26 / 44
26
しおりを挟む
辺境伯の館で一夜を明かした翌日、本格的な異変の原因調査が開始された。ハーデスを筆頭に、イヴ、ギルバート、そして土地を熟知するアルフォンス辺境伯と、彼が選んだ数名のベテラン兵士、さらにハーデスの護衛騎士たちが加わった一行は、まず領内で最も汚染が深刻だという「嘆きの森」へと向かった。
かつては、ヴェルディア辺境伯領の豊かな水源として、そして人々の憩いの場として親しまれていたその森は、見る影もなかった。木々は黒く枯れ果て、地面を覆っていたはずの瑞々しい苔は干からびてひび割れている。森の中心を流れていた小川は、ヘドロのように淀み、腐臭に近い異臭を放っていた。
「ひどい……」
イヴは馬上で息を呑んだ。子供の頃、よくこの森で木の実を拾ったり、花の冠を作ったりして遊んだ記憶が、目の前の惨状によって無残に上書きされていく。
彼女が悲しみに暮れていると、不意に、頭の奥でキーンという耳鳴りのような痛みを感じた。それは物理的な痛みとは違う、もっと精神的な苦痛の叫びだった。
「土地が……泣いています……。苦しい、と……」
「イヴ?」
ハーデスが心配そうに声をかける。イヴは、自分の内側から聞こえる声に耳を澄ませた。それは、この土地を流れる魔力、マナの悲鳴だった。誰かが、無理やりマナの流れを捻じ曲げ、汚染し、強制的に暴走させている。その苦しみが、精霊の力と親和性の高いイヴには、ダイレクトに伝わってくるのだ。
「この森の、もっと奥深く……。何か、とても禍々しいものが、この土地の力を吸い上げて、汚しているようです」
イヴのその感覚的な言葉は、調査の大きな指針となった。アルフォンス辺境伯も、厳しい表情で頷く。
「この土地のマナは、古来より清らかで、安定した性質を持つことで知られておりました。これほど大規模に、そして急激に汚染が進むなど、自然現象ではありえません。殿下の仰る通り、何者かの人為的な仕業としか考えられませんな」
ハーデスとギルバートは、イヴの感覚と辺境伯の知見から、一つの結論に達した。
「大規模な魔術装置、あるいは呪いの儀式か……」
ギルバートが呟く。「土地のマナそのものを汚染し、魔物を凶暴化させるなど、禁術中の禁術です。正気の沙汰ではない」
「目的は、この土地の壊滅と、イヴだ」
ハーデスは冷たく言い放った。「犯人は、必ずこの土地のどこかにいる。そして、我々が来ることを読んでいたはずだ」
その言葉を証明するかのように、突如、森の奥からおぞましい咆哮が響き渡った。ガサガサと木々を揺らしながら現れたのは、通常の倍はあろうかという巨大なオークの群れだった。その目は血走り、涎を垂らし、明らかに正常ではない興奮状態にある。
「総員、戦闘態勢! 殿下と妃殿下をお守りしろ!」
ギルバートの号令一下、騎士たちがすぐさま陣形を組む。ハーデスも腰の剣を抜き放ち、イヴを背後にかばった。
「イヴ、下がるな。私のそばを離れるな」
「は、はい……!」
戦闘が始まった。騎士たちは精鋭揃いだが、数も多く、異常な力を得たオークたちに苦戦を強いられる。ハーデスも自ら剣を振るい、次々とオークを斬り伏せていくが、きりがない。
イヴは、自分を守るために戦うハーデスや騎士たちの姿を見ながら、自分の無力さに唇を噛み締めた。自分にできることは何もないのか。故郷が、愛する人が傷ついていくのを、ただ見ていることしかできないのか。
(違う……!)
