今さら戻れと言われても....

きららののん

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ジュリアン殿下の顔は、驚愕から屈辱、そして激しい憤怒へと目まぐるしく変化していった。

「……婚約者だと? 正気か、エリシア! こんな、いつ呪いに呑まれて死ぬかも分からぬ男と……!」

殿下は震える指でカシアンを指差し、吐き捨てるように叫んだ。

「貴様は騙されているのだ。この『氷の死神』が、公爵令嬢である貴様の身分を欲しがらないはずがないだろう!」

私はカシアンの腕に添えた手に、さらに力を込めた。

「身分、ですか。殿下、貴方は私が爵位を剥奪され、泥を啜るようにしてこの地に送られたことをお忘れですか?」

私は冷ややかな声で問いかける。

「今の私にあるのは、クロムウェルの名ではなく、この地で手に入れた居場所だけです。カシアン様は、私が無一文の、ただの『エリシア』であった時から、私を認めてくださいましたわ」

「そんなものはまやかしだ! エリシア、いい加減にしろ! 王都は今、未曾有の危機にあるのだ。聖女セアラの祈りでも霧が晴れず、民は飢えている。貴様のその力があれば、国を救えるのだぞ!」

ジュリアンの言葉には、なりふり構わぬ必死さが滲んでいた。

けれど、その根底にあるのは民への慈しみではなく、自分の地位が揺らぐことへの恐怖に過ぎない。

「……おかしなことをおっしゃいますね。セアラ様は『真の聖女』なのでしょう? 私のような『心の醜い、偽物の聖女』に頼る必要などないはずですわ」

かつて彼が私に投げつけた言葉を、そのまま鏡のように突き返す。

「そ、れは……あの時はセアラに唆されたのだ。私も被害者なのだぞ!」

あまりに無様な言い訳に、私は眩暈さえ覚えた。

「被害者……。私を公衆の面前で断罪し、ティアラを奪い、雨の中に放り出した貴方が、よくもそんな言葉を」

私は一歩、殿下に向かって踏み出した。

「殿下。貴方が愛していたのは私ではなく、私がもたらす『平穏』という恩恵だけだった。それを手放したのは、他ならぬ貴方自身です」

「エリシア……!」

ジュリアンが縋りつくように私の腕を掴もうとした瞬間、カシアンの低い、地響きのような声が響いた。

「これ以上、彼女に近づくなと言ったはずだ」

カシアンが私の前に割り込み、ジュリアンの手首を万力のような力で掴み上げる。

「ぐ、あがっ……! 離せ! 貴様、不敬だぞ!」

「不敬だと? 俺の領地で、俺の婚約者を脅かす者に、払う敬意など持ち合わせていない。……失せろ、王子。貴様の顔を見るだけで、この地の雪が汚れる」

カシアンの赤い瞳から放たれる殺気に、ジュリアンは顔を青白くして後ずさった。

「……っ、後悔させてやるぞ! 王家に逆らった報い、必ず受けさせてやるからな!」

ジュリアンは捨て台詞を吐くと、転がるようにして豪華な馬車へと逃げ込んでいった。

騎士たちも、カシアンの放つ圧倒的な威圧感に気圧され、這々の体で立ち去っていく。

馬車の車輪が音を立てて遠ざかるのを、私は静かに見送った。

「……終わりましたわ、カシアン」

「ああ。……不快な思いをさせたな、エリシア」

カシアンは振り返ると、先ほどまでの死神のような表情を消し、申し訳なさそうに私の頬に触れた。

「いいえ。……私、これほどまでに心が軽いのは初めてですわ」

私は彼の胸に顔を埋めた。

かつての執着も、悲しみも、すべてがヴォルガードの風に流されて消えていく。

しかし、私たちはまだ知らなかった。

追い詰められたジュリアンとセアラが、最後の一線を越えた、最悪の暴挙に出ようとしていることを。
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