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第六章 弔いの業火

第六章(13)

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 ――何故。

 ……気付けばルチフは、笑うのをやめていた。また塔が揺れて、いまにも壊れそうな天井からぽろぽろと小さな瓦礫が剥離して降ってくる。
 瓦礫の下敷きになっているカイナを見れば、いまだ起き上がっていない。

「……カイナ」

 痛む身体を起こし、ふらふらと歩いていく――ルチフが向かったのは、カイナのもとだった。
 見下ろせば、カイナはまだ生きているようだった。しゃがみ込めば、カイナの手に、ルチフは自分の手を重ねる。
 ――やはり、温かかった。

「――カイナ!」

 すぐさまルチフは瓦礫をどかしにかかった。周りにある細かいものをどかし、大きいものは押して動かす。

「……うっ」

 そうしているうちに、カイナが目を覚ました。何が起きているのか、自分の身体を見て、ルチフを見て、そして理解し目を丸くする。

「ルチフ……どうして……?」
「うる……さい……」

 細かい瓦礫をどかしていくと、大きな瓦礫が見えてきた。それがカイナを押しつぶしていた。
 その瓦礫を持ち上げようと、ルチフは声を上げる。すでに全身がぼろぼろで痛かったが、さらに痛みが増す。瓦礫を持つ手に、血が滲む。それでも。

 ――村の人々は死んだ。ベアタも死んだ。
 ――残っているのは、カイナだけだった。

 カイナだけが、まだ生きていたのだ。
 カイナさえ村に来なければ、こんなことにならなかったのに。そもそも両親が死んだのも、カイナのせいだというのに。

 ――裏切られたのに。それでも。
 ……カイナまで死んだら、本当に一人になってしまうから。

 だが瓦礫は少しも動かない。瓦礫の山も燃え始めていて、いつカイナも燃えてしまうかわからない上に、天井も更に崩れてきそうだった。早くしなければ。それでも、瓦礫を動かせない。カイナを助け出すことはできない。無力さと恐怖に涙が溢れる。それでも。

「……ルチフ、もういい」

 と、優しい声が聞こえて。

「もういいんだ、ルチフ。私はきっと、こうなるのが運命だったのだから……」

 恐る恐るルチフがカイナを見れば。
 ――カイナは慈しむかのように、哀れむかのように微笑んでいた。

「……ルチフ、ここへ」

 そう呼ばれてしまえば、断れない。瓦礫から手を離すと、伏せたままのカイナの前へ、ルチフは呆然としゃがみ込んだ。

「……お前一人で逃げなさい。私のことは、いい」

 カイナの温かい手が、ルチフの泣きじゃくった頬を撫でた。
 その手は剣を受け止めた手。ルチフの涙に、カイナの指が濡れる。ルチフの頬が、カイナの血に赤く染まる。

 ――そんなことはできない。

 そう言おうにも、ルチフは、喉が焼けてしまったかのように声が出なかった。
 だから頬を撫でるカイナの手を握った――ぬるりとした血の向こうに、人肌を感じた。

「許してくれ、ルチフ……愚かな私を、許してくれ……私は、お前を守りたかったんだ……たった一人の家族である、お前を……」

 カイナは手を強く握り返してくれる。出血がひどくなるのも、いとわずに。

「――私は、お前だけでなく、お前の父である兄も裏切った。許せなかったんだ、あの召使い……彼女と結ばれたことが」

 カイナは静かに言う。その言葉は炎と悲鳴と崩壊の中でも、ルチフの耳にしっかりと届いていた。それ以外が、全く聞こえなかった。
 ――昨日の夜、カイナは「愛する人は別の人と結ばれた」と言っていた。

「私も彼女を愛していた……けれども身分が違った。結ばれてしまえば、罪に問われる……私はずっと堪えていたんだ……それを、兄は簡単に破った……それが、許せなくて」

 カイナは目を伏せた。だが逃げないというように、再びルチフを見上げた。

「……怒りは後に冷めたが、もう取り返しのつかないことになっていた。罰を下される前に、兄は彼女と国を去った。この凍てついた世界の中、赤ん坊を連れて……私は、ひどく悔いた。それだけではない、私は家族全員を失ったことに、気がついたのだ……」

