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第三章
奉仕から愛へ
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翌朝、まだ夜明けの気配が残る薄明かりの中、黒崎は静かにベッドを抜け出した。
かつて、彼にとって早起きは「展示」のための過酷な準備の始まりであり、主人の機嫌を損ねないための強迫観念でしかなかった。
しかし、今の彼の足取りは驚くほど軽く、胸の奥には温かな期待が灯っている。
キッチンに立った黒崎は、佐藤に教わった通りに丁寧に手を洗いエプロンを締めた。
(佐藤さん、いつも俺のために美味しいものを作ってくれるから。
今日は俺が佐藤さんの喜ぶ顔を見たい……)
冷蔵庫を開け卵と野菜を取り出す手つきはまだ少しぎこちないものだが、そこにはかつての「心を殺した人形」のような冷徹な正確さはない。
代わりに火加減を気にしたり、野菜の大きさを揃えようと試行錯誤したりする、一人の青年としての「一生懸命さ」が溢れていた。
トーストが焼ける香ばしい匂いと、卵を焼くパチパチという優しい音。
それは天童の邸宅で鳴り響いていた冷たい銀の音とは正反対の、命の躍動を感じさせる生活の音だった。
「……おや、いい匂いがすると思ったら。黒崎くん、君が作ってくれたのかい?」
寝癖をつけたまま、驚いた顔でキッチンに現れた佐藤。
黒崎は少し照れくさそうに、けれど誇らしげに胸を張った。
「おはようございます、佐藤さん。
……いつもお世話になってるお礼に、俺が作りたかったんです。
……あ、火傷してないか心配しなくて大丈夫ですよ。ちゃんと教わった通りにやりましたから」
テーブルに並べられたのは、少し形は崩れているが湯気が立って美味しそうなオムレツとサラダ。
「いただきます」と手を合わせた佐藤が、一口食べて「……美味しい。本当に、優しい味がするよ」と目を細めた瞬間、黒崎の心は、かつてどの高価な服装を与えられた時よりも深く満たされた。
「佐藤さん、おかわりありますからね。
……俺、もっといろんな料理覚えたいんです。
佐藤さんの役に立ちたいし、もっと驚かせたいから」
「ふふ、ありがとう。
でも無理はしなくていいんだよ」
「無理じゃないんです。
……誰かのために何かをしたいって思うのが、こんなに幸せなことだって、俺、初めて知ったから」
黒崎の瞳には、もう「廃棄」を恐れる怯えはない。
彼は今、誰の所有物でもない「自分自身の意志」で、愛する人のために尽くす喜びを手に入れたのだ。
佐藤は黒崎の頭を優しく撫で、二人は向き合って穏やかな朝の光の中でゆっくりと食事を楽しんだ。
銀の鎖に繋がれていた過去は、もう遠い日の悪夢。
二人の前にはただ温かな食事とこれから紡いでいく無限の日常が広がっているように思えた。
しかし、佐藤の胸の奥には黒崎の健気な姿を見れば見るほど色濃くなる重い「懸念」があった。
かつて、彼にとって早起きは「展示」のための過酷な準備の始まりであり、主人の機嫌を損ねないための強迫観念でしかなかった。
しかし、今の彼の足取りは驚くほど軽く、胸の奥には温かな期待が灯っている。
キッチンに立った黒崎は、佐藤に教わった通りに丁寧に手を洗いエプロンを締めた。
(佐藤さん、いつも俺のために美味しいものを作ってくれるから。
今日は俺が佐藤さんの喜ぶ顔を見たい……)
冷蔵庫を開け卵と野菜を取り出す手つきはまだ少しぎこちないものだが、そこにはかつての「心を殺した人形」のような冷徹な正確さはない。
代わりに火加減を気にしたり、野菜の大きさを揃えようと試行錯誤したりする、一人の青年としての「一生懸命さ」が溢れていた。
トーストが焼ける香ばしい匂いと、卵を焼くパチパチという優しい音。
それは天童の邸宅で鳴り響いていた冷たい銀の音とは正反対の、命の躍動を感じさせる生活の音だった。
「……おや、いい匂いがすると思ったら。黒崎くん、君が作ってくれたのかい?」
寝癖をつけたまま、驚いた顔でキッチンに現れた佐藤。
黒崎は少し照れくさそうに、けれど誇らしげに胸を張った。
「おはようございます、佐藤さん。
……いつもお世話になってるお礼に、俺が作りたかったんです。
……あ、火傷してないか心配しなくて大丈夫ですよ。ちゃんと教わった通りにやりましたから」
テーブルに並べられたのは、少し形は崩れているが湯気が立って美味しそうなオムレツとサラダ。
「いただきます」と手を合わせた佐藤が、一口食べて「……美味しい。本当に、優しい味がするよ」と目を細めた瞬間、黒崎の心は、かつてどの高価な服装を与えられた時よりも深く満たされた。
「佐藤さん、おかわりありますからね。
……俺、もっといろんな料理覚えたいんです。
佐藤さんの役に立ちたいし、もっと驚かせたいから」
「ふふ、ありがとう。
でも無理はしなくていいんだよ」
「無理じゃないんです。
……誰かのために何かをしたいって思うのが、こんなに幸せなことだって、俺、初めて知ったから」
黒崎の瞳には、もう「廃棄」を恐れる怯えはない。
彼は今、誰の所有物でもない「自分自身の意志」で、愛する人のために尽くす喜びを手に入れたのだ。
佐藤は黒崎の頭を優しく撫で、二人は向き合って穏やかな朝の光の中でゆっくりと食事を楽しんだ。
銀の鎖に繋がれていた過去は、もう遠い日の悪夢。
二人の前にはただ温かな食事とこれから紡いでいく無限の日常が広がっているように思えた。
しかし、佐藤の胸の奥には黒崎の健気な姿を見れば見るほど色濃くなる重い「懸念」があった。
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