔に手を差し伸べる。夜顔はその手を握って、二人は歩き出した。
 藤之助の大きな手は、いつも暖かった。夜顔はそれを握っているだけで、とても安心できた。

 気を取りなおして歩き出そうとした夜顔の耳に、ふと、甲高く細い女の悲鳴が聞こえた。ぎゅっと藤之助の手を強く引くと、辺りを見回す。

「……誰か、叫んでる」
「なに、追い剥ぎか?」
 藤之助も、じっと耳を済ませて物音を探る。いち早く方角を掴んだ夜顔が、藤之助を引っ張って走りだす。

「こっち!」
 妖力がなくなっても、夜顔の感知能力や怪我の治癒の力は強かった。夜顔は足も早く、藤之助はついていくのに必死だった。闇や獣道などものともせず、夜顔は風の様に駆けるのだ。

 夜顔は藤之助よりも早く、山賊が数人の男女を取り囲んでいるところに出くわした。
 ざざっと草を踏む音に、山賊たちが一様に振り返った。皆、屈強な男たちであり、鈍く光る刀や斧を持って旅人を威嚇している。

「……子どもかよ。お前らの連れか?」
と、山賊の一人が一番身なりの良い小肥りの男に刀を向けた。男は縮み上がって首を降った。
「ち、ちがう……見たこともない子だ」
「こんな山奥に、子どもが一人でいるわけ無いだろうが」
 山賊は、ぐいっと小肥りの男の首を締め上げる。隣にいた女が、真っ青な顔をしながら叫ぶ。

「父上! もうやめて! 荷は全て置いていきますから、命だけは……!」
「黙れ、お前らそこの村の領主だろう? これからお前ら人質に、村の奴ら全員から金目の物頂きに行くんだ、黙ってろ」
 他の山賊が、ぐいと女の首にも刃物を突きつけた。恐怖にひきつった女の顔を見て、夜顔の表情が変わった。

「やめろ……」
「え? なんだ、がき。まだいたのか」
「そのひとたちをはなせ」

 夜顔の真っ直ぐな視線に、山賊たちは一瞬呆気に取られたが、すぐに大笑いを始めた。

「なんだお前! 死にたいのか!?」
「お前に用はない、さっさと失せな!」

 山賊たちの蔑んだ笑い声が、不意にやんだ。
 夜顔は一瞬で山賊の一人に飛びかかると、その男の持っていた刀の鞘を奪い、男の顎を下から突き上げた。

「おご……っ!」
 顎を砕かれた男は、もんどり打って倒れる。
「うわあああ! 顎が……」
「なんだこのがき! 捕まえて殺せ!」
「殺せ!」
 夜顔は鞘を握りしめて、ぐっと男たちを睨みつけた。


 ——ころせ……ころせ……


 男たちの声が、幼い頃に浴びた言葉と重なって聞こえる。夜顔が目を鋭くし、その横にいた男に焦点を合わせた途端、男たちの体が硬直した。

「!」
 夜顔が振り返ると、藤之助が印を結んでいるのが目に入った。藤之助はそのまま夜顔に歩み寄ると、
「その鞘で、死なない程度に意識を奪うだけでいい。あとは私が忘却術をかける」
「……うん」
 夜顔は、術によって動けなくなっている男たちの首のうしろを殴って回った。藤之助に習った人体急所の一つである。

 山賊が全員その場に倒れ伏すと、縮み上がっていた男女が、夜顔と藤之助の二人を拝むように見上げている。

「大丈夫ですか?」
と、藤之助は二人の側に近寄って膝をついた。
「あ……ありがとうございました! 何とお礼を申し上げて良いか……!」
 小肥りの男が、何度も頭を地面にこすりつけて礼を言った。その隣で、女も頭を深々と下げる。
「通りかかっただけです。お気をつけてお帰りください」
 藤之助はそう言って、その場を去ろうと立ち上がった。すると、女はそんな藤之助の衣の裾をはっしと掴む。
 怯えた表情で、じっと藤之助を見上げていた。

「供の者を、殺されてしまいました。どうか……どうか里まで、一緒に来てはいただけないでしょうか」
「里まで……ですか」
「もうこの山の麓なのです。私たちは、その里の領主と娘です。どうか……。もう、恐ろしくて……」
 怯えきった二人の顔を見ていた藤之助は、静かに頷いた。
「では……ご一緒いたしましょう。その代わりといっては何ですが、この子に食事を与えてもらいたい」
 藤之助は夜顔を手招きして、自分の側に立たせた。夜顔はぎゅっと藤之助の腰にしがみついて、二人の見知らぬ旅人を見ている。

「もちろんでございます! あなた方は命の恩人、いつまででもいらしてくださいませ!」
と、領主はまた深々と頭を下げた。


 かくして、二人はその日の宿を得たのである。


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