その時、ハーデスの声が彼女の脳裏に響いた。
『お前の力は、特別なものなのだ』
そうだ。私には、この土地の声を聞く力がある。
「殿下!」
イヴは叫んだ。
「敵の数が多いです! このままでは消耗してしまいます! ですが、私には分かります……この魔物たちを操っている、力の源が!」
彼女は、森のさらに奥深く、一つの地点を指さした。
「あそこです! あそこに、邪悪な力の中心があります!」
その言葉に、ハーデスは一瞬、イヴを振り返った。彼女の瞳には、もはや恐怖の色はなかった。故郷を守るという、強い意志の光が宿っていた。
「よくやった、イヴ!」
ハーデスは不敵に笑うと、騎士たちに叫んだ。
「聞いたか! 目標は定まった! 中央突破する! 俺に続け!」
ハーデスのその声は、騎士たちの士気を奮い立たせた。イヴの示した一点を目指し、一行は絶望の森の奥深くへと、突き進んでいくのだった。
かつては、ヴェルディア辺境伯領の豊かな水源として、そして人々の憩いの場として親しまれていたその森は、見る影もなかった。木々は黒く枯れ果て、地面を覆っていたはずの瑞々しい苔は干からびてひび割れている。森の中心を流れていた小川は、ヘドロのように淀み、腐臭に近い異臭を放っていた。
「ひどい……」
イヴは馬上で息を呑んだ。子供の頃、よくこの森で木の実を拾ったり、花の冠を作ったりして遊んだ記憶が、目の前の惨状によって無残に上書きされていく。
彼女が悲しみに暮れていると、不意に、頭の奥でキーンという耳鳴りのような痛みを感じた。それは物理的な痛みとは違う、もっと精神的な苦痛の叫びだった。
「土地が……泣いています……。苦しい、と……」
「イヴ?」
ハーデスが心配そうに声をかける。イヴは、自分の内側から聞こえる声に耳を澄ませた。それは、この土地を流れる魔力、マナの悲鳴だった。誰かが、無理やりマナの流れを捻じ曲げ、汚染し、強制的に暴走させている。その苦しみが、精霊の力と親和性の高いイヴには、ダイレクトに伝わってくるのだ。
「この森の、もっと奥深く……。何か、とても禍々しいものが、この土地の力を吸い上げて、汚しているようです」
イヴのその感覚的な言葉は、調査の大きな指針となった。アルフォンス辺境伯も、厳しい表情で頷く。
「この土地のマナは、古来より清らかで、安定した性質を持つことで知られておりました。これほど大規模に、そして急激に汚染が進むなど、自然現象ではありえません。殿下の仰る通り、何者かの人為的な仕業としか考えられませんな」
ハーデスとギルバートは、イヴの感覚と辺境伯の知見から、一つの結論に達した。
「大規模な魔術装置、あるいは呪いの儀式か……」
ギルバートが呟く。「土地のマナそのものを汚染し、魔物を凶暴化させるなど、禁術中の禁術です。正気の沙汰ではない」
「目的は、この土地の壊滅と、イヴだ」
ハーデスは冷たく言い放った。「犯人は、必ずこの土地のどこかにいる。そして、我々が来ることを読んでいたはずだ」
その言葉を証明するかのように、突如、森の奥からおぞましい咆哮が響き渡った。ガサガサと木々を揺らしながら現れたのは、通常の倍はあろうかという巨大なオークの群れだった。その目は血走り、涎を垂らし、明らかに正常ではない興奮状態にある。
「総員、戦闘態勢! 殿下と妃殿下をお守りしろ!」
ギルバートの号令一下、騎士たちがすぐさま陣形を組む。ハーデスも腰の剣を抜き放ち、イヴを背後にかばった。
「イヴ、下がるな。私のそばを離れるな」
「は、はい……!」
戦闘が始まった。騎士たちは精鋭揃いだが、数も多く、異常な力を得たオークたちに苦戦を強いられる。ハーデスも自ら剣を振るい、次々とオークを斬り伏せていくが、きりがない。
イヴは、自分を守るために戦うハーデスや騎士たちの姿を見ながら、自分の無力さに唇を噛み締めた。自分にできることは何もないのか。故郷が、愛する人が傷ついていくのを、ただ見ていることしかできないのか。
(違う……!)
