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第72話 覚悟
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「グアレス殿! エハを私にください! お願いします!」
起きて来た巫女や兵達が見守る中、エルディアは必死の形相で掃除前のフロアに額を擦り付けていた。
身分と責任ある者が頭を下げる行為は、むやみやたらにやるべきではない。
適切な時、適切な場、適切な状況が揃ってこそ武器となり手段となりうる。その判断が出来ないなら論外と言え、他の方法を検討して選択すべきと私は思う。
つけ込まれる隙を相手に晒し、逆に窮地に陥る危険があるのだから。
しかし、エルディアは敢えてそれを選んだ。
心を、意志を、愛を強く伝え、拒絶されたら力ずくで奪って見せる。そんな腹の底を隠しもせず、食い破る覚悟をグアレスに思い切り叩きつけている。
巫女に出来ないのが残念でならない。
彼女の生き様は女そのものだ。愛に殉じるのが男で、愛に生きるのが女。今の彼女はまさに自らの道を存分に走り続けていて、ゴールに向かうと共にゴールその物を引き寄せてもいる。
実に、実に素晴らしい逸材だ。
『ねーたん、どうしたの?』
『エハと仲良くしたいんだって』
『ねーたんとなかよし! ねーたん、ねーたん!』
無邪気な笑顔で尻尾をふりふり波打たせ、小さな天使がエルディアに擦り寄った。
ぽたぽたと赤い雫が床を汚し、白い肌が朱に染まるどころか真っ赤に変わる。
もう正直辛抱たまらん状態で、彼女の理性が少しでも弱かったら、二人の貞操は失われていた。それで良いんじゃないかと私は思ったが、その一線をギリギリの際で踏み止まる意志力を無駄と評する事は出来ない。
皆と一緒に、少し離れた場所からただただ見守る。
それくらいしかできない。
それ以上をしたら、この場の全員から袋叩きにされそうだった。誰も彼も真剣な目で彼女達を見つめていて、その行く末をはらはらと案じている。
「どう、なりますかな?」
「ガニュス殿。どう、とは?」
「事前情報では、エルディア様の想い人は尾無しの白狐でした。ですが、実際には魔術で姿を欺いていた十四尾で、保護者たるは抜ける突風――――恐怖でどうにかなってしまいそうですじゃ。今、私の心臓が動いていなくても不思議とは思いませぬ」
「杞憂ですよ。エルディア殿なら大丈夫。例え勝てなくても、今のグアレス殿相手なら負けはしません」
そう。今のグアレス相手になら。
十二尾のミサにメッタメタに精神を打ちのめされて、私に縋り付いてくるぐらいだ。エハを任せられそうな女性が現れれば、ミサではなくそっちを頼るくらいしてもおかしくない。
現に、グアレスの尻尾はさっきから、ずぅっと千切れんばかりにブンブン振られている。意気消沈していた痛々しい姿はどこかに消し飛び、光を失っていた瞳は爛々と輝いている。
体も小刻みに震えて来た。
いよいよ喜びが抑えきれなくなってきている。
「女、名は?」
「エルディア。エルディア・カムクロム・カルアンド」
「帝国の第三皇女か。貴殿の格に合わせて三つ問いたい。何故、エハをそこまで求める? 帝国はエハをどうしようとしている? エハの為に、どこまでの絶望を相手に出来る?」
「グアレス殿……」
一つ目と二つ目は良いとして、三つ目の問いに彼の心境が表れている。
家族からの拒絶。信頼していた愛する者から否と言われ、崩れかけた自分よりお前は強いのか? 自分の代わりにエハと遂げる覚悟はあるのか?
俯いていた女傑の面が上がり、槍を思わせる眼光がグアレスに向かう。
グアレスは真正面から受け止め――――切れなかった。
振られていた尻尾が動きを止め、怯えるように垂れさがる。爛々としていた瞳は奥が陰り、負けを認めて背を丸く膝を抱える。
義父の変化に、エハが駆け寄った。
「とーさまっ! とーさまっ!」と涙を浮かべて声をかけ、心配そうに横に寄り添う。ポーチからブラシを取り出して尻尾を差し出し、元気づけようとして――――返らない応えに、大粒の涙と嗚咽が漏れた。
見ていられず、両者の間に私は立つ。
「そこまで。エルディアの意志と覚悟はよくわかった。繁栄の女神ヴィラの名の下に、エルディア・カムクロム・カルアンドとエハの交際を認める。だが、百年に渡り愛し育んできた父の想いも鑑みて、後日、グアレスの問いを神前にて改めさせてほしい。すまないが、宜しいか?」
圧勝を決めたエルディアに、慈悲の言葉を私は求める。
彼女もここまでするつもりはなかったらしく、ばつが悪そうに視線を外して頷いた。
安堵の息がそこかしこで吐かれた。愛を確認し合う大事な場が、いつの間にか修羅場に変わっていたのだ。まともにいられる者など一人としてなく、一人も潰されなかっただけ上出来と言える。
私は泣き続けるエハの頭を撫で、薬を嗅がせて眠らせた。
心が病む前に。
エルディアに恨みの念が向く前に。
そして、起きた時には皆、全部元通りにしてみせよう。いや、それ以上を用意する。繁栄の礎として、この子の未来を幸福と幸福と幸福で満ち満ちさせてみせる。
その為に、私はグアレスの肩を掴んだ。
もう、彼の意志なんて関係ない。私という存在が出来る全てを総動員し、今回の事に全力で当たる。
せっかく来てくれたヴァテアには悪いが、そもそも、私はそういう存在の筈だ。人の道理が通じない、避けられはしても抗えない絶対の不条理。世界がそうであると定め、人がそうであると型にはめた、最悪で最悪で最悪の一。
