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7.
しおりを挟む窓越しに差し込む陽射しは、鋭さを持たず、柔らかく、寝起きの身体をそっと包み込む。誰かに起こされるでもなく、鐘に急かされることもない。
シャロンは、しばらくの間、ベッドに横になったまま天井を見つめていた。
――今日も、何も起きていない。
それは不安ではなく、安堵だった。
つい数ヶ月前までは、朝目を覚ました瞬間から、頭の中は予定と義務で埋め尽くされていた。誰に会うのか、どんな表情をすべきか、どの言葉が最善か。常に気を張り、間違えないよう、失敗しないよう、考え続けていた。
けれど今は、呼吸が深い。
カーテンを少し開けると、公爵家の庭が見える。冬を越えた木々は芽吹き始め、朝露をまとって静かに揺れていた。
「……綺麗ね」
思わず、独り言が漏れる。
身支度を整えると、侍女が控えめに声をかけてくる。
「本日のご予定ですが、午前は自由時間、午後から家庭教師の先生がいらっしゃいます」
「ありがとう。午前中は……庭に出たいわ」
即答できる自分に、少し驚く。
庭に出ると、土の匂いがした。昨日、整えたばかりの花壇には、小さな芽が顔を出している。名前も、咲く時期も、完璧には覚えていない花。
それでも、手を伸ばして土を整える。
前世では、結果の出ないことに時間を割く余裕はなかった。咲くと分かっている花だけを選び、意味のある行動だけを重ねてきた。
「ちゃんと……育ってくれるかしら」
返事のない問いかけをしてから、シャロンは苦笑する。
答えを急がなくていい。
失敗しても、やり直せる。
それだけで、こんなにも気持ちが軽い。
土いじりもひと段落つき、午前中は読書に充てた。選んだのは、政治史ではなく、異国を旅する記録だった。雪に閉ざされた街、海に囲まれた島、砂漠を越える隊商。
文字を追いながら、胸の奥が静かに広がっていく。
――私は、ずっと狭い場所で生きていた。
帝国の中だけが世界のすべてだと思っていた。
外を知ろうとしなかったのではなく、知る余裕がなかったのだ。
午後になり、家庭教師のアグネ先生がお見えになった。
かつては、正妃教育の一環として、常に評価の目に晒されていた授業。間違えれば叱責され、理解が遅れれば失望される。
けれど今は、違う。
「今日は言語の授業にしましょう。こちらを訳してみてください」
文章を読み、言葉を選びながら訳していく。
詰まることはあっても、焦りはない。
できないことがあっても、それは「不足」ではなく、「途中」なのだと、自然に思える。
授業が終わる頃、日差しは西に傾いていた。
「とても良い集中力でしたよ」
その言葉を、疑わずに受け取れる自分がいる。
以前なら、褒め言葉の裏を探していた。
本心か、社交辞令か、次の要求は何か。
今は、ただ「ありがとうございます」と答えられた。
侍女が紅茶を用意してくれた紅茶を飲みながらぼーっと壁を眺める。
「本日は、皇宮からの使者は来ておりません」
「……そう」
胸がざわつかない。
呼吸も乱れない。
皇宮からの連絡がないことが、こんなにも自然になる日が来るとは思わなかった。
部屋で刺繍糸を広げ、眉を寄せる。図案は途中で、完成の予定も決めていない。針を進めながら、ふと考える。
もし、このまま誰とも結ばれなかったら。
もし、皇后にならなかったら。
以前の私なら、存在価値を失ったように感じただろう。
けれど今は、違う。
「それでも……私は、私だわ」
小さく呟く。
生きる理由を、誰かに与えられなくてもいい。
役割がなくても、私はここにいる。
すっかり夜も深まり、部屋の灯りを落とす。
今日一日を振り返っても、特別な出来事はない。
それでも、心は満ちている。
――生きている。
それだけで、十分だと思える夜だった。
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