6 / 22
6.
しおりを挟む公爵家の朝は、静かだ。
皇宮にいるときのような、常に誰かの視線を意識する空気はない。廊下を歩いても、目的を問われることはなく、時間はきちんと流れている。
そのことに、今世の私は、ようやく安堵を覚えるようになった。
「体調はどうだ?」
朝食の席で、父が新聞から目を上げて言った。
その声は低く落ち着いていて、前世と何一つ変わらない。
「問題ありません。よく眠れました」
「それは結構。無理はしていないか?」
無理、という言葉に、少しだけ胸が詰まる。
前世の私は、どんな時でも無理をしている自覚すらなかった。
「……していません」
そう答えると、向かいに座る母が、紅茶を口に運びながら微笑んだ。
「最近は、表情が明るくなったわね」
「そうか?」
「ええ。以前は、どこか緊張していたもの」
母は、何気ない調子で言う。
責めるでも、探るでもなく、ただの感想として。
――ああ、この人は、最初から気づいていたのだ。
私が、皇子に相応しい相手になるために無理をしていたこと。
それでも止めなかったこと。
「皇宮には、あまり行っていないそうだな」
父の言葉に、私は一瞬だけ箸を止める。
「……はい」
「理由を聞いてもいいか?」
問い方は穏やかだ。
答えを強制する声音ではない。
私は少し考え、それから正直に言った。
「今は、自分の時間を大切にしたいと思いまして」
父は、しばらく黙って私を見る。
その視線は、公爵としてのものではなく、父親のものだった。
「皇子殿下のことでは、ないのだな」
「……はい」
母が、ふっと息をつく。
「それなら、いいわ」
その一言は、あまりにもあっさりしていた。
「え……?」
「あなたが誰と結婚するかより、どう生きるかの方が大事でしょう。好きになった相手が皇子殿下だったから、私たちは準備をした。それだけよ」
胸の奥で、何かが静かにほどけた。
――ああ、そうだったのだ。
私は、期待に応えなければならない存在だと思っていた。
両親にも、ヴァージルにも愛される条件として、完璧でいなければならないと。
「シャロン」
父が、珍しく名を呼ぶ。いつもは「シェリー」と、愛称で呼ぶからだ。
「お前が選ばれなかったとしても、そのくらいで、この家は何も失わない」
淡々とした言葉。
けれど、それは揺るぎのない真実だった。
「だから、誰かのために生きるな」
その言葉が、深く胸に落ちる。
前世での私は、この言葉を知らなかった。
いや、聞こうとしなかった。
両親も、殿下との結婚を望んでいると思っていたから。
「……はい、お父様」
声が、少し震えた。
私の死の原因を作った誰かに復讐をしようと思わなかった理由が、今なら分かる。
ここに、居場所があったから。
復讐のために命を危険に晒すより、私のために、命を守りたいから。
食後、母と並んで廊下を歩く。
「無理に笑わなくていいのよ」
母は、前を見たまま言った。
「あなたが、うちにいる。それだけで十分」
私は、ゆっくりと頷いた。
――今世では、殺されない。
誰かの期待のためではなく。
誰かを憎むためでもなく。
私を大切にしてくれる人たちを、裏切らないために。
0
あなたにおすすめの小説
戦いの終わりに
トモ
恋愛
マーガレットは6人家族の長女13歳。長く続いた戦乱がもうすぐ終わる。そんなある日、複数のヒガサ人、敵兵士が家に押し入る。
父、兄は戦いに出ているが、もうすぐ帰還の連絡があったところなのに。
家には、母と幼い2人の妹達。
もうすぐ帰ってくるのに。なぜこのタイミングで…
そしてマーガレットの心には深い傷が残る
マーガレットは幸せになれるのか
(国名は創作です)
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
たとえ夜が姿を変えても ―過保護な兄の親友は、私を逃がさない―
佐竹りふれ
恋愛
重なる吐息、耳元を掠める熱、そして——兄の親友の、隠しきれない独占欲。
19歳のジャスミンにとって、過保護な兄の親友・セバスチャンは、自分を子供扱いする「第二の兄」のような存在だった。
しかし、初めてのパーティーの夜、その関係は一変する。
突然降ってきた、深く、すべてを奪うような口づけ。
「焦らず、お前のペースで進もう」
そう余裕たっぷりに微笑んだセバスチャン。
けれど、彼の言う「ゆっくり」は、翌朝には早くも崩れ始めていた。
学内の視線、兄の沈黙、そして二人きりのアパート――。
外堀が埋まっていくスピードに戸惑いながらも、ジャスミンは彼が隠し持つ「男」の顔に、抗えない好奇心を抱き始める。
「……どうする? 俺と一緒に、いけないことするか?」
余裕の仮面を被るセバスチャンに、あどけない顔で、けれど大胆に踏み込んでいくジャスミン。
理性を繋ぎ止めようとする彼を、翻弄し、追い詰めていくのは彼女の方で……。
「ゆっくり」なんて、ただの建前。
一度火がついた熱は、誰にも止められない。
兄の親友という境界線を軽々と飛び越え、加速しすぎる二人の溺愛ラブストーリー。
異世界に喚ばれた私は二人の騎士から逃げられない
紅子
恋愛
異世界に召喚された・・・・。そんな馬鹿げた話が自分に起こるとは思わなかった。不可抗力。女性の極めて少ないこの世界で、誰から見ても外見中身とも極上な騎士二人に捕まった私は山も谷もない甘々生活にどっぷりと浸かっている。私を押し退けて自分から飛び込んできたお花畑ちゃんも素敵な人に出会えるといいね・・・・。
完結済み。全19話。
毎日00:00に更新します。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
替え玉の私に、その愛を注がないで…。~義姉の代わりに嫁いだ辺境伯へ、身を引くはずが……持ちかけられたのは溺愛契約。
翠月 瑠々奈
恋愛
ベルン皇国の辺境伯ソラティスが求めたのは、麗しき皇都の子爵令嬢レイアだった。
しかし、彼の元へ届けられたのは、身代わりに仕立て上げられた妹のラシーヌ。
容姿も性格も全く違う姉妹。
拒絶を覚悟したラシーヌだったが、ソラティスは緋色の瞳を向けて一つの「契約」を持ち掛けた。
その契約とは──?
ソラティスの結婚の理由、街を守る加護の力。そして、芽生える一つの恋。それに怯える拙い拒み。
※一部加筆修正済みです。
幼馴染の許嫁
山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる