今さら戻れと言われても....

きららののん

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昨日の膝枕の余韻が、まだ胸の奥でくすぐったく残っている。

私はカシアン様から贈られた藍色のドレスの裾を整え、城の中庭へと向かった。

魔物との戦い以降、ヴォルガード領を覆っていた重苦しい魔霧は、私の浄化の光によって大部分が払われていた。

「……少しずつ、緑が戻ってきているわね」

雪の下から顔を出した小さな芽を見つけ、私は思わず頬を緩める。

「エリシア。ここにいたか」

背後から呼ばれ振り返ると、そこにはカシアン様が立っていた。

彼は漆黒の外套を脱ぎ、動きやすい革のジャケット姿で、いつになく穏やかな表情を浮かべている。

「カシアン様。お体の方はもうよろしいのですか?」

「ああ。お前の『お手当て』のおかげで、ここ数年で一番体が軽い」

カシアン様は私の隣に並び、遠くの山々を見つめた。

「お前に出会うまで、俺はこの地を『死に場所』だと思っていた」

「死に場所……?」

「呪いを抑え込み、領民を守り、いつか魔物に喰われて終わる。それがヴォルガード当主の宿命だと信じて疑わなかった」

彼は一度言葉を切り、私の方をゆっくりと振り向いた。

その赤い瞳には、以前のような冷徹さはなく、熱を帯びた感情が揺れている。

「だが、今は違う。……生きたいと思うようになった。お前と共に、この地の春を見たいと」

「カシアン様……」

心臓がドクンと大きく跳ねる。

それは、王都でジュリアン殿下に向けられていた思慕とは、全く質の違う情動だった。

「エリシア。俺は、貴様をもう誰にも渡したくない。たとえ王家が全力を挙げて貴様を奪い返そうとしても、俺はこの命に代えても守り抜く」

カシアン様の手が、私の頬にそっと触れる。

その指先は、以前感じたような氷のような冷たさはなく、私を求めるような確かな熱を持っていた。

「……それは、辺境伯としての義務ではなく、貴方の本心なのですか?」

私は震える声で尋ねた。

裏切られ、捨てられた過去が、心のどこかでブレーキをかける。

「ああ。俺自身の、唯一無二の願いだ」

カシアン様の顔が、ゆっくりと近づいてくる。

彼の吐息が触れるほどの距離に、私は息をすることを忘れてしまいそうだった。

「俺の傍に……。ずっと、いてくれないか」

彼の真っ直ぐな言葉が、私の心の堤防をあっさりと崩していく。

「……私も、貴方の傍にいたいです。カシアン様」

私がそう答えると、彼は少しだけ困ったように眉を下げて笑った。

「様、はいらないと言っただろう」

「ふふ、つい癖で……。……カシアン」

名前を呼ぶと、彼は満足げに私の頭を優しく撫でた。

告白とまではいかない、けれど確かな約束。

私たちは、まだ言葉にできない想いを抱えながら、静かに変わりゆく領地の景色を見つめていた。

しかし、その穏やかな時間の裏側で、王都からの暗い影が刻一刻と近づいていることを、私たちはまだ知らなかった。
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