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第六章 弔いの業火
第六章(05)
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手が自由になり、ルチフは両手をついて立ち上がった。そしてベアタから剣を奪い取るようにして返してもらうと、いままさに起き上がろうとしている兵士の足に、切っ先を突き刺した。
兵士が悲鳴を上げ、痛みにまた床に伏せる。ルチフは素早く剣を足から抜くと、鞘に納めた。
「こっちよ!」
と、ベアタが手を引く。ベアタは廊下を走り、ルチフも手を引かれるままに続いた。
ある一室の前まで来ると、ベアタはその中に入り、ルチフも入れば二人は部屋の奥に身を潜めた。どうやらそこは、物置部屋のようで、少し埃っぽく、様々なものがあった。
扉の向こうが騒がしい。ルチフは自然と息を殺し、外の様子に耳を澄ませた。何が起きているのかはわからないけれども、よくないことが起きているのは、十分にわかった。
けれどもやがて、外は静かになって。
「……」
隣に立っていたベアタが、まるで貧血でも起こしたかのように、ふらふらと座り込んだ。
「大丈夫か?」
すぐさまルチフは寄り添った。ベアタは目を開いているものの、まるで何も見えていないかのような状態で、ひどく疲れているようだった。けれどもルチフに向けた目の青さは、かつてと何一つ、変わっていなかった。
「ええ……大丈夫」
その青い瞳が揺れる。
「ルチフ……」
温かい涙が溢れた。それはあたかも光そのもののように美しく、白い頬を伝って床に落ちた。
「ルチフ……! 会いたかった……!」
涙を流れるままにして、ベアタはルチフに抱きついた。
――懐かしい温もりが、身体へ染み渡る。そのにおいも懐かしく愛おしく、たまらなくなってルチフもベアタを抱きしめた。こんなにも愛おしいのに、強く、壊してしまいそうなほどに。
「ベアタ……! 俺も、会いたかった……!」
声は上擦ったが、構わなかった。
ただただ、抱きしめ合う。互いがそこにいることを、会えたことを確認するかのように。もう離れないというように。
ベアタの温かい涙を、ルチフは黙って受け止めていた。ルチフの青い目も波打ったが、決して涙は流さなかった――いまはただ、ベアタにもう一度会えたことが嬉しくて、温かさに溶けるように微笑んで、ベアタを感じていた。
「ずっと、見てたの。あなたがカイナのところにいると聞いて。ずっと、会いたかったの……」
ベアタの声は弱々しく、しかし甘く、幸福に溢れていた。
「俺も、王の塔にベアタがいるって聞いて、見てたんだ。お前が、見ているような気がして」
ルチフが囁き返せば、愛した青い目はすぐそこにあった。
「ずっと、会いたかったんだ……ごめん、会いにいけなくて。でも……会いたかったんだ」
顔を近づければベアタの涙にルチフの頬も濡れる。それでも構わなかった。
――しかし。
……扉の向こうから、何か騒ぐ声が響いてきた。すぐさま二人は身構える。
「……逃げなきゃ、何がなんでも」
静かに、そしてしたたかに、ベアタは口にする。
「お父様が、私達二人を捕まえるよう、兵に命令したみたいなの……」
「……何でだ?」
ルチフが尋ねても、ベアタはすぐに答えてはくれなかった。何か言いにくそうに俯き、かぶりを振る。銀の髪がまた少し乱れた。やがて答えてくれた。
「――死者を食べるなんて、悪魔だって」
ルチフは愕然として、顔を青くした。
……確かにケイが言っていた。死者を食べることは、普通ではないかもしれないと。
しかし悪魔だ、なんて。魂を受け継ぎ、生きていくためのものなのに。
だが――もしその事実を知られたのなら、大事になる予感はしていたのだ。
この国の人間であるベアタが最初、驚いたように。
――だからルチフは、カイナにも、そのことを言っていなかった。
「ルチフ、逃げましょう。この国にいては危険よ……」
ベアタは頬の涙を拭う。
けれども、人喰いのことが王に知られたのならば。
「村のみんなは? みんなは……どうなるんだ?」
自分達がこうして狙われているのだ。ベアタでさえも。村人がただですんでいる訳がない。
チャーロの笑顔が脳裏をよぎった。ケイの厳しくも皆を見つめる表情も思い出される。それから村の人、それぞれの顔が思い浮かんでは、消えていく。
「……もう、間に合わないかも」
だが、ベアタの小さな声は、冷酷だった。
首にナイフを突きつけられたような感覚を、ルチフは覚えた。ベアタはか細い声で続けた。
「……昨日の夜、私は牢に入れられたの。その時に聞いたの……オンレフ村の人は、もう全員地下に連れて行ったって」
「地下……? みんな、地下にいるのか?」
ならば助け出さなければ、と、ルチフは立ち上がろうとしたものの、ベアタの白い手が、ルチフの腕を掴んだ。
……その冷えた手は震えていた。ここは寒い場所でもないのに。
「ベアタ……?」
その時ルチフが見たベアタの顔は、まるで。
――世界で一番恐ろしいものを見たというように、恐怖した顔だった。
「どうした……」
ルチフがそっと抱き寄せると、ベアタは倒れ込むように、その腕に抱かれた。
それでもベアタの震えは止まらない。
――思えば、何故ベアタは国を出たのだろうか。その理由をまだ知らない。
「ごめんなさい……」
ふわりとベアタはルチフから離れた。そうして、無理矢理に笑顔を作ったのだった。
「もしかすると……まだ間に合うかもしれない。まだ大丈夫かもしれない……」
