公女様、前世に用はないですか?

みあはら

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14.

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 それは、夢にしては生々しすぎた。

 ヴァージルは、自分がいつ眠りに落ちたのかを覚えていない。執務室で書類を整理していたはずだ。夜更けまで机に向かい、ふと目を閉じた、その一瞬だったのかもしれない。

 だが次の瞬間、彼の意識は――別の場所にあった。

 鼻を突く、鉄の匂い。
 濃く、重く、肺の奥まで入り込んでくる血の臭い。

「……っ」

 息を吸った拍子に、喉が焼けるような錯覚を覚える。視界が揺れ、足元が定まらない。まるで、急激に多くの魔力を使った直後のような感覚だった。

 違う。

 これは、俺の身体じゃない。

 そう理解した瞬間、視界の端に“それ”が映った。

 真っ白なフロアタイルの上に、倒れている人影。
 細い肢体。広がる血。動かない指先。そして、その花嫁姿。……彼女に、似ている。その桃色の柔らかい髪も、陶器のように透き通る肌も。

「……シャ……」

 声が漏れた。
 けれどそれは、ヴァージル自身の声ではなかった。

 低く、掠れ、焦りに満ちた声。
 自分よりも年上で、しかし今にも壊れてしまいそうな――そんな声。

 視界が、走る。
 足が勝手に動き、床を蹴り、倒れた人物へと駆け寄る。膝をついた衝撃で、血が滲む。そして手のひらで、花嫁のウェディングドレスに広がる血に触れた。温かい。まだ、温度が残っている。

「シャロン……!」

 その名を呼んだ瞬間、ヴァージルの胸が強く締め付けられた。
 やはり、シャロンだ。今、俺の目の前で倒れているのは。
 白いドレスは赤く染まり、呼吸は浅く、ほとんど感じられない。閉じられた瞼の下で、微かに眼球が動いたような気がした。

「目を……目を開けてくれ……!」

 必死に声をかける。
 魔力が溢れ出す。制御もせず、ただ叩き込むように。
 治癒魔術。そうか、これは、キャスパーの――

 ――効かない。
 彼の焦りと絶望が痛いくらいに伝わってくる。
 どれほど優れた魔術であろうと、どうにもならない“境界”がある。その事実を、この身体の主は、誰よりも理解していた。

「……嘘だ、シャロン、こんなの……」

 声が震える。

「……死ぬのか……?」

 その理解が下った瞬間、胸の奥に沈殿していた感情が一気に噴き出した。

 悔恨。
 自責。
 怒り。

 誰に向けたものか、ヴァージルには分からない。ただ、その感情の濁流に呑まれ、息が詰まる。

 ――まだ、温かいのに。

 ――魔力は、残っているのに。

 ――どうして。

 視界が滲む。
 それでも、必死にシャロンの顔を覗き込む。

 その時だった。
 閉じられていたはずの彼女の瞼が、かすかに開いた。

 焦点の合わない瞳。
 何かを探すように、彷徨う視線。

「……に……い……」

 音にならない声。
 けれど、はっきりと“意味”だけが伝わってくる。

 お兄様。

 その瞬間、視界の主の記憶が流れ込んでくる。彼女を愛し、愛された思い出が。

「……ああ」

 低い声が、震える。

「……兄だ……お前の兄様だよ……」

 温かさを失いかけている彼女の手を強く握ると、シャロンはホッとしたように口元を緩ませる。

 何故シャロンがこんな目に。
 これは、夢なのか?それとも――


 キャスパーの怒りが、確かな輪郭を持って燃え上がる。

「……陛下……」

 握りしめた拳が、血で染まっていく感覚。

「……ヴァージル陛下!あなたがいながら何故……!」

 その言葉を最後まで聞くことはできなかった。
 世界が、唐突に引き裂かれる。
 引き剥がされるような感覚。
 視界が反転し、砕け、光に溶けていく。

「……ッ!」

 ヴァージルは、ベッドの上で跳ね起きた。

 荒い呼吸。
 額から流れる冷や汗。
 胸の奥が、焼け付くように痛む。

 夢――ではない。

 そう直感していた。

 あまりにも具体的で、あまりにも感情が重すぎる。

「……今のは……」

 自分の知らない記憶。
 自分の知らない“未来”。

 だが、はっきりと分かることがある。
 シャロンは、死んだ。
 そして、その死を看取った者がいる。恐らく、キャスパーだ。あの最上級の治癒魔法は、彼ほどの魔術師でないと簡単には使えない。

 ヴァージルは、無意識のうちに自分の胸を掴んでいた。まるで、そこに答えがあるかのように。

「……俺が……いながら……?」
 
 彼女は、誰と結婚したんだ?
 キャスパーが俺の名を呼んだということは、俺もあの場に招待されていたんだろう。
 いや、それとも……
 俺が、彼女と?


 ヴァージルは静かに息を吐く。
 まるで――自分が、その場にいたかのような錯覚だけが、消えずに残っている。
 そして彼女の血の温かさが、まだ手のひらに残っている気さえした。

 彼女が死ぬとしたら、何故?
 誰が殺したんだ?

 あらゆる疑問の答えは、まだ出ない。
 ただ一つだけ、確かなことがあった。
 ――このまま、何も知らずにはいられない。

 あの記憶がキャスパーの物だとすれば、俺に見せたのも彼のはずだ。

 魔塔のある方向に目をやり、振り返って上着を手に取る。

「行くか、友人に会いに」
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