公女様、前世に用はないですか?

みあはら

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 皇宮の温室は、ガラス張りの天井から淡い光を落としていた。
 春には少し早いが、外気よりも幾分暖かく、空気は穏やかに澄んでいる。

 足を踏み入れた瞬間、懐かしい香りが鼻先をくすぐった。
 白い花。名前は思い出せないけれど、この匂いだけは、確かに覚えている。

 ――前世でも、よくここに来た。

 そう思った途端、胸の奥が、わずかに軋んだ。脳裏にあの人の微笑みが浮かんでしまったから。
 
「こちらへ、シャロン」

 皇后陛下の声に促され、私は席に着く。
 柔らかな笑み。穏やかな仕草。
 そのすべてが、私を安心させるものだった。

「体調は、もう大丈夫なの?」

「はい。すっかり良くなりました」

 そう答えると、皇后はほっとしたように目を細めた。

「無理をしてはいけませんよ。あなたは、まだ13歳なのですから」

 そう言って、ティーカップに口をつける。陛下の言葉に、胸の内がじんわりと温かくなった。
 ――ああ、この方は、本当に私を気遣ってくださっている。
 それは何度繰り返しても変わらない事実だろう。

「ご覧なさい、あなたの好きなお菓子をたくさん用意させました。チョコケーキに、カヌレに……」

「まあ、ありがとうございます!皇后陛下が私の好きな物を覚えてくださっているだけでも光栄ですのに!」

 失礼のないように、でも子供らしく喜んで。私は使用人に気に入ったお菓子をお皿に乗せてもらうように頼む。

「……シャロン」

 名を呼ばれて、視線を向ける。
 皇后の隣に座るのは、第1皇子・ヴァージル殿下。

 今は私が13歳だから、きっと15歳。
 まだ少年のはずなのに、その佇まいは年齢以上に落ち着いている。まるで、つい最近までそばにいた彼のよう。

「久しぶりだな」

「はい。お久しぶりでございます、殿下」

 座ったまま会釈をして答えると、彼はそれ以上何も言わなかった。
 沈黙が流れる。
 気まずさというほどではない。
 けれど、どこか、空白がある。
 ――前世の彼も、こうだった。

 必要以上の言葉を口にせず、感情を表に出さない。
 それを私は、誠実さだと信じていた。

「皇子は学問のほうは順調?」

 皇后が場を和ませるように問いかける。

「はい。特に問題はありません」

 簡潔な返答。
 視線は皇后に向けられていて、私とは合わない。

 それだけのことなのに、胸の奥が、少しだけ冷えた。

 ――この人は、信用できない。

 理由は分からない。
 けれど、そう感じてしまう自分がいる。

「最近は忙しそうですものね」

「皇太子としての務めが増えてきましたから」

 ヴァージル殿下は、そう答えて言葉を切った。
 それ以上、説明はしない。

「そういえば、第2皇子殿下や第3皇子殿下はお元気ですか?」

 私が尋ねると、彼女はにっこりと微笑む。

「ええ、最近はデュクセルがジャックスの面倒を見てくれるから、こうしてシャロンとお茶会をする時間が増えて嬉しいわ」

 デュクセルといえば第2皇子で、ヴァージルの異母弟だ。皇室にいる3人の皇子の中で、唯一皇后の血を引いている皇子。
 確か私と同い年で、もうすぐ13回目の誕生祭が開かれるはずだ。
 ジャックスは第3皇子。皇帝が平民の女性との間に作った子で、その平民の女性が亡くなり、皇帝が引き取ったのだ。年は私の7つ下……今年で5歳だったろうか。
 よくある後継者争いとは程遠く、前世でも兄弟仲は悪くなかった。だから現皇帝が急逝した際、第1皇子であるヴァージルが皇帝に即位できたのだ。

「今日は、来てくれてありがとう」

 皇后が、紅茶のカップを置きながら言う。

「あなたのいつもの笑顔が見られて、安心したわ」

「恐れ入ります」

 そう答えながら、私は思う。
 この方は、ずっと私の味方だ。

 ならば、警戒すべきなのは。
 私は、隣に座る少年から、そっと視線をそらした。
 この人は、まだ何もしていない。
 それなのに、私は距離を測っている。
 おかしな話だ。罪を犯す前から、疑っている。

 けれど。

 また同じ場所に立つくらいなら、
 嫌われてもいい。
 理解されなくてもいい。

 彼のためなら、利用されてもいいと思った。でも、利用された上に命まで奪われるくらいなら___

 私は、静かに決めた。

 ___この人生では、この人からは、離れよう。



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