悪役令嬢は、婚約破棄されたので自由に生きます!

きららののん

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ゼノン様への恋心を自覚してからというもの、わたくしの毎日は、薔薇色に輝いておりました。
彼の、ふとした瞬間に向けられる不器用な優しさや、わたくしを見つめる真剣な眼差しの一つ一つに、胸を高鳴らせて。
彼が昨晩の告白を覚えていなくても、構いませんでした。
この穏やかで、愛おしい日々が続くのなら、それだけで、わたくしは十分に幸せでしたから。

そんなある日、王都から届いた一通の手紙が、わたくしたちの平和な空気に、小さな波紋を広げることになります。
差出人は、王都に残る数少ない友人の一人、子爵令嬢のシャーロットでした。
彼女は、わたくしが婚約破棄された時も、唯一、同情の目を向けてくれた心優しい女性です。

『ごきげんよう、アイナ様

お変わりなくお過ごしでしょうか。王都はすっかり秋めいてまいりました。アイナ様のいらっしゃらない社交界は、まるで気の抜けた炭酸水のようで、本当につまらないですわ。

さて、今日お手紙を差し上げたのは、他でもありません。
先日、宮殿で、アイナ様の奇妙な噂を耳にいたしましたの。

発端は、辺境の街から来たという、一人の行商人でした。
彼が、酒場で面白おかしく語ったそうですわ。「クライファート家の古い屋敷には、聖女様が住んでいらっしゃる。その方は、淑女の見た目からは想像もつかぬ怪力の持ち主で、馬車を持ち上げ、素手で丸太をへし折るのだ」と。
もちろん、最初は誰もが、酔っぱらいの戯言だと笑っておりました。

ですが、その話が、どこからかマリアンヌ様の耳に入ってしまったのです。

アイナ様が辺境で惨めに暮らしていると信じて疑わなかった彼女は、その噂を聞いて、最初は高笑いをしていたそうです。「ありえないわ。あの女が、そんな幸せそうに暮らしているはずがない」と。
ところが、です。
アイナ様を監視するために派遣された騎士からの定期報告が、皇太子殿下の元に届いた際、その内容が少しだけ漏れ伝わってきました。
報告には、きっと「問題なく、静かに暮らしている」とだけ書かれていたのでしょう。
ですが、その「静かに」という部分が、マリアンヌ様には、むしろ「穏やかに、幸せに」と聞こえてしまったようなのです。

噂と報告が、彼女の中で最悪の形で結びついてしまったのでしょうね。
あの日以来、マリアンヌ様の様子は、一変いたしました。

彼女は、アイナ様が苦しんでいる姿を想像して、優越感に浸っていたのでしょう。
ですが、そうではないと知った途端、激しい嫉妬の炎を燃やし始めたのです。
先日のお茶会では、わたくしがアイナ様のお名前を少し口にしただけで、鬼のような形相で睨みつけられ、お気に入りのティーカップを床に叩きつけて割っていましたわ。

「ありえない、ありえないわ! あの悪役令嬢が、幸せに暮らすなんて! わたくしが、この国の次期王妃なのよ!? 一番幸せでなければならないのは、わたくしのはずなのに!」

自室で、夜な夜なそう叫んでいるという噂も聞こえてきます。
皇太子殿下も、彼女のあまりの豹変ぶりに、少し戸惑っていらっしゃるご様子。
彼女が夢見ていた宮殿での生活は、思い描いていたものとは、ずいぶん違っていたようですわね。周りには敵意と嫉妬ばかり。心から気を許せる相手もいない。そんな中で、アイナ様が自由で幸せに暮らしていると知ったのですから、心中、穏やかではないのでしょう。

そして、ここからが、一番お伝えしたいことです。
最近、マリアンヌ様が、素性の知れない怪しげな男たちと、密会している姿が目撃されています。
まさかとは思いますが、アイナ様、どうか、お気をつけください。
彼女の嫉妬が、どんな恐ろしい行動に繋がるか、わかりません。

あなたの身を案じています。

友人、シャーロットより』

手紙を読み終えたわたくしの心は、静かに、そして冷たく沈んでいくのを感じました。
シャーロットの優しさが、胸に沁みます。
そして、マリアンヌ様の、あまりに幼稚で、身勝手な嫉妬に、深い溜息が出ました。

(わたくしの平穏を、邪魔するおつもりなのね)

恐怖よりも先に立ったのは、そんな苛立ちの感情でした。

「……どうした。顔色が悪い」

いつの間にか、背後に立っていたゼノン様が、心配そうにわたくしの顔を覗き込みます。
わたくしは、黙って、シャーロットからの手紙を彼に渡しました。
彼は、その内容に素早く目を通すと、みるみるうちにその表情を、騎士団長の厳しいものへと変えていきます。

「……なるほど。あの女、そこまで愚かだったか」

彼が、吐き捨てるように言いました。

「アイナ嬢、しばらくは、屋敷の敷地から外へは出ないでくれ。俺も、これまで以上に警備を強化する」

「でも……」

「これは、命令だ」

彼の、有無を言わさぬ強い口調。
それは、わたくしが非力な令嬢だから、という侮りから来るものではありませんでした。
ただ純粋に、わたくしの身を案じ、守ろうとしてくれている。
その真剣な眼差しに、わたくしは、こくりと頷くことしかできませんでした。

窓の外に広がる森が、急に、不気味な影を落とし始めたように見えます。
王都から吹き始めた嫉妬の嵐が、この穏やかな辺境の地に、もうすぐ、届こうとしていました。
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