「やるよ」
妖怪なのだ。
起きて来た巫女や兵達が見守る中、エルディアは必死の形相で掃除前のフロアに額を擦り付けていた。
身分と責任ある者が頭を下げる行為は、むやみやたらにやるべきではない。
適切な時、適切な場、適切な状況が揃ってこそ武器となり手段となりうる。その判断が出来ないなら論外と言え、他の方法を検討して選択すべきと私は思う。
つけ込まれる隙を相手に晒し、逆に窮地に陥る危険があるのだから。
しかし、エルディアは敢えてそれを選んだ。
心を、意志を、愛を強く伝え、拒絶されたら力ずくで奪って見せる。そんな腹の底を隠しもせず、食い破る覚悟をグアレスに思い切り叩きつけている。
巫女に出来ないのが残念でならない。
彼女の生き様は女そのものだ。愛に殉じるのが男で、愛に生きるのが女。今の彼女はまさに自らの道を存分に走り続けていて、ゴールに向かうと共にゴールその物を引き寄せてもいる。
実に、実に素晴らしい逸材だ。
『ねーたん、どうしたの?』
『エハと仲良くしたいんだって』
『ねーたんとなかよし! ねーたん、ねーたん!』
無邪気な笑顔で尻尾をふりふり波打たせ、小さな天使がエルディアに擦り寄った。
ぽたぽたと赤い雫が床を汚し、白い肌が朱に染まるどころか真っ赤に変わる。
もう正直辛抱たまらん状態で、彼女の理性が少しでも弱かったら、二人の貞操は失われていた。それで良いんじゃないかと私は思ったが、その一線をギリギリの際で踏み止まる意志力を無駄と評する事は出来ない。
皆と一緒に、少し離れた場所からただただ見守る。
それくらいしかできない。
それ以上をしたら、この場の全員から袋叩きにされそうだった。誰も彼も真剣な目で彼女達を見つめていて、その行く末をはらはらと案じている。
「どう、なりますかな?」
「ガニュス殿。どう、とは?」
「事前情報では、エルディア様の想い人は尾無しの白狐でした。ですが、実際には魔術で姿を欺いていた十四尾で、保護者たるは抜ける突風――――恐怖でどうにかなってしまいそうですじゃ。今、私の心臓が動いていなくても不思議とは思いませぬ」
「杞憂ですよ。エルディア殿なら大丈夫。例え勝てなくても、今のグアレス殿相手なら負けはしません」
そう。今のグアレス相手になら。
十二尾のミサにメッタメタに精神を打ちのめされて、私に縋り付いてくるぐらいだ。エハを任せられそうな女性が現れれば、ミサではなくそっちを頼るくらいしてもおかしくない。
現に、グアレスの尻尾はさっきから、ずぅっと千切れんばかりにブンブン振られている。意気消沈していた痛々しい姿はどこかに消し飛び、光を失っていた瞳は爛々と輝いている。
体も小刻みに震えて来た。
いよいよ喜びが抑えきれなくなってきている。
「女、名は?」
「エルディア。エルディア・カムクロム・カルアンド」
「帝国の第三皇女か。貴殿の格に合わせて三つ問いたい。何故、エハをそこまで求める? 帝国はエハをどうしようとしている? エハの為に、どこまでの絶望を相手に出来る?」
「グアレス殿……」
一つ目と二つ目は良いとして、三つ目の問いに彼の心境が表れている。
家族からの拒絶。信頼していた愛する者から否と言われ、崩れかけた自分よりお前は強いのか? 自分の代わりにエハと遂げる覚悟はあるのか?
俯いていた女傑の面が上がり、槍を思わせる眼光がグアレスに向かう。
グアレスは真正面から受け止め――――切れなかった。
振られていた尻尾が動きを止め、怯えるように垂れさがる。爛々としていた瞳は奥が陰り、負けを認めて背を丸く膝を抱える。
義父の変化に、エハが駆け寄った。
「とーさまっ! とーさまっ!」と涙を浮かべて声をかけ、心配そうに横に寄り添う。ポーチからブラシを取り出して尻尾を差し出し、元気づけようとして――――返らない応えに、大粒の涙と嗚咽が漏れた。
見ていられず、両者の間に私は立つ。
「そこまで。エルディアの意志と覚悟はよくわかった。繁栄の女神ヴィラの名の下に、エルディア・カムクロム・カルアンドとエハの交際を認める。だが、百年に渡り愛し育んできた父の想いも鑑みて、後日、グアレスの問いを神前にて改めさせてほしい。すまないが、宜しいか?」
圧勝を決めたエルディアに、慈悲の言葉を私は求める。
彼女もここまでするつもりはなかったらしく、ばつが悪そうに視線を外して頷いた。
安堵の息がそこかしこで吐かれた。愛を確認し合う大事な場が、いつの間にか修羅場に変わっていたのだ。まともにいられる者など一人としてなく、一人も潰されなかっただけ上出来と言える。
私は泣き続けるエハの頭を撫で、薬を嗅がせて眠らせた。
心が病む前に。
エルディアに恨みの念が向く前に。
そして、起きた時には皆、全部元通りにしてみせよう。いや、それ以上を用意する。繁栄の礎として、この子の未来を幸福と幸福と幸福で満ち満ちさせてみせる。
その為に、私はグアレスの肩を掴んだ。
もう、彼の意志なんて関係ない。私という存在が出来る全てを総動員し、今回の事に全力で当たる。
せっかく来てくれたヴァテアには悪いが、そもそも、私はそういう存在の筈だ。人の道理が通じない、避けられはしても抗えない絶対の不条理。世界がそうであると定め、人がそうであると型にはめた、最悪で最悪で最悪の一。
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妖怪なのだ。
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