今さら戻れと言われても....

きららののん

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肖像画の並ぶ回廊を抜け、私たちは月明かりが降り注ぐテラスへと出た。

ヴォルガードの夜風は相変わらず冷たかったが、先ほどカシアンに抱きしめられた余韻で、私の胸の奥はひどく熱を持っていた。

見上げれば、雲一つない空に銀色の月が浮かび、雪に覆われた領地を優しく照らし出している。

「……エリシア」

背後から名を呼ばれ、私はゆっくりと振り返った。

カシアンは手すりに片手をかけ、月光を浴びて銀色に輝く私の髪を、愛おしそうに見つめていた。

「はい、カシアン」

「先ほど、貴様は『どこにも行かない』と言ったな。……それは、本当に信じて良いのか?」

彼の声は、夜の静寂に溶けそうなほど低く、どこか心細げだった。

「ええ。何度でも申し上げますわ。私の居場所は、ここ以外に考えられません」

私は一歩、彼との距離を詰めた。

「王都にいた頃の私は、ただの『道具』でした。誰からも必要とされず、ただ期待された役割を演じるだけの空っぽの人形……。でも、貴方は私を『エリシア』として見てくれた」

「……俺の方こそ、貴様に救われたのだ」

カシアンの手が、ためらいがちに私の頬に触れた。

ごつごつとした騎士の手。けれど、その指先は驚くほど繊細で、震えている。

「俺は、主として貴様に命じることはできる。ここで死ぬまで働けと、城から一歩も出るなと。……だが、今はそんな言葉を口にしたくない」

カシアンは私の目を真っ直ぐに見つめ、一言一言を噛みしめるように紡いだ。

「エリシア。俺の側にいてくれ。……これは、辺境伯としての命令ではない。一人の男としての、身勝手な『願い』だ」

「カシアン……」

彼の瞳に宿る真摯な光に、私の視界が潤んだ。

王都で聞かされていた「命令」や「義務」という言葉が、いかに冷たいものだったかを思い知る。

彼の言葉は、私の心を縛る鎖ではなく、翼を与えてくれる魔法のようだった。

「……私の答えは、もう決まっています。貴方の願いを叶えること。それが、今の私の唯一の望みですわ」

私は自ら、彼の胸にそっと手を置いた。

カシアンの呼吸が止まり、次の瞬間、強い力で引き寄せられた。

「……いいのか。本当に、俺でいいのか」

「貴方がいいのです。カシアン……貴方しか、いらない」

私がそう呟くと、カシアンは低く呻くような声を漏らした。

ゆっくりと、彼の顔が近づいてくる。

拒む理由など、どこにもなかった。

私は静かに目を閉じ、彼を受け入れた。

触れるだけの、けれど深い慈しみに満ちた口づけ。

氷の死神と呼ばれた男の唇は、驚くほど温かく、そして甘く私の感覚を支配していった。

雪の結晶が舞い散るような、静謐な沈黙の中。

私たちは互いの体温を確かめ合い、二度と離れないことを、月の女神に誓った。

「……エリシア。愛している」

耳元で囁かれたその言葉に、私は幸せな溜息を吐き、彼に強くしがみついた。

たとえこの先、王家がどのような陰謀を巡らせようとも。

この温もりがある限り、私はどんな嵐にも立ち向かえる。

そう確信した、ヴォルガードの静かな夜だった。
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