【完結】お供え喫茶で願いごと

餡玉(あんたま)

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居場所

1 夜の公園

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 夜の公園は意外と明るいということを、井瀬いせ知也ともきは九歳にして初めて知った。
 丸い街灯の灯りは白くて、丸い。満月よりもよほど明るく、誰もいない公園の中を煌々と照らしている。

 この間までは、知也は太陽が出ているときしかここで遊んだことはなかった。
 広くて、小学生でも楽しめる大きめの遊具があるこの公園は、近所に住む子どもたちに大人気だ。いつもたくさんの子ども、小さな子を連れた親がいて、それぞれの遊びに夢中になっている。知也は居心地の良いこの公園が大好きだった。

 だけど夜の公園は、昼間とはまるで違う顔をしている。
 明るいけど、暗い。人なんか全然いなくて、すごく静かだ。昼間は知也を受け入れてくれていたこの場所を、今はひどく冷たく感じる。

 ——お腹すいた。それに、寒い……。

 ぐぅと鳴く平たい腹を撫で、知也はため息をついた。上着を忘れた自分に内心舌打ちをしながら、寒さに震える身体を両腕で抱え込む。
 いつもはテーブルの上に置いてあるパンを食べてから外に出るのだけれど、今日は取りに行けなかった。学校から新しい家に帰ると、男物の靴が玄関にあった。もうすぐ『新しいお父さん』になる人が、うちに来ている。

 血のつながった本物のお父さんは、半年前に家から出て行った。知也の兄とともに隣町に住んでいる。
 本当は、知也もそっちに行きたかった。だけどお母さんは、お父さんに向かって『知也はまだ小さいのよ!? 甲斐性なしのあんたが面倒見られるわけないじゃない!』と泣き喚きながら知也を抱きしめ、離してくれなかったのだ。
 ああ、お母さんは僕といたいんだ。そう思った。
 それに知也も、ほんの少しくらいはお母さんといたい気持ちもあったから、この家に残った。
 お母さんに好きな人ができて、お父さんがあの家に住めなくなったらしいということはなんとなくわかっている。あんまりお金を稼げないお父さんのことを、お母さんがいつも馬鹿にしていたってことも知っている。
 今度来る『新しいお父さん』はすごくお金持ちで、おじいちゃんといっていいくらいの年齢だ。優しい口調で話しかけてくるけれど、目がまるで笑っていないところがなんだか怖くて、知也は『新しいお父さん』がとても苦手だった。
 だけど、お母さんは毎日楽しそうだ。身なりはどんどん派手になり、別人みたいによく笑うようになった。
 そして、もうすぐ新しくて大きな家に引っ越すのだという。この街ではないどこか遠くへ行かなければならないことも、知也は嫌で嫌でたまらなかった。

 何より一番嫌なのが、『新しいお父さん』といるときのお母さんが、まるで幼い女の子のように甘えん坊になるところ。
 本物のお父さんといるときは、いつもガミガミ怒っていて嫌だった。だけど、あの頃のほうがまだマシだ。舌足らずな口調で『新しいお父さん』にベタベタと甘えて、欲しいものをおねだりしたりしている姿を見るのが本当に嫌だ。あの甘え声を聞くと、なぜだか胸がぎゅっと詰まるような感じがする。
 だけど『新しいお父さん』は、そういうお母さんが好きみたいだ。可愛い可愛いといってお母さんの身体を撫で、知也の目の前でキスをしたりする。
 そして夜になると知也はいつも二階に追いやられ、「朝まで絶対部屋から出ちゃダメよ」と言い聞かせられる。
 言われなくても、と知也は思う。何をしているのかは知らないけれど、あんな気持ち悪い声は二度と聞きたくない。
 その声が、今日はすでに家の奥から聞こえてきた。
『新しいお父さん』が早く帰ってきたのだろう。寝室の扉を閉めていても漏れ聞こえる卑しい声を一秒たりとも聞いていていたくなくて、知也はランドセルを放り出し、公園に駈けてきた。

 放課後遊んでいたメンバーは、もういない。
 当たり前だ。彼らにはちゃんと家があって、ごく普通に家族がいて、お腹いっぱいご飯を食べられる。
 こんなところにひとりぼっちでいる必要なんて、ないんだから。

 ——せめてお金があったらなぁ。コンビニとかでなにか買って食べるのに……。

 お小遣いはもらっていない。欲しいものがあるときは買ってもらえるとはいえ、学校で使うノート一冊買うことさえ渋るお母さんを説得するのは、ひどく骨の折れる作業だ。
 なのに自分は、ツヤツヤした高そうなバッグや靴、ものすごく派手なワンピースなんかをいくらでも買ってくる。

 本物のお父さんがいたときは、お母さんを好きだという気持ちはあった。……あったと思う。
 だけど今は嫌いだ。気持ち悪くて、大嫌い。

 ——お母さんは僕のことを邪魔者扱い。お父さんも僕のことがお荷物なんだ。……僕なんて、誰にも必要とされてないじゃないか。

 空腹に鳴く腹をせめて温めようと、知也は滑り台の上で膝を抱えた。
 滑り台は、知也の身長よりも背が高くて梯子も長い。よちよち歩きの小さな子が梯子に登ろうとすると、すぐさま親が「危ないでしょ!」と飛んでくる。
 そうやって目をかけてもらえる小さな子を見るたび、知也は羨ましくてたまらなかった。
 ちゃんと目を見て、手を差し伸べてくれる親がいる。笑顔をくれて、頭を撫でて、いつくしんで、一緒にいてくれる両親がいる……今の知也には手の届かない幸せが眩しくて。

「う……うぅ」

 ぽろ……涙が頬を伝う。知也は慌てて、拳でごしごしと濡れた頬を拭った。
 誰も見ていないけれど、泣いてしまえば自分の惨めさを認めなければならないような気がするのだ。だから泣きたくない。泣きたくないのに、ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。
 
 ——もういやだ。いなくなりたい。消えてしまいたい。僕がいる意味なんてないんだから……。

 膝に顔を埋め、声にならない叫びを上げた瞬間——ざわ……ざわ……と、冷たく夜を照らす街灯の下で、知也の影がぐにゃりと揺れた。
 知也はふと顔を上げ、昏い瞳で影を見下ろした。
 冷たい街灯の明かりが、くっきりと滑り台の上にうずくまる知也の影を地面に描き出している。
 その影の中で、闇よりも黒い何かががうぞうぞと不気味に波打ち、蠢いている。知也は怪訝に思い首を傾げ、目をこらした。

 ——手?

 影の中で、小さな人の手のようなものが無数に揺らめいている。
 なんだこれ? と思ったものの、知也はそれを怖いとは思わなかった。むしろ妙な安堵感を覚えている。
 影の中に広がる昏い闇のなかはとてもやわらかくて、あたたかそうだ。知也を丸ごと包み込み、この苦しみごとこの世界から消し去ってくれそうな妖しさに満ちている。

 ——僕を呼んでる。……あそこへ行けば、僕は楽になれる。
 
 ふらりと立ち上がって落下防止の柵から身を乗り出し、冷たくかじかんだ手を地面へ伸ばそうとしたそのとき。

「何やってんだよ、危ないだろ」

 不意に、誰かが声をかけてきた。仰天した知也は伸ばしかけていた手をさっと引っ込め、声のしたほうを見下ろした。
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