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十九話【氷の騎士の優しさ】
しおりを挟むカイの滞在は、数日間に及んだ。
彼は、ただの視察者としてではなく、一人の騎士として、領地の防衛計画について助言を与えたり、子供たちに剣術を教えたりした。
その無愛想な態度の裏にある実直さと優しさに、領民たちもすっかり彼に懐いていた。
滞在三日目の午後。
リノエルは、カイと共に、新しく作った薬草園を歩いていた。
「この月光草は、とても繊細なのです。少しでも土の魔力が濁ると、すぐに枯れてしまいますの」
リノエルが専門的な説明を始めると、カイは興味深そうに耳を傾けていた。
一通り説明を終えた後、ふと、沈黙が訪れる。
先に口を開いたのは、リノエルだった。
「……不思議ですわ」
「何がだ?」
「カイ様といると、わたくし、とてもよく喋るようになるのです。王宮では、ほとんど必要なことしか口にしなかったのに」
リノエルは、自嘲するように小さく笑った。
「あそこでは、妃になるために、自分の全てを殺さなければなりませんでしたから。感情も、知識も、意見も。ただ、殿下の隣で微笑む美しい人形でいることだけが、求められていました」
ぽつり、ぽつりと、今まで誰にも話したことのない本音がこぼれ落ちる。
「だから、いつ捨てられてもいいように、ずっと準備をしてきたのです。経済学を学び、法律を読み解き、父の領地経営の資料を密かに写しては、来るべき日に備えていました。……愚かでしょう?」
「愚かではない」
カイが、きっぱりと否定した。
「君は、賢明だった。そして、誰よりも強かった」
カイは歩みを止め、リノエルに向き合った。
その鋼色の瞳は、どこまでも真摯にリノエルを捉えている。
「俺は、ずっと見ていた。パーティーの隅で、一人で難しい本を読んでいる君を。誰も気づかない場所で、国王陛下の政策を手伝っている君を。……そして、アレスの心ない言葉に、唇を噛んで耐えている君を」
「……!」
リノエルは、息をのんだ。
誰も気づいていないと思っていた。自分の努力も、苦しみも、全ては完璧な仮面の下に隠し通せていると、そう思っていたのに。
「君は、決して人形などではなかった。自分の足で立つために、水面下で必死にもがいていた。俺は、そんな君を、ずっと……尊敬していた」
「……やめて、ください」
リノエルの声が、震えた。
瞳に、熱いものがこみ上げてくる。
この人にだけは、見抜かれていた。自分の弱さも、強がりも、全て。
「よく、耐えたな」
カイは、それ以上何も言わなかった。
だが、その短い一言が、リノエルの心の奥に固く凍りついていた何かを、ゆっくりと溶かしていくのを感じた。
リノエルは、顔を上げることができなかった。
この人の前で、泣いてしまうわけにはいかない。その一心で、ただ俯くだけだった。
そんなリノエルの気持ちを察したのか、カイは何も言わず、ただ静かに、彼女が落ち着くのを待ってくれていた。
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2024/09/08 一部加筆修正しました
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