琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

文字の大きさ
31 / 535
第3章 波乱

2、平和な学園生活を望んでいたのに

しおりを挟む
 珠生は家庭科室や音楽室など、専門教科の教室の並ぶ四階まで一気に駆け上がった。奥まった場所にあるトイレへと駆け込み、洗面台に手をついて、はあはぁと息を整える。

 自分の取った行動が、信じられなくて、混乱する。別に皆の前で外見をいじられることくらい、慣れているからどうということもなかったのに……。
 珠生はざぶざぶと顔を洗い、鏡に映った自分の顔を見た。

「何なんだよ……あれ」

「沖野ー? ここか?」
 鏡に向かってぼんやりと佇んでいるところに、がちゃりとトイレの扉が開いて、正也が顔をのぞかせた。珠生ははっとして、鏡に映った正也を見やる。
「……おい、お前すげーじゃん! なに、剣道やってたの?」
 トイレに入ってきた正也は、目を輝かせて珠生を見つめてきた。
「え……いや、俺はやったことないけど……」
「え、まじ? 滅茶苦茶強かったじゃん! 俺びっくりしたよ! 沖野っていかにも文学少年ぽかったからさぁ、いやーびびったわ」
「……う、うん。もう行こう」

 珠生はそのことには触れず、正也を促してトイレを出る。長い廊下を歩きながら、正也は嬉々として「すげー」とか「かっけー」などと囃し立てていたが、珠生の耳には何も入っては来ない。
「あの人、剣道部の主将の真壁 美一よしかずっていうんだけど、これがまぁ、評判の良くない人でさ。あの人もスポーツ推薦組なんだけど、親がなんか偉い人らしくてさ、先生たちも何も言えないんだって」
「へ、へぇ……」

 面倒な奴に目をつけられてしまった……と、げんなりした。平和に淡々と高校生活を送っていこうと思っていた初日に、これだ。

「美術部もいいけどさ、なんか運動部入れよ! そうだ、陸上やんない? さっきの身軽さなら、ハイジャンプでも幅跳びでも……」
「あ、いや……そんなのいいからいいから。ほら、授業始まるし、いこ!」
「そう言うなよ~、なぁ、沖野ー!」
 先に立って階段を急ぎ足で降りていく珠生を、正也が早足に追いかけてくる。

 三階にある一年生教室に降りてくると、同級生たちの視線が、一斉に珠生に集中した。珠生は思わず、固まってしまう。

 ひそひそと何かを話し合う声、女子生徒のきらきらした目線、男子生徒の好奇心いっぱいの目線が……痛い。
 珠生はぎこちない足取りで廊下を進み、教室に入って自分の席に座る。そこでも、彼らから注がれる好奇の目線は変わらない。

「おはようさん。あれ、珠生どうしたん?」
 ふらりと入ってきた湊が、珠生の強張った顔を見つけて、呑気な口調でそう尋ねた。朝の出来事を何も知らないらしい、湊の普通な対応にほっとする。

「お、おはよう……湊」
「何だよお前らー! 俺が帰った後に名前で呼び合う仲になったわけ!? ずりー、俺もそうしよっと」
 正也のけろりとした声がしんとした教室に響く。それと同時に、授業開始のチャイムが鳴った……。


  ✳︎


「沖野くん、おはよっ」
「おはよ……」
「沖野くん、消しゴム、落ちたよ」
「あ。ありがとう……」
「沖野くん、理科室、一緒に行かへん?」
「あ。いや……俺は……」

 一時間目が終わると、クラスの中でも積極的な女子のグループが、珠生の周りをうろつくようになった。
 中等部から明桜学園に通う女子達は、学校生活にもすでに慣れているし、すでにグループも出来上がっているらしい。そのため、集団の勢いで珠生に近寄ってくるのだ。

 朝の出来事は、一瞬で学校中を駆け巡っていた。その場にいなかったはずの女子も男子も、すでに全員がその出来事を知っていた。
 ただでさえ珠生の容姿は目を引くのに、そういった風評が加わったことで、珠生の名は学校中に知れ渡ってしまったのである。

「珠生、理科室教えたるわ」
 そんな女子の誘いを断ることができない珠生を、湊は背後から声をかけて救い出そうと試みた。が、女子達は打って変わって剣呑な顔で湊を振り返り、ギロリと睨んでくる。

「柏木、邪魔やで。あんたは一人で行ったらええやん」
「そうやで。うちらが沖野くんに学校案内してあげるんやから」
「……」
 気の強い女たちのどすの利いた声に、湊はムッとしたような顔をして口を噤んだ。湊はこの手の女子が嫌いなのである。

