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パーティー会場の外は、私の心を見透かしたような土砂降りの雨だった。
濡れたドレスが鉛のように重く、足元を掬おうとする。
私は一人、公爵家の別邸へと続く裏道を歩いていた。
「お姉様、そんなに急いでどこへ行くのですか?」
背後から、鈴を転がすような甘い声が届いた。
振り返ると、そこには豪奢な傘を差したセアラが立っていた。
彼女の隣には、さきほど私を断罪したはずのジュリアン殿下ではなく、護衛騎士の一人が控えている。
「セアラ……。何の用ですか。勝利の余韻に浸る時間は終わったのですか?」
私が冷ややかに問い返すと、セアラはクスクスと肩を揺らして笑った。
「勝利だなんて、人聞きの悪い。私はただ、お姉様が可哀想だと思ってお見送りに来ただけですよ」
セアラは一歩近づき、私の耳元で囁いた。
「ねえ、お姉様。どんな気分? 泥棒猫みたいに追い出される気分は」
会場での泣きじゃくる姿はどこへやら、その瞳にはどす黒い悦悦が宿っている。
「……やはり、すべて貴女が仕組んだことなのね」
「あら、心外ですわ。証拠を揃えたのはジュリアン殿下ですよ? 私はただ、彼が信じたい真実を提示してあげただけ」
セアラは勝ち誇ったように、私の頬を指先でなぞった。
「殿下はね、私の涙に弱いの。お姉様みたいに可愛げのない、正論ばかりの女は飽き飽きだっておっしゃっていたわ」
私はその手を振り払う。
「嘘でも何でもいいわ。でも、これだけは言っておく。貴女が手に入れたのは、私がいらなくなった残飯のような男よ」
「……なんですって?」
セアラの顔が怒りで一瞬歪んだが、すぐにまた醜悪な笑みに戻った。
「強がりもそこまで。お姉様がこれから行くのは、魔物が跋扈する極寒の地……ヴォルガード領。あそこの辺境伯は『氷の死神』と呼ばれているそうよ? きっと、生きては帰れないわね」
彼女は私を突き放すように背を向けた。
「さようなら、お姉様。公爵家の恥として、ひっそりと死んでくださいな」
セアラが去った後、私は用意されていた一台の馬車を見つけた。
それは公爵家の紋章が塗りつぶされた、窓もない荷馬車のような代物だった。
「エリシア、乗れ」
そこには、父であるクロムウェル公爵が立っていた。
「お父様……」
「私を父と呼ぶな。貴様は我が家の面汚しだ。聖女であるセアラを傷つけた報い、その身で受けるがいい」
父の瞳には、私への愛情など微塵も残っていなかった。
「……分かりました。最後まで、私はお父様にとって利用価値のある道具でしかなかったのですね」
「口の減らない娘だ。ヴォルガード領までの道中、せいぜい己の罪を悔いることだな」
私は無言で、汚れた馬車の荷台へと乗り込んだ。
中には薄い毛布が一枚あるだけで、座席すらない。
御者が鞭を振るい、馬車が動き出す。
ガタガタと激しく揺れる振動が、私の体力を奪っていく。
窓のない暗闇の中で、私は膝を抱えて丸くなった。
雨音だけが、絶望を象徴するように鳴り響いている。
(泣いてたまるものか……。私はまだ、終わっていないわ)
セアラの嘘も、ジュリアンの裏切りも、父の冷酷さも。
すべてをこの胸に刻み込み、私は意識を遠のかせた。
寒さと空腹、そして揺れ。
どれほどの時間が経っただろうか。
時折聞こえる魔物の咆哮が、死が近いことを告げているようだった。
しかし、私の心は不思議と静かだった。
捨てられたことで、皮肉にも私は自由になったのだ。
「……エリシア、しっかりしろ」
自分自身に言い聞かせるように、私は自分の名前を呟いた。
冷たい夜が明ける頃には、景色は雪に覆われ始めていた。
王国から最も遠く、最も過酷な場所。
