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お祭りの夜の、あのダンスの熱が、まだ頬に残っているようでした。
屋敷に帰ってきたわたくしたちは、どちらからともなく、広間の暖炉の前に腰を下ろしていました。
パチパチと薪がはぜる音と、窓の外から聞こえる虫の声だけが、静かな室内に響いています。
「村長さんが、持たせてくださいましたの。村で採れた果実で作った、特別なお酒ですって」
わたくしは、お祭りの帰り際に渡された、ずっしりと重い葡萄酒の瓶を取り出しました。
ゼノン様は、いつもは任務中だからと、お酒を口にすることは滅多にありません。
ですが、今夜は、お祭りの高揚感からか、それとも何か別の理由からか、黙って頷いてくれました。
グラスに注がれた葡萄酒は、琥珀色に美しく輝いています。
一口、口に含むと、芳醇な果実の香りと、想像以上のアルコールの強さが、喉を熱くしました。
「まあ、随分と強いお酒ですこと」
「……ああ」
わたくしは、お酒には強いほうです。この体の頑丈さは、アルコールの分解能力にも影響しているのかもしれません。
ですが、ゼノン様は違ったようです。
普段、鍛錬ばかりで嗜む習慣がないからでしょうか。数杯、グラスを重ねるうちに、その頬はみるみるうちに赤く染まり、その口数も、少しずつ多くなっていきました。
「……アイナ嬢は」
「はい?」
「……酒が、強いのだな」
呂律が、少しだけ怪しくなっていますわ。
その様子がなんだかおかしくて、わたくしは「ええ、体だけは丈夫ですの」と笑って返しました。
「……丈夫、か」
彼は、空になったグラスを見つめながら、独り言のように呟きます。
「俺は、ずっと、自分がこの国で一番、強い男だと思っていた」
「まあ。事実、そうですわよね?」
「……そう、思っていた。だが、貴女に出会って、俺の自信は、何もかも、木っ端微塵に砕かれた」
彼は、自嘲するように、ふっと笑いました。
酔いのせいか、その翡翠の瞳は潤んで、どこか頼りなげに見えます。
「薪を素手で割り、魔獣をデコピンで倒す女を、どう護衛しろと……? 俺の存在意義は、一体……」
「ゼノン様……」
「最初は、恐ろしいと思った。気味が悪いとさえ感じた。だが……今は違う」
彼は、その潤んだ瞳で、まっすぐにわたくしを見つめました。
「その力は、ただ強いだけではない。貴女は、決してその力を自分のためには使わない。市場のチンピラを追い払った時も、森で、俺を助けてくれた時も……。貴女は、誰かを守るために、その力を使った」
「……」
「王都では、誰もが貴女を悪役令嬢だと言っていた。俺も、そう信じて疑わなかった。だが、本当の貴女は……優しくて、不器用で……毎日、本当に楽しそうに、お菓子を作ったり、庭をいじったりしている……」
彼の言葉の一つ一つが、静かに、わたくしの心に染み込んでいきます。
この方は、わたくしが力を隠して生きてきたことも、そして、今この場所で、ささやかな喜びに幸せを感じていることも、全て、見ていてくれたのです。
「俺は……貴女のような女性に、初めて会った」
彼は、おぼつかない手つきで、テーブル越しに手を伸ばし、そっと、わたくしの手に触れました。
その手は、驚くほど熱くて、そして、少しだけ震えています。
「どうしていいか、分からんのだ。貴女が泣いている訳でもないのに、守りたいと思う。貴女が笑っていると、胸が、苦しくなる。これが、何なのか……俺には、もう……」
そこまで言うと、彼の言葉は、途切れ途切れになりました。
その瞳から、ぽろり、と一粒の涙がこぼれ落ちたのを、わたくしは見逃しませんでした。
「ゼノン様……」
わたくしが何かを言う前に、彼の体が、ぐらりと大きく傾きます。
「……すまん……少し、飲みすぎた、ようだ……」
そう言うと、彼は、わたくしの手に自分の手を重ねたまま、暖炉の前で、すうすうと穏やかな寝息を立て始めたのでした。
静まり返った広間に、再び、薪のはぜる音だけが響きます。
わたくしは、彼の寝顔を、ただ、じっと見つめていました。
いつもは厳しく結ばれている口元が、今は無防備に少しだけ開いています。
その顔は、国一番の騎士団長ではなく、ただの、不器用で、誠実な一人の男性のものでした。
重ねられた彼の手の、大きさと温かさを感じながら、わたくしは、胸の奥から込み上げてくる、愛しいような、切ないような、そんな感情に、そっと蓋をするように目を閉じました。
そして、眠る彼にだけ聞こえるような、小さな声で、呟きます。
「わたくしも、ですわ、ゼノン様」
あなたのことが、どうしていいか分からないくらい、わたくしも、大切に思っておりますのよ、と。