 またどこかで爆発が起きたのか、塔が揺れる。誰かが泣いているのが聞こえた。

「でも私は、もう後戻りできなかった。私は、自分のしたことが正しいことである証拠に、この国に、国王に、忠実であり続けた……『薪の石』を使うことに、疑問がないわけではなかった。それでも村を襲い、人々を『薪』として連れてきた……」

 ルチフは黙り続けていた。
 カイナが、自分の死を悟ったような顔をしていたから。
 火の手はすぐそこまで迫ってきていた。カイナを焼き殺す機会を伺っているような気がした。

「しかし……お前を見つけた。その時私は……何としてでも、お前を守らなくてはと思ったのだ。そして……近くにいてもらいたかった。もう二度と、家族を失いたくなかった……」

 だから村人から引き離し、塔に閉じこめたのだろう。村人達といれば、いずれ『薪の石』にされていただろうから――そして自分と一緒にいさせるために。

「ルチフ、私は」

 カイナの頬を、一筋の涙が伝った。

「寂しかっただけなんだ……」

 ……そんなことはわかっていた。ルチフはより、手を強く握った。

「すまないルチフ……許してくれ……」

 ――けれども、許すことはできない。この男のせいで、全てを失ったのだから。
 だがもうルチフは、言葉を発せられなかった。
 許すことも、許さないと言うことも、できなかった。

 ……ただ一つ、確かに思うことは。
 カイナがここで死んでいくことを選んだことが、許せなかった。

「――俺も、寂しかった」

 ルチフがやっとの思いで絞り出した声は、かすれていた。

「あんたに会えて、本当に嬉しかったんだ……」

 全ては壊れゆく。

「血の繋がった家族に、会えたんだ……なのに」

 ――裏切られた。
 ――その上、ここで死のうとしている。

 ふと、ルチフはカイナの手を見た。ルチフの剣を素手で受け止め、切れた手。
 ……カイナのことは許せない。
 けれども、一緒にいたかった。唯一の、家族だから――。

「……食べないでくれ」

 ――そのカイナの声は、はっきりとしていた。
 ルチフが顔を上げれば、カイナはやはり、微笑んでいた。しかし。

「食べないでくれ。私のことを。肉が食えなければ血を飲むしかないと、村人達が話しているのを聞いた」

 拒絶の声――やはりカイナも知っていたのだ。オンレフ村の風習を。だが。

「……こんな私の魂を、受け継がないでくれ。こんな醜い人間の魂を」

 カイナはまた強く手を握ってくれた――温もりが、焼けつく。

「お前は……とてもいい子だから。私なんかの魂を、どうか受け継がないでくれ……」

 ……どうして、そんなことを言うのだろうか。
 ルチフには、わからなかった。

 と、先程よりも激しく塔が揺れた。大広間に、不気味な音が響く。

「……この国は終わりだ。ここを出て……北に向かいなさい。その先に、まだ村が一つ、残っている……あそこから出るんだ」

 カイナは苦しそうに廊下を指さした。そしてまた、慈愛に満ちた声で、

「ルチフ、生き延びてくれ……」

 青い双眸はどこまでも深く、透き通っていた。カイナはそっと、ルチフから手を離す。だがルチフは追うように、その手をまた握る。
 ――カイナを置いていくなんて、できない。見殺しにできない。

「ルチフ」

 カイナが名前を呼ぶ。ルチフは頭を横に振る。

「……ルチフ」

 しかしカイナは再び手を引っ込めて。まっすぐにルチフを見つめて。

「……さあ、行きなさい」

 ――どこか、親が子を叱るのに、似ていた。
 涙を流しながら、ルチフはふらふらと立ち上がった。それを見て、カイナが少しだけ嬉しそうに微笑んだものだから、さらに涙が止まらなくなってしまって。

「そのまま、進んでいきなさい。振り返らないで」

 言われるままに、ルチフは廊下へ向かっていった。瓦礫の下敷きになったカイナを置き去りにして。彼に背を向けて。離れていく。遠ざかっていく。
 背に、優しいまなざしを感じていた。それに押されるように進んでいく。

 ――廊下を、数歩進んだ時だった。
 ルチフの背後で、重い扉が閉まるような音がした。衝撃に、震える。

 ――振り返るなと言われた。
 ……だが、振り返ると。

 ――天井が崩れ、大広間への廊下は瓦礫に塞がれてしまっていた。
 瓦礫の向こうからは、炎の轟音だけが聞こえていた。


【第六章 弔いの業火 終】
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