「珠生ー! 次行こうぜ!」
 トイレから戻ってきた正也が、女子と湊の戦いになど気づく様子もなく、さっさと珠生の腕を掴んで教室を出る。珠生は安堵して、ため息をついた。
「ありがとう、正也」
「え? 何が?」
「ええときに帰ってきたな」
と、湊もすぐ後をついてくる。
「ここの女子、皆頭ええからプライドも高くってな。めんどいやつばっかりやねん」
と、湊はげっそりした顔で眼鏡を押し上げた。
「へ、へぇ……」
 珠生も、それにはぞっとした。
「そう? 結構皆可愛いじゃん?」
と、正也は一人で楽しげだ。
「はぁ……」
 珠生はため息をついた。階段一階分上がるのに、矢のように突き刺さる生徒たちの視線に晒されて、異様に疲れた。

 ——あと三年、まるまる三年……。どうなっていくんだ、俺の平和で平凡な高校生活は……。

 珠生らとは入れ替わりに、上から降りてくる上級生の集団がある。珠生はその中に真壁がいるのではないかとぎょっとしたが、その気配はないようだ。

 ただ、上級生の目付きも珠生には痛かった。「ほらほら、あの子……」「へー、めっちゃ可愛いやん♡」など、珠生に聞こえようが聞こえまいが関係なく、無遠慮に投げつけられる女子たちの声と目線には、恐怖すら覚えてしまう。……平和な学校生活……どこへ行く。

「沖野くん、ちょっとおいで」
 不意にすれ違いざまに腕を捕まれ、珠生はぎょっとした。目を上げると、そこにはあの斎木彰の笑顔がある。
「あ、はい……」
 湊と彰は軽く目を合わせた。湊はぐいと正也の腕を引っ張って、先に理科室へと入っていった。階段に取り残された珠生は、彰に階段の踊場へ押し留められてしまった。

 彰の不気味さをよく知っている珠生だ。当たり前のように制服を着て、教科書を抱えた彰の姿は何となく違和感がある。いかにも普通っぽく学生をやっている彰を、ついまじまじと観察してしまう。

「今朝は大変だったね。真壁にはこっちから注意しとくから」
「あ、はい……。俺も、あんなことしてすみませんでした」
「いいんだよ、あれくらい。入学式の後もね、あいつは部員をいびり倒して、顧問にも厳重注意されていたところだったんだ。生徒会としてもそれなりの対応をしておかないといけないからね」
「はぁ……。ありがとうございます」
 ふと、彰はまわりに人気がなくなったのを確認すると、にっこりと笑顏を作り、珠生の耳元に口を寄せた。

「千珠の力が現れたみたいだね。君の身体から、千珠のにおいがする」
「……そうみたいなんですけど。こんなの俺、困りますよ」
「ふむ、あとでゆっくり話そう。昼休み……は無理か。放課後、生徒会室においで。あの賑やかそうな大北くんは部活に行くだろうし」
「……はい、分かりました」
「楽しみにしてるね」
 彰はひらりと手を振って、階段を軽やかに降りていった。背が高く、ブレザーはなしで白いシャツの袖を捲くっている彰は、いかにも爽やかな高校生という感じがして、なかなかにかっこいい。

 さらりとした髪を揺らして小走りに去っていく彰の姿が見えなくなり、珠生はひとりため息をついた。前世である佐為の姿を思い出しながら、「何であんなにうまいこと転生してるんだろう……」と呟きつつ、珠生は理科室へ向かった。
しおりを挟む
感想 49

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

敗戦国の王子を犯して拐う

月歌(ツキウタ)
BL
祖国の王に家族を殺された男は一人隣国に逃れた。時が満ち、男は隣国の兵となり祖国に攻め込む。そして男は陥落した城に辿り着く。

隠れヤンデレストーカーのクール系執事が傷心金持ち生意気DKを騙して番にしちゃう話

Nes(ネス)
BL
クール系執事×傷心生意気DK意地の張り合いからの甘々番契約♡ 深川緑郎 30代後半(見た目) 190cm 黒川家の執事。滅多なことでは動じないクール系。黒髪で紺碧の瞳という珍しい容姿。だいぶ長く黒川家に仕えているらしいが…。 黒川光生 DK 179cm 黒川家の跡継ぎ。獅子雄の幼なじみ。外では優しく振舞っているが、本当は意地っ張りで寂しがり屋。 今どきの長めの黒髪でイケメン。女性にモテるが、何故か交際までは至らない。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/236578036/314939827 上記とシリーズ物となります!

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

処理中です...