氷の死神が統治する辺境へと、私は一歩ずつ近づいていた。
濡れたドレスが鉛のように重く、足元を掬おうとする。
私は一人、公爵家の別邸へと続く裏道を歩いていた。
「お姉様、そんなに急いでどこへ行くのですか?」
背後から、鈴を転がすような甘い声が届いた。
振り返ると、そこには豪奢な傘を差したセアラが立っていた。
彼女の隣には、さきほど私を断罪したはずのジュリアン殿下ではなく、護衛騎士の一人が控えている。
「セアラ……。何の用ですか。勝利の余韻に浸る時間は終わったのですか?」
私が冷ややかに問い返すと、セアラはクスクスと肩を揺らして笑った。
「勝利だなんて、人聞きの悪い。私はただ、お姉様が可哀想だと思ってお見送りに来ただけですよ」
セアラは一歩近づき、私の耳元で囁いた。
「ねえ、お姉様。どんな気分? 泥棒猫みたいに追い出される気分は」
会場での泣きじゃくる姿はどこへやら、その瞳にはどす黒い悦悦が宿っている。
「……やはり、すべて貴女が仕組んだことなのね」
「あら、心外ですわ。証拠を揃えたのはジュリアン殿下ですよ? 私はただ、彼が信じたい真実を提示してあげただけ」
セアラは勝ち誇ったように、私の頬を指先でなぞった。
「殿下はね、私の涙に弱いの。お姉様みたいに可愛げのない、正論ばかりの女は飽き飽きだっておっしゃっていたわ」
私はその手を振り払う。
「嘘でも何でもいいわ。でも、これだけは言っておく。貴女が手に入れたのは、私がいらなくなった残飯のような男よ」
「……なんですって?」
セアラの顔が怒りで一瞬歪んだが、すぐにまた醜悪な笑みに戻った。
「強がりもそこまで。お姉様がこれから行くのは、魔物が跋扈する極寒の地……ヴォルガード領。あそこの辺境伯は『氷の死神』と呼ばれているそうよ? きっと、生きては帰れないわね」
彼女は私を突き放すように背を向けた。
「さようなら、お姉様。公爵家の恥として、ひっそりと死んでくださいな」
セアラが去った後、私は用意されていた一台の馬車を見つけた。
それは公爵家の紋章が塗りつぶされた、窓もない荷馬車のような代物だった。
「エリシア、乗れ」
そこには、父であるクロムウェル公爵が立っていた。
「お父様……」
「私を父と呼ぶな。貴様は我が家の面汚しだ。聖女であるセアラを傷つけた報い、その身で受けるがいい」
父の瞳には、私への愛情など微塵も残っていなかった。
「……分かりました。最後まで、私はお父様にとって利用価値のある道具でしかなかったのですね」
「口の減らない娘だ。ヴォルガード領までの道中、せいぜい己の罪を悔いることだな」
私は無言で、汚れた馬車の荷台へと乗り込んだ。
中には薄い毛布が一枚あるだけで、座席すらない。
御者が鞭を振るい、馬車が動き出す。
ガタガタと激しく揺れる振動が、私の体力を奪っていく。
窓のない暗闇の中で、私は膝を抱えて丸くなった。
雨音だけが、絶望を象徴するように鳴り響いている。
(泣いてたまるものか……。私はまだ、終わっていないわ)
セアラの嘘も、ジュリアンの裏切りも、父の冷酷さも。
すべてをこの胸に刻み込み、私は意識を遠のかせた。
寒さと空腹、そして揺れ。
どれほどの時間が経っただろうか。
時折聞こえる魔物の咆哮が、死が近いことを告げているようだった。
しかし、私の心は不思議と静かだった。
捨てられたことで、皮肉にも私は自由になったのだ。
「……エリシア、しっかりしろ」
自分自身に言い聞かせるように、私は自分の名前を呟いた。
冷たい夜が明ける頃には、景色は雪に覆われ始めていた。
王国から最も遠く、最も過酷な場所。
氷の死神が統治する辺境へと、私は一歩ずつ近づいていた。
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