その言葉は、夜の静寂の中に、そっと溶けて消えていきました。
屋敷に帰ってきたわたくしたちは、どちらからともなく、広間の暖炉の前に腰を下ろしていました。
パチパチと薪がはぜる音と、窓の外から聞こえる虫の声だけが、静かな室内に響いています。
「村長さんが、持たせてくださいましたの。村で採れた果実で作った、特別なお酒ですって」
わたくしは、お祭りの帰り際に渡された、ずっしりと重い葡萄酒の瓶を取り出しました。
ゼノン様は、いつもは任務中だからと、お酒を口にすることは滅多にありません。
ですが、今夜は、お祭りの高揚感からか、それとも何か別の理由からか、黙って頷いてくれました。
グラスに注がれた葡萄酒は、琥珀色に美しく輝いています。
一口、口に含むと、芳醇な果実の香りと、想像以上のアルコールの強さが、喉を熱くしました。
「まあ、随分と強いお酒ですこと」
「……ああ」
わたくしは、お酒には強いほうです。この体の頑丈さは、アルコールの分解能力にも影響しているのかもしれません。
ですが、ゼノン様は違ったようです。
普段、鍛錬ばかりで嗜む習慣がないからでしょうか。数杯、グラスを重ねるうちに、その頬はみるみるうちに赤く染まり、その口数も、少しずつ多くなっていきました。
「……アイナ嬢は」
「はい?」
「……酒が、強いのだな」
呂律が、少しだけ怪しくなっていますわ。
その様子がなんだかおかしくて、わたくしは「ええ、体だけは丈夫ですの」と笑って返しました。
「……丈夫、か」
彼は、空になったグラスを見つめながら、独り言のように呟きます。
「俺は、ずっと、自分がこの国で一番、強い男だと思っていた」
「まあ。事実、そうですわよね?」
「……そう、思っていた。だが、貴女に出会って、俺の自信は、何もかも、木っ端微塵に砕かれた」
彼は、自嘲するように、ふっと笑いました。
酔いのせいか、その翡翠の瞳は潤んで、どこか頼りなげに見えます。
「薪を素手で割り、魔獣をデコピンで倒す女を、どう護衛しろと……? 俺の存在意義は、一体……」
「ゼノン様……」
「最初は、恐ろしいと思った。気味が悪いとさえ感じた。だが……今は違う」
彼は、その潤んだ瞳で、まっすぐにわたくしを見つめました。
「その力は、ただ強いだけではない。貴女は、決してその力を自分のためには使わない。市場のチンピラを追い払った時も、森で、俺を助けてくれた時も……。貴女は、誰かを守るために、その力を使った」
「……」
「王都では、誰もが貴女を悪役令嬢だと言っていた。俺も、そう信じて疑わなかった。だが、本当の貴女は……優しくて、不器用で……毎日、本当に楽しそうに、お菓子を作ったり、庭をいじったりしている……」
彼の言葉の一つ一つが、静かに、わたくしの心に染み込んでいきます。
この方は、わたくしが力を隠して生きてきたことも、そして、今この場所で、ささやかな喜びに幸せを感じていることも、全て、見ていてくれたのです。
「俺は……貴女のような女性に、初めて会った」
彼は、おぼつかない手つきで、テーブル越しに手を伸ばし、そっと、わたくしの手に触れました。
その手は、驚くほど熱くて、そして、少しだけ震えています。
「どうしていいか、分からんのだ。貴女が泣いている訳でもないのに、守りたいと思う。貴女が笑っていると、胸が、苦しくなる。これが、何なのか……俺には、もう……」
そこまで言うと、彼の言葉は、途切れ途切れになりました。
その瞳から、ぽろり、と一粒の涙がこぼれ落ちたのを、わたくしは見逃しませんでした。
「ゼノン様……」
わたくしが何かを言う前に、彼の体が、ぐらりと大きく傾きます。
「……すまん……少し、飲みすぎた、ようだ……」
そう言うと、彼は、わたくしの手に自分の手を重ねたまま、暖炉の前で、すうすうと穏やかな寝息を立て始めたのでした。
静まり返った広間に、再び、薪のはぜる音だけが響きます。
わたくしは、彼の寝顔を、ただ、じっと見つめていました。
いつもは厳しく結ばれている口元が、今は無防備に少しだけ開いています。
その顔は、国一番の騎士団長ではなく、ただの、不器用で、誠実な一人の男性のものでした。
重ねられた彼の手の、大きさと温かさを感じながら、わたくしは、胸の奥から込み上げてくる、愛しいような、切ないような、そんな感情に、そっと蓋をするように目を閉じました。
そして、眠る彼にだけ聞こえるような、小さな声で、呟きます。
「わたくしも、ですわ、ゼノン様」
あなたのことが、どうしていいか分からないくらい、わたくしも、大切に思っておりますのよ、と。
その言葉は、夜の静寂の中に、そっと溶けて消えていきました。
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