黒崎くんと佐藤さん

金魚

文字の大きさ
30 / 32
第三章

​二人で背負う傷跡

しおりを挟む
佐藤の震える背中と、床に落ちる涙の音。

それを見た瞬間、黒崎の胸に渦巻いていた暗い疑惑は温かな雨に洗われるように溶けていった。

​自分を「器」として見ていた男が、これほどまでに無様に、これほどまでに切なく、一人の青年のために泣くはずがない。

​黒崎は静かに歩み寄り、膝をついて俯く佐藤の肩にそっと手を置いた。
そして、ためらうことなくその震える身体を抱きしめた。

​「……佐藤さん。顔を上げてください」

​「……黒崎、くん……。私は、君を……」

​「いいんです。もう、謝らないでください」

​黒崎は佐藤の耳元で囁くように、噛み締めるように言葉を紡ぐ。

​「あの会場にいた人たちは、みんな俺を『モノ』として見ていました。
でも……佐藤さんだけは、俺の『痛み』を見てくれていたんですね。

あの地獄の中で誰か一人でも俺を一人の人間として、痛がっている人間として見てくれていた……そのことが、今、どれだけ俺を救ってくれているか、分かりますか?」

​黒崎は佐藤の顔を包み込み、その涙を親指で優しく拭った。

​「あの日、あなたがあそこにいてくれたから、俺は『見つけられた』んだ。
天童のコレクションとして死ぬはずだった俺を、あなたはあの日、あの客席から見つけてくれた。

……だから、自分を責めないでください。
あの日あそこにいたあなたは、加害者じゃない。

俺にとっての、『唯一の希望』だったんです」
 
​佐藤は黒崎の言葉に、こらえていた感情を爆発させるように彼の肩に顔を埋めて泣いた。

医師として、一人の男として、誰にも言えずに抱えてきた「目撃者」としての重圧が、被害者である黒崎自身の許しによってようやく解き放たれていく。

「……ありがとう、黒崎くん。……本当に、すまなかった。
……そして生きていてくれて、ありがとう」

​「はい。……俺も佐藤さんに出会えてよかった」

​黒崎はかつて銀の鎖が通されていた鎖骨の跡を、佐藤の手の上に重ねた。

​「この傷跡も、あの日あなたが客席にいた記憶も、全部消すことはできない。
……でも、これからは二人で持っていきましょう。

一人で抱えるには重すぎる過去なら、半分こにすればいいんです」

​二人の間に漂っていた最後の壁が崩れ去り、そこには主従でも、医師と患者でもない、魂の深部で結ばれた一対の男男(ひと)の姿があった。

​銀の音がしない静かな部屋で二人は寄り添い、窓の外に広がる穏やかな夜を見つめる。

それは過去の地獄さえも二人の絆の礎へと変えていく、真の意味での「再生」の始まりだった。



重苦しい過去の告白を経て、二人の間を隔てる壁は完全に取り払われる。

翌朝、診療所のキッチンにはかつての絶望的な静寂ではなく、平和で少し騒がしい幸せな日常の音が響いていた。

​佐藤がエプロン姿でトーストを焼いていると、背後から音もなく忍び寄った黒崎がその腰に細い腕を回してぎゅっと抱きつく。

​「……おはようございます、佐藤さん」

「おっと……おはよう、黒崎くん。
急に驚かさないでくれ、バターナイフを落とすところだったよ」

​佐藤は眉を下げ困ったように笑いながらも、自分に顔を埋めてくる黒崎の柔らかな髪を愛おしそうに撫でた。

かつては命令がなければ触れることさえしなかった黒崎が、今ではこうして自ら進んで「体温」を求めてくる。
その変化が、佐藤には何よりの喜びだった。

「佐藤さんの匂い、落ち着く……。もう、離れたくない」

「困ったな。これじゃあ朝食が運べないよ。
……それとも、朝食より先に私を食べたいのかい?」

​冗談めかして言った佐藤の言葉に、黒崎は真っ赤になって顔を上げた。

「なっ、……変なこと言わないでください! 
俺はただ、充電してるだけです!」

二人の楽しそうな声が新しい一日の始まりを祝福するように、いつまでも響いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

仕方なく配信してただけなのに恋人にお仕置される話

カイン
BL
ドSなお仕置をされる配信者のお話

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

後輩が二人がかりで、俺をどんどん責めてくるー快楽地獄だー

天知 カナイ
BL
イケメン後輩二人があやしく先輩に迫って、おいしくいただいちゃう話です。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

上司と俺のSM関係

雫@更新未定
BL
タイトルの通りです。読む前に注意!誤字脱字あり。受けが外面は一人称私ですが、砕けると僕になります。

処理中です...