震える足で立ち上がる。しかし決意したように、すっくとベアタはそこにいた。
「行きましょう、地下に……『薪の石』生成所に」
兵士が悲鳴を上げ、痛みにまた床に伏せる。ルチフは素早く剣を足から抜くと、鞘に納めた。
「こっちよ!」
と、ベアタが手を引く。ベアタは廊下を走り、ルチフも手を引かれるままに続いた。
ある一室の前まで来ると、ベアタはその中に入り、ルチフも入れば二人は部屋の奥に身を潜めた。どうやらそこは、物置部屋のようで、少し埃っぽく、様々なものがあった。
扉の向こうが騒がしい。ルチフは自然と息を殺し、外の様子に耳を澄ませた。何が起きているのかはわからないけれども、よくないことが起きているのは、十分にわかった。
けれどもやがて、外は静かになって。
「……」
隣に立っていたベアタが、まるで貧血でも起こしたかのように、ふらふらと座り込んだ。
「大丈夫か?」
すぐさまルチフは寄り添った。ベアタは目を開いているものの、まるで何も見えていないかのような状態で、ひどく疲れているようだった。けれどもルチフに向けた目の青さは、かつてと何一つ、変わっていなかった。
「ええ……大丈夫」
その青い瞳が揺れる。
「ルチフ……」
温かい涙が溢れた。それはあたかも光そのもののように美しく、白い頬を伝って床に落ちた。
「ルチフ……! 会いたかった……!」
涙を流れるままにして、ベアタはルチフに抱きついた。
――懐かしい温もりが、身体へ染み渡る。そのにおいも懐かしく愛おしく、たまらなくなってルチフもベアタを抱きしめた。こんなにも愛おしいのに、強く、壊してしまいそうなほどに。
「ベアタ……! 俺も、会いたかった……!」
声は上擦ったが、構わなかった。
ただただ、抱きしめ合う。互いがそこにいることを、会えたことを確認するかのように。もう離れないというように。
ベアタの温かい涙を、ルチフは黙って受け止めていた。ルチフの青い目も波打ったが、決して涙は流さなかった――いまはただ、ベアタにもう一度会えたことが嬉しくて、温かさに溶けるように微笑んで、ベアタを感じていた。
「ずっと、見てたの。あなたがカイナのところにいると聞いて。ずっと、会いたかったの……」
ベアタの声は弱々しく、しかし甘く、幸福に溢れていた。
「俺も、王の塔にベアタがいるって聞いて、見てたんだ。お前が、見ているような気がして」
ルチフが囁き返せば、愛した青い目はすぐそこにあった。
「ずっと、会いたかったんだ……ごめん、会いにいけなくて。でも……会いたかったんだ」
顔を近づければベアタの涙にルチフの頬も濡れる。それでも構わなかった。
――しかし。
……扉の向こうから、何か騒ぐ声が響いてきた。すぐさま二人は身構える。
「……逃げなきゃ、何がなんでも」
静かに、そしてしたたかに、ベアタは口にする。
「お父様が、私達二人を捕まえるよう、兵に命令したみたいなの……」
「……何でだ?」
ルチフが尋ねても、ベアタはすぐに答えてはくれなかった。何か言いにくそうに俯き、かぶりを振る。銀の髪がまた少し乱れた。やがて答えてくれた。
「――死者を食べるなんて、悪魔だって」
ルチフは愕然として、顔を青くした。
……確かにケイが言っていた。死者を食べることは、普通ではないかもしれないと。
しかし悪魔だ、なんて。魂を受け継ぎ、生きていくためのものなのに。
だが――もしその事実を知られたのなら、大事になる予感はしていたのだ。
この国の人間であるベアタが最初、驚いたように。
――だからルチフは、カイナにも、そのことを言っていなかった。
「ルチフ、逃げましょう。この国にいては危険よ……」
ベアタは頬の涙を拭う。
けれども、人喰いのことが王に知られたのならば。
「村のみんなは? みんなは……どうなるんだ?」
自分達がこうして狙われているのだ。ベアタでさえも。村人がただですんでいる訳がない。
チャーロの笑顔が脳裏をよぎった。ケイの厳しくも皆を見つめる表情も思い出される。それから村の人、それぞれの顔が思い浮かんでは、消えていく。
「……もう、間に合わないかも」
だが、ベアタの小さな声は、冷酷だった。
首にナイフを突きつけられたような感覚を、ルチフは覚えた。ベアタはか細い声で続けた。
「……昨日の夜、私は牢に入れられたの。その時に聞いたの……オンレフ村の人は、もう全員地下に連れて行ったって」
「地下……? みんな、地下にいるのか?」
ならば助け出さなければ、と、ルチフは立ち上がろうとしたものの、ベアタの白い手が、ルチフの腕を掴んだ。
……その冷えた手は震えていた。ここは寒い場所でもないのに。
「ベアタ……?」
その時ルチフが見たベアタの顔は、まるで。
――世界で一番恐ろしいものを見たというように、恐怖した顔だった。
「どうした……」
ルチフがそっと抱き寄せると、ベアタは倒れ込むように、その腕に抱かれた。
それでもベアタの震えは止まらない。
――思えば、何故ベアタは国を出たのだろうか。その理由をまだ知らない。
「ごめんなさい……」
ふわりとベアタはルチフから離れた。そうして、無理矢理に笑顔を作ったのだった。
「もしかすると……まだ間に合うかもしれない。まだ大丈夫かもしれない……」
震える足で立ち上がる。しかし決意したように、すっくとベアタはそこにいた。
「行きましょう、地下に……『薪の石』生成所に」
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