その時、ハーデスの声が彼女の脳裏に響いた。
『お前の力は、特別なものなのだ』
そうだ。私には、この土地の声を聞く力がある。
「殿下!」
イヴは叫んだ。
「敵の数が多いです! このままでは消耗してしまいます! ですが、私には分かります……この魔物たちを操っている、力の源が!」
彼女は、森のさらに奥深く、一つの地点を指さした。
「あそこです! あそこに、邪悪な力の中心があります!」
その言葉に、ハーデスは一瞬、イヴを振り返った。彼女の瞳には、もはや恐怖の色はなかった。故郷を守るという、強い意志の光が宿っていた。
「よくやった、イヴ!」
ハーデスは不敵に笑うと、騎士たちに叫んだ。
「聞いたか! 目標は定まった! 中央突破する! 俺に続け!」
ハーデスのその声は、騎士たちの士気を奮い立たせた。イヴの示した一点を目指し、一行は絶望の森の奥深くへと、突き進んでいくのだった。
41
あなたにおすすめの小説
永遠の十七歳なんて、呪いに決まってる
鷹 綾
恋愛
永遠の十七歳――
それは祝福ではなく、三百年続く“呪い”だった。
公には「名門イソファガス家の孫娘」として知られる少女キクコ。
だがその正体は、歴史の裏側で幾度も国を救ってきた不老の元聖女であり、
王家すら真実を知らぬ“生きた時代遺産”。
政治も権力も、面倒ごとは大嫌い。
紅茶と読書に囲まれた静かな余生(?)を望んでいたキクコだったが――
魔王討伐後、王位継承問題に巻き込まれたことをきっかけに、
まさかの王位継承権十七位という事実が発覚する。
「……私が女王? 冗談じゃないわ」
回避策として動いたはずが、
誕生した新国王アルフェリットから、なぜか突然の求婚。
しかも彼は、
幼少期に命を救われた“恩人”がキクコであることを覚えていた――
年を取らぬ姿のままで。
永遠に老いない少女と、
彼女の真実を問わず選んだ自分ファーストな若き王。
王妃になどなる気はない。
けれど、逃げ続けることももうできない。
これは、
歴史の影に生きてきた少女が、
はじめて「誰かの隣」を選ぶかもしれない物語。
ざまぁも陰謀も押し付けない。
それでも――
この国で一番、誰よりも“強い”のは彼女だった。
白い結婚を終えて自由に生きてまいります
なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。
忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。
「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」
「白い結婚ですか?」
「実は俺には……他に愛する女性がいる」
それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。
私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた
――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。
ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。
「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」
アロルド、貴方は何を言い出すの?
なにを言っているか、分かっているの?
「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」
私の答えは決まっていた。
受け入れられるはずがない。
自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。
◇◇◇
設定はゆるめです。
とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。
もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!
旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?
白雲八鈴
恋愛
我が公爵家主催の夜会の最中。夫が愛人を連れてやってきたのです。そして、私を悪女という理由で離縁を突きつけてきました。
離縁して欲しいというのであれば、今まで支援してきた金額を全額返済していただけません?
あら?愛人の貴女が支払ってくれると?お優しいわね。
私が悪女というのであれば、妻のいる夫の愛人に収まっている貴女は何なのかしら?
殿下、私以外の誰かを愛してください。
ハチワレ
恋愛
公爵令嬢ラブリーは、第一王子クロードを誰よりも愛していました。しかし、自分の愛が重すぎて殿下の負担になっている(と勘違いした)彼女は、愛する殿下を自由にするため、あえて「悪役令嬢」として振る舞い、円満に婚約破棄されるという前代未聞の計画を立てる。協力者として男爵令嬢ミリーを「ヒロイン役」に任命し、準備は整った。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる